朝日賞 - The Asahi Prize -

2013(平成25)年度 受賞者一覧

◆宝塚歌劇団 ◆仲代達矢さん ◆小阪憲司さん ◆ 森和俊さん
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◆宝塚歌劇団/1世紀 戦禍と震災を越え


「ベルサイユのばら -フェルゼン編」のフィナーレ=2013年4月、滝沢美穂子撮影

 ミラーボールがきらめき、オーケストラの音が波うつように高まる。その時、大階段の真ん中に巨大な羽根を背負って輝くトップスター。これぞ、宝塚歌劇の華。フィナーレだ。

 初公演から、今年4月1日で100年を迎える。この女性だけの舞台は、兵庫県宝塚市の湯の町で生まれ、育まれた。

 宝塚といえば、男役。独特の低い声、決めポーズ、流し目でファンの心を射抜く。そして「ベルサイユのばら」。1974年に初演し、大ブームを巻き起こして社会現象に。再演を重ね、477万人を動員している。もはや宝塚の決定版、「忠臣蔵」だ。欧米などでの海外公演も重ねること25回。アジアを中心に、これからはさらに羽を広げていく計画だ。

 だが、道は平坦ではなかった。「その時々の生徒とスタッフが必死に守ってきた」と小林公一理事長。戦争では宝塚大劇場が軍に接収され、2年間閉鎖された。戦後、観客が減る〝冬の時代〟もあった。95年の阪神大震災では、前々年に新築した大劇場の施設が被害を受け、再開に2カ月かかった。

  「ファンのみなさんの愛に支えられてきました」。理事で主演男役をつとめる轟悠(とどろきゆう)さんの感慨は深い。

 100周年幕開けの大劇場公演「眠らない男・ナポレオン」主演の星組、柚希礼音(ゆずきれおん)さんは「清く正しく美しく、伝統と時代の風を融合させていきたい」。歌劇団の創始者、小林一三のDNAは確実に受け継がれる。=(河合真美江)

      *

 たからづかかげきだん 宝塚歌劇団。
 1914年4月1日、宝塚新温泉にあったパラダイス劇場で「ドンブラコ」など3作品を初めて上演。27年に日本初のレビュー「モン・パリ」。宝塚大劇場と東京宝塚劇場を拠点に常時公演。花月雪星宙の5組と専科で劇団員約400人。

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◆俳優 仲代達矢さん/演技一筋 今も探求心


西田裕樹撮影

 父を早く亡くし、11歳から様々な職に就いた。「終戦直後で学歴もなく、良い仕事はない。『お前は顔がいい』と言われて、たまたま役者になったが、天職とはいまだに思っていない。『うまい』演技って何か。死ぬまでプロでいるには、足りない技がまだあるなあ」

 演技を学んだ俳優座養成所には、電車賃がなく渋谷から六本木まで走って通った。いつも同じ服。ほとんどしゃべらず、やせて目を光らせていた。「戦争。どん底の貧乏。僕には世の中への〝怨念〟がある。暗さや背徳的なものを演じると快いのは、そのせいでしょう」

 60代のころから、作者が作品に込めた思いをまず考えるようになった。「テーマを伝えるために役があると養成所で教わったのが、やっとわかった」

 自宅で俳優を育てる無名塾は〝自然発生〟だった。養成所で2期先輩だった妻の宮崎恭子さんが演出、脚本に転じ、周囲に若い人が集まった。一升瓶を持って妻が仕切る稽古場をのぞくうち、若者とのおしゃべりが面白くなった。今は「こんな生き方もある、と生身で表現する演劇を、次世代にやってほしい」という思いを込め、妻亡き後も1人で塾を続けている。

 俳優座の恩師、千田是也さんが朝日賞を受けた1978年、祝賀会に付き添った。そこで作家の中野重治さんに「映画で成功しても舞台を続け、品格ある役者になれ」と言われた通り、映画と演劇を両方大切に生きてきた。「思い出深い賞を自分もいただけて感激です」=(織井優佳)

      *

 なかだい・たつや 本名元久(もとひさ)。
 1932年、東京生まれ。「人間の條件」「切腹」「影武者」など映画約160本に出演、舞台「どん底」「リチャード三世」などで紀伊国屋演劇賞ほか受賞。75年から「無名塾」を主宰。96年紫綬褒章。2007年文化功労者。

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◆精神科医 小阪憲司さん/「第2の認知症」を発見


早坂元興撮影

 認知症の中に、アルツハイマー型とは異なる症状や特徴を示す「レビー小体型認知症」を世界で初めて見つけた。各国の研究者の間では、「小阪病」の呼び名で通じるという。

 この認知症は大脳皮質に現れるレビー小体というたんぱく質の塊が原因で、実在しないものが見える幻視や動作が遅くなるパーキンソン症状などが特徴。うつ病などとも混同され、治療がうまくいかずに悩む患者や家族を救う道を切り開いた。

 発見のきっかけは新米医師だった1960年代、名古屋市内の病院で認知症の女性を診たときだった。パーキンソン症状が目立ったが、文献に当てはまる説明はない。「アルツハイマー型とは違うのではないか」と疑問を抱いた。

 女性は9年後、別の病気で亡くなった。脳を顕微鏡で見ると、大脳皮質に変わった塊があった。調べると、大脳皮質にはできないとされていたレビー小体だった。76年に定説を覆す論文を出した。

 発見後、世界で次々と同じ症例が見つかり、96年には国際的な診断基準ができた。約200人の認知症患者の脳を調べた結果、レビー小体型は2割で、アルツハイマー型の5割に次いだ。国内の患者数は推計で約50万人に上るという。

 発見から35年以上経ち、高齢化社会が来た。「認知症が注目される時代が来るとは」と驚く。今も診察を続けながら、「第2の認知症」の理解を広げるため、全国を回る。=(野中良祐)

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 こさか・けんじ。
 1939年三重県生まれ。65年金沢大医学部卒。医学博士。2003年横浜市立大名誉教授。10年からメディカルケアコート・クリニック(横浜市)院長。

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◆分子生物学者 森和俊さん/細胞の健康管理を解明


堀内義晃撮影

  細胞も人間と同じで、ストレスを受ければ弱ってしまう。その健康状態を小胞体という細胞内の器官がチェックし、「乳母」役となる分子が介添えして治している。この自主的な働き「小胞体ストレス応答」の仕組みで、カギとなる分子を探し当てた。

 この仕組みが働かないとストレスは解消されず、細胞が役割を果たさなかったり、異常な振る舞いをしたりする。糖尿病やパーキンソン病、心筋症など多くの病気に関わっていることが分かってきた。

 この分野の研究に入ったきっかけは、大学に入学したての頃耳にした、「遺伝子情報は大腸菌からヒトまで共通」という利根川進博士の言葉だ。スケールの大きな分子生物学にあこがれた。国内の大学で助手の職を得たが、30歳にして退路を断ち、1989年に米テキサス大に留学した。

  発見する前、細胞がストレスを受けた時のサインを突き止めようと、10万個の細胞のサンプルを見た。ストレス応答に異常がある細胞がたった3個見つかり、応答にかかわる分子を突き止めた。「10万と言うとアメリカ人には笑われたけど、きっとあると信じていた」。帰国後も、「乳母役」を増やす分子を発見。小胞体ストレス応答研究の突破口となった。

  「日々の研究は細胞相手でも、見ているのは生き物そのもの。『知りたい』という学問的な興味にとどまらず、人類の健康に福音をもたらすかもしれない」と期待を寄せる。=(川原千夏子)

      *

  もり・かずとし。
 1958年岡山県生まれ。81年京都大薬学部卒業。薬学博士。米テキサス大博士研究員などを経て、2003年から京都大大学院理学研究科教授。

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