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『白磁の画家 芳醇にして強靱なる呉炳学の世界』 山川修平著 三一書房(2400円)

「師はセザンヌ」 在日一世の半生描いた「白磁の画家」

2013年12月24日

著者の山川修平さん

 在日一世の画家、呉炳学(オ・ビョンハク)さんは、1924年、日本の植民地支配下、朝鮮半島北部・平安南道で生まれました。間もなく90歳を迎える呉さんは、神奈川県川崎市の自宅アトリエで1日5、6時間、絵筆を手にする日々です。フリーライターの山川修二さん(77)が、呉さんの半生をまとめ、「白磁の画家 芳醇にして強靱なる呉炳学の世界」(三一書房)を出版しました。第2次世界大戦と植民地支配、日本の敗戦による朝鮮半島の解放、故郷の南北分断という歴史の激動を生き抜いてきた一世のたくましい姿が描かれています。(朝日新聞記者・桜井泉)

「絵を学びたい」 戦時中、東京に渡る

 農家に生まれ、幼い頃から絵が好きだった呉さんは、平壌商業に入学すると、美術部でデッサンや水彩画に熱中しました。そのころ、古本屋でセザンヌとゴッホの画集を目にして、どうしても欲しくなりました。やさしい兄が高価な画集を買ってくれました。これがきっかけで、「どうしても画家になりたい」という思いを募らせます。太平洋戦争が始まると、すぐに繰り上げ卒業となり、セメント会社に勤めました。自由な就職や進学は許されない時代でした。しかし絵を学びたいという気持ちは捨てられず、1942年、18歳のときに東京に行き、美術学校で学びました。

 戦火が激しくなると、朝鮮人にまで徴兵検査がおよびました。呉さんは戦場には行きませんでしたが、再び海を渡り、平壌の飛行場建設現場で働かされました。やがて工事が中止になると、日本人の恋人で後に妻となる美津子さんに会うため、米軍の潜水艦が出没する海を決死の覚悟で渡り、東京に戻りました。

 戦争中に結婚した呉さん夫婦は、東京で空襲を生き抜きました。戦争が終わると、営団地下鉄で電話交換の仕事をしながら、東京美術学校(後の東京芸大)に学びます。セザンヌ研究で知られた教授の指導を受けたくて入学したものの、大先生は教室に現れず、弟子の指導を受けるばかり。そんな学校に失望して中退、フランスに渡ろうと考えましたが、自らの朝鮮籍がネックとなり、海外留学は実現しませんでした。

 「私の師はセザンヌです」と呉さんは言います。独学で学び、画壇の特定の会派にも属していません。「孤高の画家」と呼ばれるゆえんです。朝鮮学校の美術教師を務め、商売の才能のあった美津子さんと喫茶店を営むなどして生活費をかせぎ、一男一女を育てながら絵を描いていました。

ソウルで個展、いつか平壌でも

 朝鮮半島では1948年に韓国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)がそれぞれ建国されました。呉さんの故郷、順川は北朝鮮の地となり、朝鮮戦争(1950〜1953)では激戦地となりました。親兄弟の消息は分かりません。

 1962年、朝鮮高校に通っていた呉さんの娘さんは、16歳で単身、北朝鮮に「帰国」しています。「父の祖国の再建に役立ちたい」という思いからでした。呉さんが平壌を訪れ、娘さんに再び、会えたのは、18年後でした。

 呉さんは、朝鮮籍だったために、軍事独裁政権が長年、続いた韓国を訪れることはできませんでした。しかし、北朝鮮との和解と交流を進める盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下の2006年、韓国を訪問することができるようになり、ソウルの仁寺洞で長年の夢であった個展が実現しました。82歳になっていました。「いつか平壌でも個展を開きたい」。呉さんは、会場でそう語りました。

 山川さんの著書のタイトルは「白磁の画家」。呉さんは、白磁や仮面劇、祭りなど、朝鮮の文化を描いてきました。朝鮮民族は、かつて白い衣装を身につけ「白衣民族」と言われたそうです。呉さんは「朝鮮の白は、ヨーロッパの無機質な白とは異なり、白磁のような温かさがある」と私の取材に語ったことがあります。

95歳までがんばる

 2013年3月2日、東京・水道橋の韓国YMCAで「白磁の画家」の出版記念会が開かれました。友人や弟子、ファンら60人余りが集まりました。
 「あなたの夢である祖国統一がなされていない現在、あなたの功績を評価する国家機関がありません。在日という立場もあって、日本でも賞の対象となることはありませんでした」。90歳の卒寿のお祝いとして、有志から「文化功労賞」が授与されました。
 苦楽をともにした美津子さんが、57歳で病気のため早くに亡くなってしまったのが残念でした。会場では、美津子さんとの思い出を語る友人もいました。

花束を手にした呉炳学さん

 呉さんがあいさつに立ちました。

 「日本の画壇では名もない私をみなさんのような熱烈なファンが支えてきてくれた。絵描き冥利に尽きます。95歳までがんばります」。

 大きな拍手がわきました。山川さんのうれしそうな顔が印象的でした。