手塚治虫文化賞

第10回マンガ大賞

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マンガ大賞

「失踪日記」 吾妻ひでお作(イースト・プレス)

©吾妻ひでお/
イースト・プレス

《自分が主役 冷めた視点》

 「ナンセンスギャグは、常に新しいアイデアで作っていかなければならないので、個人の力では限界がある。自分としては、それを乗り越えて復活したというより、別の道に行ったと思っています」

 2度の失踪とアルコール依存症での入院を経て、再びマンガ家として描きだしたことをこう振り返る。

 「失踪日記」に通底するのは、異常な経験を冷めた目で見ている第三者の視点だ。

 「実際にホームレス生活をしている時はすごく厳しかったが、時間をおいて思い出してみると、なんか間抜けというか笑える。結局はホームレスも日常になっていくんだなと。『アル中』だってそれがいつもの生活になる」

 1度目の失踪を描いた部分では、腐りかけた毛布を拾って寒さをしのぎ、ゴミをあさり、空き瓶からわずかな酒を集める自分の姿を克明に描く。悲惨な生活のはずなのに、毎日それなりに工夫して生きていく姿はどこかコミカルだ。

「失踪日記」から©吾妻ひでお/
イースト・プレス

 2度目では、なぜかガスの配管工として働くようになる。どんどん体はたくましくなり、資格試験の勉強まで始める。さらには、親会社の社内報に自らマンガを投稿してしまう。描けずに逃げてきたはずなのに。

 「常に自分を第三者として見てしまうというのはありますね。マンガの中の住人になるというのが、子どものころからの願望なんです。何にも悩まないで、バカみたいで楽しそうでしょ」

 受賞作が話題になり、再びマンガの仕事もポツポツと来るようになった。入院を契機に始めた断酒も7年を迎えた。

 「なるべく自分を追い込まないようにしています。朝起きて、午前中2、3時間仕事をしたら午後は休み。図書館でぼーっとしたり、散歩したり。断酒と一緒で、無理をしないで少しずつ積み重ねていきたいですね」

《吾妻ひでお〈あづま・ひでお(ひと))》

 路上生活2回、アルコール依存症での入院1回。はちゃめちゃな体験をコミカルに描いた「失踪(しっそう)日記」で、第10回手塚治虫文化賞の大賞に決まった。日本漫画家協会賞をはじめ、主な賞は総なめの快挙だが、本人はどこ吹く風だ。

 デビューは69年。少年誌などで、SF、不条理、美少女といったマイナーな新ジャンルを切り開いてきた。「賞をもらうような、王道を行くマンガ家じゃない。つい自分の趣味に走っちゃうんで」

 斬新な表現をすればするほどついてくる読者が減っていくのがギャグマンガ家の宿命。連載を2度放り出し、家族を捨てて失踪した。最初は89年。雑木林で自殺しようとしたが死にきれず、そのまま4カ月暮らした。92年の2度目にはなぜかガスの配管工に。98年には酒に逃げ、アルコール依存症で入院した。

 「このマンガは一応、奥さんに向かって描いてるんです。口では言いにくいから。ざんげ、じゃない。こういう面白いことがあったよって」

 破天荒さとは裏腹に、時々、酸いも甘いも知り抜いたような優しい笑顔になる。「笑いは現実のつらさを一瞬でも忘れさせてくれるんで、自分にとっては唯一の救いみたいなもの」「4月に断酒7段になったんだよ。断酒7年で。受賞とどっちがうれしいかって? 同じぐらいかな」

 いま、「アル中日記」(仮)を描いている。

 (文・西田健作)


《吾妻ひでお》

 あづま・ひでお。1950年、北海道生まれ。板井れんたろう氏のアシスタントを経て69年にデビュー。「ふたりと5人」「やけくそ天使」などのギャグ、「ななこSOS」などの不条理、SF、さらにおたくの源流ともいえる美少女ものなど、幅広いジャンルで多数の作品を発表する。  79年に「不条理日記」で第10回日本SF大会星雲賞のコミック部門賞を受賞。「失踪日記」は、第34回日本漫画家協会賞大賞、第9回文化庁メディア芸術祭のマンガ部門で大賞を受賞している。

※受賞者プロフィールは当時のものです。