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『カウントダウン・メルトダウン』船橋洋一 文芸春秋 上下各1600円

福島第1原発危機への対応、当事者の群像で描く
「カウントダウン・メルトダウン」の著者、船橋洋一氏に聞く

2013年3月13日

 朝日新聞元主筆でジャーナリストの船橋洋一さんが、東日本大震災で未曽有の原子力災害を引き起こした福島第1原発事故をテーマとしたノンフィクション「カウントダウン・メルトダウン」を出版した。船橋さんは、日本再建イニシアティブ理事長として「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調)を立ち上げ、昨年2月、調査・検証報告書を公表した。今回の著書では、危機のときに当事者たちがどう対応したのか、緻密に取材し、原発対応の問題点を明らかにした。(朝日新聞記者・桜井泉)


危機に直面、戦えるのか

  「カウントダウン・メルトダウン」には、日米の政府関係者や保安院の検査官、東京電力幹部、被災者、科学者ら多くのキーパースンが登場し、原発をめぐる危機の場面でどう動いたか、が再現されています。読者に何を伝えたかったのですか?

  原発事故の原因究明も重要なことで、それは民間事故調でやった。危機の本質は何だったのか。今度は、首相官邸、オペレーションルーム、免震棟などで人々が危機に直面し、取り組んだ姿をモザイクのように貼り合わせ、群像を描く。そうして危機の全体像をあぶり出したかった。米国も含め、300人くらいに取材した。

  あの危機で問われたことは何だったのですか?

   いざというときにこの国は戦えるのか。取材をしていて、そういう精神、気概、覚悟もメルトダウンしてしまったのかという気持ちになった。放射能の前では赤子のようにみなが弱かった。恐怖感もある。原発から逃げた保安院の検査官は確かに、ふがいないとは思う。いざというときに逃げて、何なのだと思います。第一章はそこから書き始めた。

 しかし、ある個人がいいとか悪いとか、指を立てて、けしからんという気にはならなかった。それは戦後の日本の国の形を反映し、我々もそこで生きてきたのだから。

日米の認識の違い

  米国は、事故の対応を東電任せにしていてはだめだ、自衛隊が表に出て対応しないとだめだ、と再三指摘し、日本政府に不信感を募らせた。日米の認識の違いは、相当に深刻だったのですか?

  福島第1原発3号機の建屋が14日11時1分に爆発した。「ただならぬことだ」と米国は危機感を強めた。米政府はグローバルホーク(無人航空機)や大気収集機で、空から炉の温度や放射線量の測定を始めていた。もちろん,炉の中の状況は、日本も米国も東電もわからない。しかしアメリカは,空からのモニタリングというツールを持っていた。地上からのモニタリングも、海軍の原子炉機関(ネーバルリアクターズ、空母などの原子炉を規制する部署)がやった。15分おきで24時間態勢だ。日米の認識のギャップは、モニタリングの力が決定的で、米国の方が深刻にとらえていた。米国は、自衛隊を使うしかないと早く判断したが、日本は、「東電だけに任せられない」という判断がなかなかできなかった。危機の状況認識は、危機管理の第一歩だが、米国の方が早かった。

  日本政府の誰に接触したら情報がとれるのか、米国は苦労した。日本の対応はどうだったのか?

  原子力災害特別措置法では、法律的には原子力・安全保安院が事務局をやると決まってる。しかし寺坂信昭・院長が、菅直人首相に一喝され、機能しなかった。現地本部もうまくいかない。そこで民主党の政治家が政治主導を掲げ、自分たちがやらないといけないと、やり出した。菅さんも飛び出した。しかし誰が本当に日本政府の中で指揮命令をしているのか、米国は、当初、よくわからなかった。官邸だということになり、米国は官邸に人を置かせてくれと求めた。

  日本は主権の問題としてそれを拒否しました。

  そこは日本に言い分がある感じがする。米国のホワイトハウスで、日本がそういうことができるか。あり得ないだろう。

問われた日米同盟

  原発危機の中で、日米同盟も問われました。

  自分の国の国民を政府がしっかり守る、自分で自分を守る国でないと、同盟は維持できないということが明らかになった。米国が2万人も派遣してトモダチ作戦をやった。米国も自国の世界戦略があり、自国民の保護を考えるのは当たり前なのだが、そのぎりぎりのなかでよくやってくれた。突きつけられたことは重い。日本は本当に自分の国民を守る気概、用意があるのかということだった。

  日米同盟は危機に陥る可能性があったのですか?

  もし米国が他のほとんどの国のように東京の大使館をたたんで撤退していたら、他の国とは比較にならいほどの意味を持ち、日本は激しく動揺しただろう。いざというときは見捨てられると。それで同盟関係が終わるかといえば、そんなに簡単ではない。しかしそのトラウマはすさまじいことになっただろう。

 実際、米海軍の原子炉機関が(放射線の状況を)とても厳しく見ていた。海軍のトップともいえども、原子炉機関が前面に出てきたら、日米同盟は重要だから(撤退できない)、とはなかなか言えない。ウイラード太平洋司令部司令官までが、「最悪、横須賀から撤退せざるをえない」とホワイトハウスの会議で言った。そこまで深刻だった。

  米政府内で、原発危機の見方をめぐって海軍と国務省が対立した。そこで大統領の科学技術担当補佐官のジョン・ホルドレン氏が出てきて決定した。そうした決定過程は、日本とだいぶ違いますね。

  そうですね。大統領のサイエンスアドバイザーの働きですが、彼があそこで介入し、うまく導かなかったらどうなったか、わからなかったという声を取材で聞いた。日本政府には、彼と同じようなポジションは存在しない。

 あえていえば班目春樹(まだらめ・はるき)原子力安全委員長だ。非常に不幸なことに1号機が爆発し、班目さんは、「爆発はない」と菅首相に言っていたから、あっという間に班目さんへの評価が、暴落して、そういう機能は果たせなかった。班目さんも、安全委員会という安全規制庁の一分野に属しており、官僚政治のなかの縄張り争いに関係する。米国のホルドレン氏のようにそういうものを超越し、本当に大統領のために専門の知見のみによって大統領を補佐する。そうした独立した助言者はとても必要だ。

  後書きに、原発事故で明らかになった様々な問題について「原子力の『安全神話』の構造とその神話を育ててきた自立の欠如を照射」した、と書いています。原子力ムラの思考停止が見えてきます。2年たって何か変わりましたか?

  民間事故調では、「ムラと空気のガバナンス」(物事の決め方が、公に議論されないように囲いこまれ、ムラの中で処理される。みんなで何となくその空気を読む)という表現をしたように、原子力ムラはもたれ合いの構図でした。ガバナンスとは、社会的、人的、経済的資源をある目的のために、権力や権限を分配し、いかに効果的に使うか、ということだ。日本の場合、異質なものを排除し、独立した視点を煙たく思う傾向がある。議論もあらかじめ落としどころを決めて、だれもメンツがつぶれないようにする。訓練もそうだ、本物の訓練、シナリオのない訓練をやって、みんなが、ばつが悪い思いをするようなものは、やらない。権威がまるつぶれになるようなことはしないで、すべて想定内にしようとする。だから、いざというときに役立たない。

 それは、2年たってほとんど変わっていない。除染についても、汚染された土をどこに持っていくのか? 福島のここにしましょうと、心の中ではかなりの人が思っているかもしれない。しかしそれを言い出すと福島の人をまた傷つけるのか、という議論で止まってしまう。リスクを表に出し、客観的に議論し、優先順位をつけて、損切りする。そういうことができない。

リスクの芽つんだ菅首相

  菅首相のリーダーシップをどう評価しますか?

  危機のときに、官僚機構、国家の経営資源をどれだけ活用できるか。動員し、統合し、集中する。平時と有事の動かし方は違う。リーダーはまず、今は非常時だ、平時から変えますと変換キーを打つ。官僚制は平時の体系だ。公平、効率性が大事で国民の目もある。下から稟議(りんぎ)であげていくボトムアップ方式で、それを官僚がやる。有事のときは、逆だ。公平公正だけではだめで、優先順位をはっきりつける。政治のリーダーシップでトップダウンが必要だ。

 菅政権は、できた点とできなかった点がある。総務省は、消防庁を持っているが、放水の時に手続きと順番ばかり言った。警察と消防と自衛隊で、どこが中心になって指揮命令するか、決められなかった。警察も放水に加わったが、本当に必要だったのか?放水はほとんど、効果がなく、民間事故調では,警察はいらなかったと結論づけた。あの危機のときに優先順位を決められなかった。

 菅さんは、人をどなったり現地に飛んだりしたが、そんな必要はなかった。しかし最初、福島原発の危機は「チェルノブイリだ」と叫んだ、それは誰よりも鋭敏だった。

 東電が撤退するのではないかというのが、最大のリスクだった。それをさせないように東電に乗り込んだ。対策統合本部を作り、東電を絶対逃がさないぞ、とした。法的な権限はなかったのだが、最大のリスクの芽をつもうとした菅さんの判断と行動は正しかった。

  東電が責任回避しようとする場面が、たくさん出てくる。どういう会社か?

  たとえば、ベントをして外に放射能を出す、海水を炉に注入する、最後の撤退をどうするかなど、東電自らが判断したくない問題は、いつも政府に命令されるという形をとった。まずいことは政府の命令でやり、経営者は責任を負わないという究極の責任回避の体質だ。

真実は熱いうちにつかめ

  苦労した点は?

  東電幹部の取材ができなかった。ただ、東電関係者で、匿名で話を聞いた人はかなりいる。

 ノンフィクションですからシーンと会話の再現が命です。しかし、官邸の会議などは、メモをきちんととっている人がいなかった。分刻みで変わる中で、しかも当事者は余り寝ていない。その再現は大変だった。時間がたてば、記憶も微妙に変わる。不都合な真実は消えてゆく。訴訟対策もあって、脚本がつくられ、それが真実のように語られる。「真実は熱いうちにつかめ」ということを痛感した。