手塚治虫文化賞

第11回新生賞

第11回 | マンガ大賞 | 新生賞 | 短編賞 | これまでの受賞の記録

原作にこだわり10年、異端の面白さ

「神聖喜劇」のぞゑのぶひささん作画、岩田和博さん企画/脚色(幻冬舎)

©のぞゑのぶひさ/幻冬舎

 大西巨人さんが四半世紀かけて完成させた戦後文学の傑作「神聖喜劇」。その大ファンだという岩田和博さんが「どうしてもビジュアル化したい」と考え、以前の仕事仲間、のぞゑのぶひささんに話を持ちかけたのが始まりだった。

 大西さんもマンガ化を承諾。さっそく取りかかったものの、帝大を中退した日本陸軍の2等兵、東堂太郎が圧倒的な記憶力を武器に軍隊生活に挑む重層的な人間ドラマは、セリフを一コマにおさめるだけでも大変な作業だった。

 岩田さんは「かつて自分が味わった感動を損なわないためにも、原作に忠実であること」にとにかくこだわった。「絵になりやすい部分をもらさず描いても、七三分けの隊長がいるはずがないと直されたり、仕上げも大変だった」と、のぞゑさん。

 わかりやすくするために時制を入れ替えたりはせず、セリフの縮小も最小限に抑えた。連載による雑誌編集者の介在をおそれ、自費出版も覚悟に、10年かけて書き下ろした。

 空白を埋め尽くすかのようにびっしり描き込まれたセリフや文章に、「労作だけれども、原作そのままで、マンガとして独立した表現になっていない」などの意見も出て、選考委員会では評価が割れた。

 「このマンガをきっかけに、原作を読んでほしい。それが一番の願いです」と岩田さんは話す。

《のぞゑのぶひささん(ひと)》

 受賞作となった初の長編漫画は大西巨人さんの同名小説が原作だ。重厚感たっぷりの名著とがっぷり四つに組み、描き始めて10年目の一昨年に完成させた。

 漫画家になったのは40歳を過ぎてから。それまでは、「10は下らない」という職業を転々とした末に、大阪でスパゲティ屋を経営していた。もうからず、ぜんそくも発症。店員が読んでいた漫画雑誌の「大賞100万円」の広告を目にし、「おれでもできるやん」と考え、店をたたんで上京した。

 自称「器用貧乏」で腰は軽い。以前、グラフィックデザイナーをしていたという経験だけをたよりに、漫画誌への投稿を続けていた。「なにか戦争モノを」と考えていた矢先に、旧知の企画者から原作小説を薦められた。軍隊内でのヒエラルキーや差別を活写する濃厚な作品世界に一気に引き寄せられた。

 漫画化は3、4年で終わるだろうと高をくくっていたら、小説のセリフをそのまま生かすことの難しさに何度も直面。栃木県那須町の別荘地に自らの手で建てた家で暮らしながらも定期収入は無く、「嫁さんの親の遺産」で食いつないだ。

 ペンを握り、原作に近づこうと、画面にびっしりと黒い線を描き込む日々。完成後も「どこも出版してくれないのでは」という不安にとりつかれ、「仕事を変えたろうか」と悩みもした。

 最後の第6巻が1月に出版され、再び、戦争を描く新作に取り組み始めた。

 (文・秋山亮太)


《のぞえ・のぶひさ》

 49年、佐賀県生まれ。3歳の頃、関西に移り、京都や大阪で様々な職業を経験。「伏」や「木金堂主人」を発表。栃木県那須町で創作を続けている。

※受賞者プロフィールは当時のものです。


《いわた・かずひろ》

 47年、京都府生まれ。大学卒業後に会社員を経て、ファッションショーの演出や、京都の催事などをプロデュースしている。京都市在住。

※受賞者プロフィールは当時のものです。