朝日賞 - The Asahi Prize -

2007(平成19)年度 受賞者一覧

◆石井桃子さん ◆竹本住大夫さん ◆宮崎照宣さん・湯浅新治さん
◆福山幸夫さん・戸田達史さん・遠藤玉夫さん ◆山中伸弥さん
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◆心にいつも子どもの世界 石井 桃子さん(100) 児童文学者


石井桃子さん

 クマのプーさん、うさこちゃん、ピーターラビット。翻訳書が時代を超えて子どもたちに読み継がれている。「星の王子さま」「ドリトル先生」は編集者として携わった。主な作品だけで200冊を超え、日本の児童文学の世界で質、量とも比類なき存在だ。「傑作とは飛び抜けて立派なものではありません。生活そのものから生まれるのでしょう」。いま、そう実感するという。

 「クマのプーさん」の原書と出会ったのは1933年、26歳のとき。犬養毅の2人の孫に「読んで」とせがまれた。プー、コブタ、イーヨーが暮らす世界にとらわれた、と言う。「それから5、6年はずっとプーを読んで暮らしていたようなもの。大人と子どもの言葉はどう違うのか、子どもは何を考えているのか、知りたいと思いました」

 自宅を開放し、子どもたちが自由に本を読める「かつら文庫」を始めた。活動は「東京子ども図書館」に引き継がれ、今年3月に50年を迎える。

 子どもの視点から見た物語やユーモアあふれるファンタジーが多い。本選びの基準を尋ねると「好き嫌いよ」と、明快な答えが笑顔と一緒に返ってきた。

 「プーやイーヨーみたいな登場人物の深みはなかなか出せない。原作者が何とも言えない味を出しているところがあるでしょう。私は原文を離れた言葉で訳したけれど、もし(作者の)ミルンが日本語を書けたらこう書いただろうって思っているの」

 その邦訳は「心の中で何十回も読み返すうちに出てきた」というもので、美しく、リズムがよい。

 大人はぴんとこない本も子どもは大好き。そんな光景を見てきたから、本を押しつけるのは反対。「大人は深入りしないこと。どうのこうの言わない方がいいんじゃない? これを読みなさいと言わなくても、かつら文庫の子どもたちは夢中で読んでいましたから」

 幼いころ、祖父が毎晩、語ってくれた昔話が大好きだった。「昔、あるところに」という言葉にわくわくしながら聴き入った。「ちょっとガラガラとした渋い声で。昔話は永遠に命があるものだと思います」 ベストセラーの児童書「ノンちゃん雲に乗る」や「幼ものがたり」、「幻の朱い実」など優れた創作も世に出した。90歳を過ぎても改訳を続ける。

 3月には101歳に。ここ4年は風邪知らず。字を眺めているだけで安らぐ活字好きで、本を読み、毎日、拡大鏡を使って新聞に目を通す。テレビは見ない。

 子どもの本とは何か。プーと出会い、ずっと考えてきた。答えを今も探し続ける。「子どもの本と大人の本。区別ははっきりしてきたようでありながら、私はまだ道筋の途中にいて説明できない。大人的な子どもの本ができるんじゃないかな、と思うときもある。大人と子どもの間をふらふらと歩いているのです」

      *

 いしい・ももこ
 1907年、埼玉県生まれ。日本女子大卒。40年に「クマのプーさん」(岩波書店)を翻訳刊行。54年に菊池寛賞。58年、「かつら文庫」を開く。93年に日本芸術院賞。「幻の朱い実」で94年度の読売文学賞。96歳で「ミルン自伝」を翻訳した。「ノンちゃん雲に乗る」「幼ものがたり」など小説も多い。

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◆語りとうてたまらへん 竹本住大夫さん(83) 人形浄瑠璃文楽大夫


竹本住大夫さん

 舞台の上手、張り出す「床」に切られた盆が、大夫と三味線奏者を乗せてくるりと回った瞬間から浄瑠璃は始まっている。「腰と下腹に力を入れて、息詰めて。どうぞ無事に務めさせて下さい、と詞章が書かれた床本を頭上に頂き、拝むねん」。すうと吹い込む最初の息から静かに物語が流れ出せば、静止していた人形が生命を得て、文楽の世界が動き出す。

 人形遣い、故・吉田玉男の受賞から10年。大夫で初の朝日賞に輝く竹本住大夫は、83歳の今も大夫の頂点「切場語り」として舞台の最高潮を語る。「状況も人物も、語り分ける大夫次第。こんな怖うて難しうて、ええもんはない。60年やっても足りん、まだまだ語りとうてたまらへん」

 文楽発祥の大阪に生まれ、父・六代住大夫の義太夫節が子守歌。芸道の苦労を知る両親の反対を押し切り大夫になったが、師匠・豊竹山城少掾(やましろのしょうじょう)は雲の上の人。目標は父と兄弟子の竹本越路大夫に据えた。「僕同様、腹力が弱くて悪声や。でもうまいこと声つかう」。「文楽、好きやねん」の一念で、父や越路大夫、三味線の二代野澤喜左衛門ら名人に可愛がられ鍛えられ、豊かな声量とあふれる情の〝住大夫節〟を練り上げた。

 礎は、労働問題で文楽が2派に割れた49年からの10年余。大夫が足りず〝分不相応〟な大役がついた。「しごかれて、食らいついて背伸びして。あの日々があって今がある」。両派の若手を勉強会に誘い、切磋琢磨(せっさたくま)した。充実の日々。分裂が解消した63年には、自信らしきものもついていた。

 「それがあかん。てんぐになった」。慢心は成長を阻む。けいこで失敗したある日、後輩らの前で喜左衛門が「これがお前らの兄さんや」。鼻がぽきんと折れた。「情けのうてなあ」。若手公演で「新口村(にのくちむら)」がついた。実は苦手。だが教えに忠実に、素直に語った。するとほめない喜左衛門が「水準に達しとる」と一言。うれしかった。今もつらい時には思い出す本物の自信になった。

 後進への指導は厳しい。「腹と息は基本。けいこで舞台で恥をかき、楽屋で怒られ、人生の機微を重ねてこそ情は出る。怒られるうちが花やで」。三味線や人形にも〝愛〟は注がれ、一座を引き締め導く牽引(けんいん)力となっている。「素直で好きなら成長する。もっと好きになれ、言うだけや。生きた文楽に永く続いて欲しいねん」

 76歳で引退し、89歳で没した越路大夫に「辞めたらあかんで」と言われ続けた。「一度退けばもうできん。僕は息は短こなったがまだ腹に力は入る。一日でも長く語りたい。生涯捧げた文楽やもん、願いはただ、それだけや」

 1月、大阪・国立文楽劇場の初春公演で「新口村」を語る。心新たに頭上に頂く床本には、来し方への感謝と行く末への真摯(しんし)な祈りが込められている。

      *

 たけもと・すみたゆう
 1924年、大阪市生まれ。実父は文楽三味線の鶴澤友吉、養父は人間国宝の六代住大夫。46年二代豊竹古靱(こうつぼ)大夫(後の山城少掾)に入門、四ツ橋文楽座で初舞台。81年大夫の最高位「切場語り」に昇格、85年七代住大夫襲名。89年、文楽では初という親子2代での人間国宝に。02年日本芸術院会員。05年文化功労者。

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◆壁破りHDD大容量化
 宮崎 照宣さん(64) 応用物理学者
 湯浅 新治さん(39) 物理学者


(左から)湯浅新治さん
     宮崎照宣さん

 別々の分野だった磁気と電気を一つにまとめた「スピントロニクス」が、注目を集める。宮崎さんと湯浅さんは、磁界をかけると電気抵抗が大きく変化する「トンネル磁気抵抗効果(TMR)」を持つ物質を発見。本来なら電気を通さない絶縁体をナノ単位まで薄くすることで実現した。読み取り部分に使われることで、ハードディスクドライブ(HDD)の容量が約50年前に比べ、2500万倍に増え、IT分野の発展に大きく貢献した。

 鉄とクロムからできた素材に磁界をかけると電気抵抗が変化する「巨大磁気抵抗効果(GMR)」が発表された88年。同じ分野の研究者だった宮崎さんは、少し別の材料に目を向けることにした。

 世界中の研究者がGMRの改良に取り組む中、室温での効果がほとんどなく、発見から20年近くも顧みられなかったTMRにあえて取り組んだのだ。いいと思ったら「何でもやってみて、決してあきらめない」のが宮崎さんの研究スタイル。従来の実験結果に「納得がいかなかった」からだった。研究資金が不足すると、民間企業で使い古した機器をもらって実験を続けた。

 TMR実現には、金属の間に挟む絶縁体をナノ単位まで薄い膜にする必要があった。この点もかつて金属の薄膜作りを経験した宮崎さんに有利だった。やがて、絶縁体に酸化アルミニウムを利用するとTMRが室温で実現できることを発見。均一で精度が高い薄膜作りに成功し、室温で磁気抵抗比約18%という画期的な成果を95年に発表した。

 宮崎さんの成果は、研究者としてスタートしたばかりの湯浅さんの耳にも届いた。「着実で手堅い成果より、まずこんな理想が実現すればいいな、ということを考えて目標を立てる」という湯浅さん。この時も当時は難しいとされていた磁気抵抗比100%超えを「若気の至り」で目標にした。

 01年、絶縁体に酸化マグネシウムを使うとさらに巨大なTMRが実現するはずという理論が発表された。世界中で実験が行われたが、成果が出ない。失敗して名誉が傷付くことを恐れて撤退する研究者が相次ぐ中、湯浅さんは「研究を始めたばかりで、失うものは何もないのが強みだった」とあきらめずに粘って研究を続けた。ついに酸化マグネシウムを単結晶にして使う方法を発見し、磁気抵抗比180%というTMRを04年に発表。世界を驚かせた。

 GMRは07年のノーベル物理学賞の受賞対象となり、TMRは今なお進化し続ける。こうした現状に、「誰にも見向きされなかったころのことを思うと夢のよう」と宮崎さん。湯浅さんは「世の中の進歩は速い。すでにTMRに代わる次の仕組みを考える時期に来ています」。

      *
 みやざき・てるのぶ 
 1943年、埼玉県生まれ。72年に東北大大学院工学研究科博士課程修了。同大助手、西独(当時)レーゲンスブルク大助手などを経て、91年に東北大教授に。07年から同大原子分子材料科学高等研究機構教授。

 ゆあさ・しんじ 
 1968年、神奈川県生まれ。96年に慶応義塾大大学院理工学研究科博士課程修了。工業技術院電子技術総合研究所研究官などを経て、04年に産業技術総合研究所エレクトロニクス研究部門スピントロニクス研究グループ長。

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◆世代・専門超え 難病と戦う
 福山 幸夫さん(79) 小児科医師
 戸田 達史さん(47) 臨床遺伝学者
 遠藤 玉夫さん(53) 生化学者


(左から)遠藤玉夫さん、
福山幸夫さん、戸田達史さん

  日本人の名前がついた病気は珍しい。その一つに「福山型筋ジストロフィー」がある。発見から、原因遺伝子の特定、似た病気も含めた発病の仕組みの解明までを、すべて日本人が手がけた。年代も専門分野も異なる3人の取り組みが、実を結んだのだった。

 53年に東京大病院小児科の医局に入った福山さんは、5年目ごろから、脳性まひや重症心身障害と診断された乳幼児に、筋力が低下する筋ジストロフィーでしか見られない症状を示す例があることに気づいた。

 当時、脳障害を伴う筋ジスは知られていなかった。同様の患者が15例集まった60年、福山さんは先天性脳障害と筋ジスを合併した新たな病気として学会で報告した。

 「初めはそんなに脳の変化が強いのは筋ジスではないと批判された」と福山さん。地道に他の型の筋ジスと鑑別できるよう臨床研究を蓄積。80年代以降は「福山型」の名が世界中の教科書に載るようになった。

 福山型が報告された60年に生まれた戸田さんが、その原因に迫った。

 東京大神経内科の医局員だった90年、原因遺伝子の解明には近親婚で生まれた患者を調べるのが近道であることをたまたま出席した会議で知った。「これだ、と身震いした」と戸田さん。全国の筋ジス診療施設に手紙を出し、協力患者の血液を提供してもらいに走り回った。

 93年には第9染色体上に原因遺伝子があることを解明。98年に461個のアミノ酸からなるたんぱく質を作る遺伝子に変異が起きているのを見つけた。福山型にちなみ、このたんぱく質を「フクチン」と名付けた。

 福山型は筋ジスでは日本で2番目に多く、年間30人前後の患者が生まれる。2千年以上前のたった1人の遺伝子の変異から広がった日本人特有の病気だとわかった。

 一方、様々な糖が連なった糖鎖と生物の関係を研究していた遠藤さんは、95年ごろから、筋肉細胞の膜にある糖鎖がくっついたたんぱく質を調べ、筋肉の構造や機能の解析を進めていた。この糖鎖の合成に必要な酵素の遺伝子を解明。病気との関係も調べようと、福山型の遺伝子解析をしていた戸田さんに共同研究を呼びかけた。

 01年、この酵素の遺伝子の変異で起こる糖鎖の異常が、福山型に似たMEBという病気を引き起こすことを突き止めた。その後、同様の糖鎖の異常が、福山型の患者や、同じような脳の先天的障害を合併した類似の病気の患者でも起きていることを明らかにした。

 フクチンはこの酵素にくっついて作用していた。遠藤さんは「こうした酵素を補充してやれば、糖鎖の異常による症状が改善する可能性がある」と話す。治療法がない病気の治療に、道が見え始めた。

      *
 ふくやま・ゆきお
 1928年、宮崎県生まれ。52年に東京大医学部卒。東京大医学部助教授、国立小児病院小児科医長などを経て、67年東京女子医大教授。94年に同大名誉教授。06年から米神経学会名誉会員。3カ所の診療所で診療を続けている。

 とだ・たつし
 1960年、岐阜県生まれ。85年に東京大医学部卒。東京大助手、東京大医科学研究所助教授などを経て、00年に大阪大医学部教授。04年から同大病院遺伝子診療部長を兼務。日本人類遺伝学会賞、日本神経学会賞などを受賞。

 えんどう・たまお
 1954年、千葉県生まれ。82年に東京大薬学系博士課程修了。東京大医科学研究所助手、東京都老人総合研究所糖鎖生物学部門研究室長を経て、05年に同研究所老化ゲノム機能研究部長。06年から首都大学東京客員教授を兼務。

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◆万能細胞 丹念な研究結実 山中 伸弥さん(45) 幹細胞生物学者


山中伸弥さん

 皮膚や肝臓、胃など、いったん組織の細胞に分化した体細胞は、もうそれ以上分化しないと考えられてきた。そんな発生生物学の常識を覆したのが、人工多能性幹細胞(iPS細胞)と名付けた万能細胞だ。

 マウスとヒトの体細胞に、もともと細胞内にある四つの遺伝子を細胞内で過剰に発現させると、未分化な状態に戻り(初期化)、万能細胞ができることを実証した。これまで万能細胞の代表格だった胚(はい)性幹細胞(ES細胞)と違って受精卵を壊さなくてもすむ。

 京都大の研究で、ES細胞と体細胞を融合させればESに似た細胞ができることが分かった。体細胞にも可能性があると感じた。「すでに研究が進んでいる分野より、体細胞の初期化実現で勝負しようと思った」

 初期化の因子は何なのか。まず、ES細胞の多能性を維持する因子と同じだろうと推測して、コンピューターでゲノム解析から始めた。

 関連していると思われる遺伝子は、データベース上だけでも、1万以上。この遺伝子をパソコン上で並べ替えたり、複数組み合わせたりして、初期化や多能性を誘導していると思われる遺伝子を集めた。4年がかりで、やっと24に絞った。

 最初に絞りこんだこの24の候補の遺伝子に、初期化にとって重要な因子が含まれていた。「幸運だった」と山中さん。

 これ以降は早かった。学生が以前に開発した特定の遺伝子の機能を失わせたノックアウトマウスを使い、細胞に導入する遺伝子の数を一つずつ減らしながら機能を調べ、数カ月で四つの因子を絞りこむことができた。一つずつでなく四つ同時に発現させると、うまく機能することが分かった。

 「こんなに簡単に作製できるとは」と感じたという。当時、韓国のヒトクローン胚の捏造(ねつぞう)が明らかになったころだった。念には念を入れ、複数の検証実験をし、論文発表まで箝口令(かんこうれい)も敷いた。

 昨年12月には、導入する遺伝子の数を三つに減らすことにも成功した。研究チームで対照実験中に見つかったが、最初は再現できなかった。わずかに薬剤を使うタイミングが違うためだった。

 延べ50人以上の積み重ねで、こうした成果を築き上げた。大好きなスポーツにたとえ、「この研究は駅伝のようなもの。今回の受賞は監督賞」と学生の健闘をたたえる。

 今回の成果は、受精卵を使うなどの倫理的な問題を回避することができ、将来的な再生医療への応用に期待がかかる。だが、「過剰な期待も、過剰な失望もしてほしくない」と山中さん。将来、iPS細胞が再生医療で役立つために、「僕のような基礎医学の研究者から、臨床に近い分野の研究者まで、幅広い連携が必要」と訴えた。

      *
 やまなか・しんや
 1962年、大阪府生まれ。87年に神戸大医学部卒。大阪市立大医学部助手、奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センター教授を経て、04年から京都大再生医科学研究所教授。06年度の日本学術振興会賞を受賞。

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