手塚治虫文化賞

第5回マンガ大賞

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マンガ大賞

岡野玲子 原作・夢枕獏 『陰陽師』(白泉社)

《描き手のツボはすべて押さえられている(岡野玲子)》

 『陰陽師』は、描き進めて行くうち、原作から随分離れてしまったが、描き手である私の手からも、実は離れてしまっている。私をじっと見つめて描き手に智恵を与えながらも、こちらのぬかりに厳しくチェックを入れる一対の目があり、七巻の頃から、一寸もそらせることもできず睨み合ったままである。それは、第10巻を仕上げる資格があるのか、続けて11、12巻を描いてゆく資格があるのか、描き手自身に厳しい突っ込みを入れてくる。

 その突っ込みに対し、素早い善処が求められる。それは作品のクオリティを保つために描き手が諦め、目をつぶっていた環境やスタッフ、描き手自身の健康にも及んだ。その一つ一つへの対処にも完全性を求められる。問題の10巻の原稿をすべて入稿した直後、この賞の大賞を受賞した知らせが届いた。まんじりともしない一瞬があった。

 10巻までの描き手の選択を「諾(よし)」と認められた、飴でもあり、続く巻を進めても「諾(よし)」と許可する、鞭でもある。描き手のツボはすべて押さえられている。

 こりゃ新手の試練だ。

 描き手は義理の父の名を冠する賞を謹んで拝受し、続く『陰陽師』の完成まで、勝ち目のないジャズのセッションをしてるみたいだが、善処させていただきたい、と謹みて、謹みて、思う。

《岡野・漫画の一ファンとして乾杯!(夢枕 獏)》

 ぼくの大好きな手塚治虫さんの名前のついた賞をいただけること、本当に嬉しく思います。ぼくは、原作者ではありますが、漫画『陰陽師』の一ファンです。

 原作を素材としながら、岡野玲子さんが、この『陰陽師』を、漫画という手法でより完成度の高い作品にしてくれました。これは、誰にでもできるということではありません。岡野玲子という才能があってはじめて可能であったことと思います。

 連載第1回目を読んだ時には、震えがきました。とてつもない作品に出合ってしまったという興奮で、あちこちの知人に電話をして、岡野版『陰陽師』をほめちぎった記憶があります。

 ぼくは、この賞の審査委員のひとりであったので、『陰陽師』がノミネートされた時には、たいへん迷いました。この素晴らしい作品にはどうしても高い評価をせざるを得ず、かといって、審査委員が自ら原作をやっている作品に高い点数を入れるというのもどうかと思い、今回は、投票を辞退させていただきました。岡野さん、おめでとうございます。

 一ファンとして、乾杯したいと思います。


《岡野玲子》

 おかの・れいこ。本名・手塚玲子。1982年、『エスタープリーズ』(プチフラワー)でデビュー。少女コミックを中心とした活動の中、『ファンシイダンス』(プチフラワー)が男女を問わず若い読者の注目を集める。89年、『ファンシイダンス』で小学館漫画賞を受賞、同作品は本木雅弘主演で映画化された。同年、少年誌での初連載となった『両国花錦闘士』(ビッグコミックスピリッツ)が空前の相撲ブームを巻き起こす。現在は中国の唐時代がモチーフの『妖魅変成夜話』(月刊百科)と、今回の受賞作品『陰陽師』(メロディ)の2作品を連載中。その他、『music for 陰陽師』をはじめ、自らの作品のイメージ音楽プロデューサーなど、幅広く活動。常に時代をリードしていく発想で作品を生み出している。

※受賞者プロフィールは当時のものです。


《夢枕 獏》

 ゆめまくら・ばく。1951年、神奈川県生まれ。作家。日本SF作家クラブ会員。77年、SF専門誌『奇想天外』で商業誌デビューをする。79年に集英社コバルト文庫より『ねこひきのオルオラネ』を処女出版。82年に現在も続く「キマイラ・吼」シリーズをスタートさせた。以後、84年に「サイコダイバー 魔獣狩り」シリーズ、『闇狩り師』などを発表。86年には『オール読物』で「陰陽師」がスタート。89年、『上弦の月を喰べる獅子』で第10回日本SF大賞を受賞。93年10月、「芸術祭十月大歌舞伎」で、坂東玉三郎のために書き下ろした『三國傳来玄象譚』(安倍晴明・源博雅)が上演される。98年、山岳小説『神々の山嶺』で第11回柴田錬三郎賞を受賞。99年、朝日新聞夕刊に「陰陽師 生成り姫」を連載した。近著に『餓狼伝12』(双葉社)『キマイラ4』(朝日ソノラマ)『新・魔獣狩り7』(祥伝社)などがある。『陰陽師』はNHKテレビで01年4月から放送のほか、10月、映画でも公開。

※受賞者プロフィールは当時のものです。