ジャーナリズム

いまこそ「記者の時代」

朝日新聞社は2013年4月から特別編集委員制度をスタートしました。報道機関が読者の信頼を得ていくためには、卓越した取材力と文章力を備えた記者が必要なのは言うまでもありません。朝日新聞は、これまでもコラムニストや編集委員などを中心に、日本を代表する記者を輩出してきました。紙の新聞だけの時代からからデジタル時代に移りつつあるいまこそ、「記者の時代」といえます。

新たに就任した3人の特別編集委員は日曜朝刊のコラムを担当するのを始め、地球的、歴史的な角度からの独自の視座を提供しています。

星浩記者は政治を主なフィールドとしてワシントン勤務も経験し、テレビ出演も含め幅広い人脈を持っています。政治の舞台裏を含めた日本社会を担当しています。冨永格記者は天声人語を6年にわたって担当したほか、欧州駐在や経済記者の経験もふまえ、仏パリを拠点に欧米などの最先端の動きを伝えています。山中季広記者はニューヨーク支局長から社会部長を経験。部長時代から大型コラムを担当しました。香港を中心にアジアの動きを担当しています。

これとあわせ、朝日新聞は編集委員や専門記者を大幅に増やしています。「顔の見える記者」を通して読者のみなさんに朝日新聞をより身近に感じていただければと願っています。

街の空気発信し、21世紀論じる   冨永格・特別編集委員


ベルリンで取材する冨永特別編集委員

転機らしきものは、経済記者だった二十数年前、フランスに語学留学したことでしょうか。以来、日本とヨーロッパを行き来するような経歴を重ね、「こちら」での生活が通算10年を超えました。正直、こういう人生になろうとは思いもしませんでした。

そもそも海外志向があったわけではありません。記者としても朝日社員としても、ベストセラー風にいえば「置かれた場所で咲きなさい」を心がけてきただけです。

見て聞いて、調べて考え、考え抜いて書く……ジャーナリストはこんな「案配」が理想でしょうが、現実にはなかなか考える余裕がありません。私の記者生活も、だいたいは「見て聞いて、書きまくる」の連続でした。

勝手が違ったのは「天声人語」を担当した6年間です。「見て聞いて」はもっぱら初報を書く一線記者の仕事で、コラム筆者は「調べ、考え抜いて書く」を求められます。聞き出す力よりこなれた文章、専門性より雑学という優先順位は、50歳にして初めての経験。ほとんど別の仕事でした。

こんどは特別編集委員という新たなミッションです。一線復帰といえば聞こえはいいけれど、取材と表現の双方に、ベテランなりの技をお見せしないといけません。若手に負けないフットワークで、街のざわめきやにおい、同じ空気を吸っていなければ書けないコンテンツを発信したいものです。欧州はもとより、激動の東アジアと日本、さらには21世紀という時代を論じたいと思います。

思えば、何にでも首を突っ込む子どもで、下手な絵や字を大人に見せるのが大好きでした。それがプロとしての取材力、表現力につながったかどうかはさておき、好きな仕事を続けられる幸せを日々感じます。そして、いまさらゴマをする気はありませんが、自由な社風を生かすも殺すも自分次第だと。

情熱胸に冷めた目で政治みる   特別編集委員・星浩


日本政治についてのシンポジウムで発言する星特別編集委員

政治記者になったのが1985年。中曽根康弘首相を追っかける番記者だった。靖国神社を公式参拝する中曽根氏に食い下がって質問した記憶がある。自 民党一党支配の中で消費税導入、リクルート事件と続いた。冷戦崩壊と軌を一にするように、自民党が政権から転げ落ちた。小選挙区制の導入、小泉ブームなどを経て2009年には本格的な政権交代が実現した。そして政権再交代。そんな政治大乱を見てきた。

政治記者には「政局ばかりで政策がない」といった批判がつきまとう。政治家が小粒になって、政治家の物語も魅力がなくなった。それでも、日本の進路を決めるのは政治家たちだ。巨大な官僚群の動向をウオッチすることも欠かせない。権力者がどんな政策を企図し、実現しようとしているのか。丹念に事実を集め、政治状況を描いていくのが政治記者の仕事だ。

若い記者たちは早朝から深夜まで走り回っている。デスクは情報の価値判断に連日、頭を悩ませている。同じような経験を重ねてきたベテラン記者として、自分なりに情報を集め、時にはコラムを書き、テレビでも発信していきたい。「永田町の暗闘」だけではなく、外交や社会保障などの政策課題を分かりやすく伝えるのも、大切な仕事だと考えている。

政治の混迷が言われて久しい。でも、政治をあきらめるわけにはいかないし、期待しすぎるわけにもいかない。冷めた目で、しかし、情熱を失わず、政治を見続けたい。

「食うためだけじゃない」 誓い胸に   山中季広・特別編集委員


インドで取材する山中特別編集委員004

出張先の国々で時間があくと、地元新聞社の見学に出向きます。それらしい口実を設けてから訪問しますが、飛び込みもあります。

何年か前、米地方紙の編集局で見た1枚の張り紙が忘れられません。

“You are not here to merely make a living.”

「食うためだけに記者やってんじゃない」。稼ぎより大切なものがある、そう信じて記者になった、あの志を忘れたのか──。

編集幹部が掲げた標語ではありません。辞めようかと悩み始めた一記者が自席に貼った言葉でした。読んでちょっと胸が熱くなりました。

新聞という事業が、欧州で生まれて400年がたちました。残念ながら産業としての拡大局面はもう過ぎたようです。米研究者は2005年がピークだったと推計しています。

新聞はなるほど衰退メディアかもしれません。それでも私には確信があります。もし新聞という紙の媒体が消えたとしても、記者という仕事が消えることはありません。民主主義の政体が続く限り、権力の不全や社会のひずみを調べては伝える機能が欠かせないからです。いつの世でもどこの国にも、住民の代わりに取材して回るだれかが必要なのです。

今年の春から、香港を拠点にアジア全域を取材しています。初めて訪れたインドで炎暑に寝込んだりまるで楽ではありません。取材が頓挫したり書いた記事の反響がさえなかったりすると、ひどく落胆します。

自信を失いそうになった日は、駆け出し時代の青臭い志の束の何枚かを、胸の奥から取り出して見つめます。「食うためだけに記者になったんじゃない」と誓った1枚は私の胸にもあります。