朝日のびのび教育賞

朝日のびのび教育賞

2002年の受賞団体

創意と工夫、地域に開花 第4回「朝日のびのび教育賞」5団体受賞

 2002年10月18日 朝刊

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贈呈式・受賞者たち

 朝日新聞社の第4回「朝日のびのび教育賞」に、5団体が決まった。それぞれ学校や地域を舞台に、多くの人々が手を結び、創意と工夫に彩られた活動を重ねている。今年春から完全学校5日制が始まり、教育のシステムが大きく変わった。着実に成果を上げつつある各団体の活動には、今後の道筋を示すヒントが含まれている。各団体の横顔を紹介する。


奉仕 ベッド清掃、壁新聞も 子どもボランティア“かんじゃさんと一緒”(北海道)

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 病院のベッドを掃除するボランティア=札幌市内の病院で

 「掃除をさせてください」。札幌麻生脳神経外科病院(札幌市)の病室で、緊張した面持ちの子どもたちがベッドをふきはじめた。「ありがとう」と患者たちの言葉がかかると、子どもたちに笑みが浮かんだ。

 第2、第4土曜日の午前中、小学生から大学生までの20人ほどが二つの作業をする。一つは、薬を入れる袋を分けることなどの「裏方」の仕事。もう一つがベッドの手すりや車いすをふく清掃だ。

 経験が浅い子には、先輩が手本を示し、それを元患者や主婦らのボランティアや看護師が見守る。

 活動後、子どもたちは感動したことや大変だったことを壁新聞に記す。「楽しかった」「早くよくなって下さい」。廊下に張り出される壁新聞を、患者たちも楽しみにしている。

 献身的な看護で、意識障害のある患者が意識を回復することで知られる同病院が、子どもたちに現場を開放する試みを始めたのは95年だった。

 「感受性の豊かな子どもたちに、病気の人たちとともに生きることを肌で理解してもらいたい」と看護師たちが考えたからだ。

 初めは「裏方」だけだったが、看護の姿に感動した子どもたちが「患者さんに接したい」と強く希望し、清掃にまで広がった。

 子どもが定期的にボランティア活動をしている病院は珍しい。一つ間違えると病気の感染などの危険がある。同病院は感染の恐れがある場所で作業をすることがないように注意を払う。

 中学生2人から始まった活動には昨年度、26校から延べ405人が参加するようになった。

 まとめ役の城美奈子・副看護部長は話す。「子どもたちが無償の心で接するからこそ、患者は勇気づけられる。子どもたちも自分が役立つと実感でき、大きな喜びとなるんです」


夜学 年齢問わず無償の授業 松戸自主夜間中学校(千葉)

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 漢字を一字一字、丁寧に説明する=松戸市勤労会館で

 「解の字は右下は『牛』。上は突き出ますから間違えないように」。10月初めの夜、黒板に書かれた解答を一つずつ確認しながら、代表の藤田恭平さん(75)が漢字を丁寧に説明していく。中高年の女性3人と少年が熱心にノートを取りながら授業が進む。

 一斉授業が終わると、畳の部屋で個別授業が始まる。藤田さんは、少年に「正の数・負の数」の計算を丁寧に説明する。少し離れた場所では、数人のスタッフが知的障害を持つ女生徒の話し相手になっている。 生徒は週2回、夜6時から9時の間、好きな時間にやって来て勉強を教わったり、スタッフと自由に話をしたりして時間を過ごす。

 この日は、翌日にある「松戸まつり」の打ち合わせにも忙しい。別の部屋でタコ焼きづくりの準備が始まる。毎年出店するタコ焼き屋の収益が活動資金の重要な一部になる。

 83年に生徒6人、スタッフ21人でスタートした。授業料は無料、スタッフは全員無償のボランティアだ。開校当初は経済的な理由で義務教育を受けられなかった人などが多かったが、しだいに不登校や障害を持つ生徒の割合が増えてきた。これまで千人を超える「卒業生」が巣立っている。

 重度の知的障害を持ち、昼間は養護学校に通う高校生の娘に付き添ってきた母親(47)は話す。「ここでは年齢、性別、国籍など関係なく、さまざまな人が交ざり合ってやっていける土壌がある。ここに通い、半ばスタッフとしてさまざまな行事に携わる。「自分は小学校の算数も分からないけれど、ここでは勉強よりも大切なものを教えてもらっている」

 地道な活動を続ける夜の学びの場は、来年20周年を迎える。


国際 韓国の姉妹校訪れ学ぶ 和泉市立幸小学校(大阪)

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 来日した韓国・晋州市の蓬莱初等学校の友だちと「よさこい踊り」を楽しむ和泉市立幸小学校の子どもたち=大阪府和泉市で=幸小提供

 「国際交流の部屋」が校内にある。空き教室を利用した。室内にはチマ・チョゴリ、サッカー韓国代表のユニホームなどとともに子どもたちの顔写真が並ぶ。韓国・晋州(チンジュ)市にある蓬莱(ポンレ)初等学校の友人たちだ。

 95年、地元の少年サッカーチームが蓬莱初等学校のチームと親善試合やホームスティなどを通じた交流を始めた。これが縁で00年1月、両校は姉妹校になった。それ以来、子どもたちが互いの国を毎年交互に訪ねてホームスティを続けている。

 今年7月には幸小の47人が訪韓した。韓国語で人形劇を演じたり交流試合をしたりし、サッカーワールドカップ直後だったため、地元紙にも大きく紹介された。初めてホームスティした1年生の男児は「アボジ(父)やオモニ(母)は優しかった。友だちが増えて楽しかった」と喜んだ。

 子どもたちは帰国後も手紙を書いたり写真を送ったりして交流を続けている。幸小は在日韓国・朝鮮人が比較的多く住む地域にある。訪韓前には在日1世の高齢者を訪ね、日本に来た経緯や苦労話などを聞いた。大阪市生野区のコリアタウンに出かけ、日本と韓国の関係について勉強もした。総合学習の時間を活用し、友人たちの国についてふだんから学んでいる。

 昨年夏は教科書問題の影響で蓬莱初等学校の日本訪問が一時中止になった。だが、幸小からの呼びかけで今年1月になって来日が実現し、先生同士が互いの国の歴史教育について話し合う機会も設けた。

 「日本の教育に不信感を持っていた。でも先生たちの生の声を聞き、胸のつかえがおりた」。蓬莱初等学校のある先生の言葉だという。

 幸小では今年、太鼓などを奏でて舞う韓国の民族芸能「農楽」のサークルも発足。他校の先生も活動に加わるなど交流の輪は広がっている。


音楽 プロ交え地域祭典10年 練馬区立小竹小学校(東京)

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 「小竹の森音楽祭」に出演した「小竹の森音楽祭合唱団」の発表風景。 校長、町会長らの顔も見える=小竹小提供

 東京・池袋から電車で5分ほどの静かな住宅街にある小竹小学校(児童約280人)を会場に今年も「小竹の森音楽祭」が開かれる。10回目を迎えた学校、地域一体の催しだ。

 音楽祭はファンファーレを合図に始まる。

 最初は小竹小吹奏楽部の演奏。父親のグループが「ウルトラマンの歌」を歌う。幼児からお年寄りまで約50人の合唱もある。

 最後はプロ、アマ合同の歌劇「カルメン」上演。タクトを振るのは東京シティ・フィル常任指揮者の飯守泰次郎さんだ。

 ステージに立つ人、会場飾り付けなどの裏方をつとめる人・・・。総勢約400人が音楽祭を盛り上げる。

 今年も学校、小竹町会、PTAの3者による実行委員会が音楽祭のテーマ(旅立ち)を決め、プログラムを練った。出演メンバーは土曜、日曜に小竹小音楽室や近くの教会で練習を重ねた。

 小坂茜校長のほか、町会会長の松本春雄さん(酒店経営)、PTA会長の佐怒賀正美さん(出版社勤務)も合唱団の一員だ。

 音楽祭誕生のきっかけは、10年前、4年生の母親たちが開いたミニ音楽会だった。

 招待された当時の校長が、「学年だけでなく、学校、それに地域にも広げた行事にしよう」と発案した。回覧板で学校のアイデアが地域に伝わり、翌年度、さっそく実現した。

 「小竹の森」は、校庭の一角を占める小さな林の名前にちなむ。

 小竹町周辺には武蔵野音楽大や日本大芸術学部がある。小竹小卒業生で、音楽の道に進んだ人も少なくない。そのネットワークがプロの演奏家らの協力を得る際に力を発揮する。

 小坂校長は「音楽祭が町のシンボルとなり、年齢や仕事をこえた住民同士のきずなが一層強まった。色んな面にプラスの影響が出ています」と語る。


交流 大人が指導、講座多彩に わくわく塾(鹿児島)

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 放課後の合唱教室。子どもも大人も真剣な表情だ=鹿児島県加世田市の益山小学校で

 「授業以外の場で子どもたちを育てたい」。鹿児島県加世田市の益山小学校を舞台に、そんな思いを持った地域の大人たちが集まり、95年10月から活動を始めた。

 大人たちが指導者になって10講座を開講した。ケーキ屋さんはお菓子作り、消防署員は山登り、電気屋さんは風力発電の実験、中学3年生の女子生徒はイラスト――。みんな得意分野を教えるボランティアだ。

 ある放課後の校舎、加世田市議の諏訪昌一さん(48)が、13人の子どもたちに合唱を教えていた。8月には老人ホームでコンサートを開いたという。

 練習が終わると、何人もが諏訪さんに「おじちゃーん」と抱きついた。「子どもたちの様子を見るのも大切は役目なんです」と諏訪さんは話す。

 5年生の二田愛加奈さん(11)は「わくわく塾は大好き。山登りやケーキ作り・・・。初めてやることがいっぱい」。集まった小学生たちは「中学生になっても遊びに来る」と口をそろえた。

 7年間に約500の講座を開いた。のべ約4900人の子ども、約650人の親たちが参加し、約550人が指導にあたった。

 最近は塾のうわさを聞いて、他の校区から子どもがやってくる。塾は「学校の壁」や「大人と子どもの枠」を超えて、地域に根を張りつつある。

 子ども以上に楽しんでいるのは大人の方かもしれない。塾を通じて知り合ったお父さんたちは料理教室を結成し、横のつながりもできた。

 最高齢の宇都孝夫さん (68)は「パソコン教室で教えるのが生きがいになった」と話す。たこ作り担当の自動車塗装業の男性は、工場で何度も試作する懲りようだ。

 創設時から運営にかかわってきた加世田市職員の塩賀千弘さん(48)は「ここまで続いてきたことが誇り。大上段に構えず、今後は子どもたちの『その後』も追っていきたい」と話す。