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朝日新聞社CSR報告書・会社案内

時代の進むべき道照らす 志ある私企業として

 人々が、車が、押し寄せる波にのまれていく。あの光景が、幾度となく脳裏によみがえります。2011年3月11日の東日本大震災とそれに続く東京電力福島第一原子力発電所の事故は、まさに日本社会の根幹を揺るがす大災害でした。命のはかなさの前に立ちすくみ、なくしたものの尊さを思って言葉を失いました。豊かな暮らしを支えてきた社会と科学文明のもろさに、あらためて気づかされもしました。

震災 総力で取材・配達

 地域の第一線で仕事をしている朝日新聞社の記者たちも、被災者になりました。選挙の取材中に激しい揺れに襲われ、魚市場の3階駐車場に走りこんで朝刊に迫真のルポを送稿したベテラン記者は、まる一日音信不通になりました。ライフラインが絶たれ、底冷えに凍える中で、がれきをかき分けながら、あるいは目に見えない放射能の恐怖とたたかいながら、取材に歩き回った記者も少なくありません。朝日新聞社は震災当日から10カ月の間に全国各地から延べ784人の記者を岩手、宮城、福島の3県に送り込み、総力を結集して取材に当たりました。

 朝日新聞グループでも販売所ASA(朝日新聞サービスアンカー)の所長さんやアルバイト店員さんら6人が犠牲になり、印刷工場や販売網が大きな被害を受けました。しかしながら、こうした困難なときだからこそ、正確な情報、役に立つ情報をいち早く読者の元にお届けしなければなりません。橋が流され、寸断された道路と悪戦苦闘しながら、ASAの従業員のみなさんが新聞の束を被災地の避難所まで運び込みました。被災者の方々が駆け寄ります。新聞を食い入るように読む被災者の輪が広がります。「新聞が待ち遠しかった」「いざというときには、やはり新聞の情報が頼りになる」。私たちの仲間は、そんな声をあちこちの被災地で聞きました。新聞が持つ公共性という役割の大切さ、社会的責任の大きさを、震災を通じて、私たちはあらためて胸に深く刻みました。

 朝日新聞社は「志のある企業」です。私企業でありながらも、公共益を追求する。世のため人のために奉仕する。そのことは、いかなる時でもおろそかにできない私たちの原点です。

 ネットには大量の情報があふれています。しかし、何が正しく信頼できる情報で、真実はどこにあるのか、見えにくくなっているように感じることはないでしょうか。新聞の使命の第一は、正確な情報を読者のみなさまに伝え、読者とともに考えながら、時代の進むべき道を照らし出すことです。「不偏不党」と社会正義に立脚して、権力を監視し、不正や腐敗、暴力とたたかうことも、ジャーナリズムに欠かせない役割です。

リベラルな伝統引き継いで

 朝日新聞は今から133年前の1879年(明治12年)に大阪で生まれました。間もなく東京に進出し、近代国家の発展とともに発行部数を伸ばし、日本を代表する新聞社へと成長していくことになります。その過程では、軍部に抗しきれず、迎合して、結果的に無謀な自爆戦争に国民を駆り立てていった痛恨事もありました。戦後は、そのことへの痛切な反省に立って、平和と民主主義を守り、発展させることに力を尽くしてきました。この世界から戦争や貧困、理不尽な差別をなくすことを繰り返し訴えてもきました。そうした朝日新聞のリベラルな伝統を引き継いだ上で、新しい未来を創造していくことに、私は深い誇りと使命を感じています。

 朝日新聞の報道・編集を支えるのは、優れた人材です。長い取材経験と人脈を持ち、専門性の高い知見を備えた記者、編集者がたくさんいます。ポイントを押さえた彫りの深い分析、解説記事、迫力あるルポは他の追随を許しません。優れた報道で国際理解に貢献したジャーナリストに贈られる「ボーン・上田記念国際記者賞」を中国総局と上海支局の記者が2010 年度、11 年度と2 年連続で受賞しました。ともにさまざまな制約から取材が難しい中国での果敢な取材活動が評価されたものです。グローバルかつリアルな視点と深い取材で、問題の核心に迫る日曜朝刊の別刷り「GLOBE」では、ジャーナリズムの可能性を探る野心的な挑戦が続いています。

独自報道に力 不断の検証も

 記者クラブに頼ることなく、地をはうような粘り強い独自取材から生まれるスクープ記事の多さも、ぜひお伝えしたいことのひとつです。1980年代後半の日本の政治と社会に大きな衝撃を与えたリクルート事件の発掘は、メディア史に残る輝かしい成果でした。2010年の大阪地検特捜部の検事による証拠改ざん事件のスクープ記事は、記憶に新しいところでしょう。福島第一原発事故をめぐる朝刊3面の長期連載記事「プロメテウスの罠(わな)」は、事故の裏で何が起きていたのか、首相官邸や東電などの動きを徹底した取材で追跡し、一枚一枚薄皮をはぐように事実を明らかにしていくシリーズで、大きな反響を呼んでいます。「新聞が報じなければ、永遠に世に知られることはなかった」と読者のみなさまに評価していただけることほど、誇らしいことはありません。こうした調査報道にはいちだんと力を入れてまいります。

 メディアの仕事に携わるだれもが戒めなければならないもの。それは、自分たちの報道や論評だけはいつでも正確で的を射ている、と思い込むおごりです。「無謬(むびゅう)の神話」に寄りかかれば、ジャーナリズムの息の根は止まってしまいます。今度の原発事故の後、論説委員室の長い論議を経て社説は「原発ゼロ社会」を目指す方向を打ち出しました。では、朝日新聞はこれまで原発問題をどう報じ、論じてきたのか。連載「原発とメディア」では、過去の朝日新聞の姿勢をつぶさに検証しています。以前には昭和報道や戦争報道を、当時の関係者の証言を交えて厳しく検証しました。ときに身を切るような思いもしますが、読者の信頼があって初めてジャーナリズムが成り立つことを考えるなら、避けては通れない道です。

 21世紀は目まぐるしいスピードで世界が変化し、社会はますます複雑になっていきます。そこには立場や世代によってさまざまな意見があり、対立があります。独善に陥らず、お互いを尊重しながら、率直に主張をぶつけあうことで相互理解は深まります。国民に確かな判断材料を提供することによって、民主主義は成熟していくのだと私たちは考えます。内外の識者たちが持論を自在に展開し、火花を散らす朝刊の「オピニオン面」は、日本のメディアとしては朝日新聞が初めて道を開いた本格的な言論フォーラムです。

紙とデジタルの共鳴

 いまや、記者や編集者が活躍する舞台が紙の上だけ、という時代は終わりを告げようとしています。朝日新聞社は2011年5月に「朝日新聞デジタル」を世に送り出しました。高機能のデジタル媒体を多くのユーザーが使いこなす時代に合わせ、刻々と変わる最新の情報を文字や動画で提供するとともに、紙の新聞の楽しさをデジタルでも味わってもらおうという試みです。朝日新聞は「紙も、デジタルも」というハイブリッド路線を強力に推進し、お客様の声をお聞きしながら、さらに使い勝手のよいツールを目指して改良を重ねていきます。紙とデジタルが共鳴しながら、どのような未来シンフォニーを奏でていくことになるのか、どうか今後の展開にご期待ください。

「オール朝日」の総合力を発揮

 新聞が親しまれ、信頼される商品であるためには、「オール朝日」の総合力がものをいいます。全国で約770万部の朝刊、約290万部の夕刊が、ご家庭や職場に届けられます。それを支えるのは、北は北海道の稚内から南は鹿児島県の奄美大島まで、全国に張り巡らされた販売所ASAの販売網と、そこに働く7万人近い社員とアルバイトのみなさんです。販売とともに本社の営業基盤を担う広告部門は、ときに大胆で独創的、しなやかな感性にあふれた魅力的な広告を発信し続けています。本紙の美しいカラー印刷技術は、国際コンクールで「世界ナンバーワン」の評価をいただいております。

 スポーツ、文化芸術、学術などの振興や、地球環境の保全、人々の健康増進などを通じて、メディアの社会的責任を果たすことも重要です。朝日新聞社は夏の全国高校野球選手権大会や、福岡国際マラソン、横浜国際女子マラソン、吹奏楽、合唱コンクールなどを主催し、サッカーはJリーグ百年構想パートナーとして10年目を迎えています。長年にわたって、国内外の優れた芸術作品の紹介などを通じてわが国の文化の向上に寄与してきたことは、私どものささやかな誇りです。最近では、神品といわれる中国・南宋時代の「清明上河図」を中国国外では初めて公開した「北京故宮博物院展」や、恐竜にまつわる最新の研究成果を一堂に集めた「恐竜博2011」などが話題を呼び、大勢の来場者がありました。

 受験、就職、社会人研修、そして生涯学習と、人は一生を通じて「学び」と無縁ではおられません。朝日新聞社はさまざまな学びをバックアップするための組織として「教育総合センター」を2012年春に立ち上げました。新聞記事や写真、グラフをふんだんに使って現代社会のさまざまな問題を考える総合教材「今解き教室」や、「語彙(ごい)・読解力検定」などメニューは多彩です。看板コラム「天声人語」の書き写しノートは発売以来、各世代で人気を集め、100万冊を超える大ベストセラーとなっています。

 さて、2012年秋には朝日新聞社創業の地である大阪に「中之島フェスティバルタワー」が完成します。地上200メートル。建築技術の粋を集めた威風堂々のタワーが大阪の新しいランドマークとして親しまれるとともに、朝日新聞のさらなる飛躍のシンボルになるよう願っています。

結びに代えて

 もう36年も前になります。私は岐阜で朝日新聞記者としてのスタートを切りました。早朝の静まり返った支局で、一本また一本と鉛筆を削ることから毎日が始まりました。あのすがすがしさは、今でも忘れられません。時代がどんなに移りゆこうとも、新聞作りの原点を大切にしたいものです。

 「Cool Head, but Warm Heart」という言葉があります。冷静な頭脳と温かい心。新聞に求められるものも、突きつめるとこの二つではないか、と考えることがよくあります。真実を求めてやまない凛(りん)とした厳しさと、春の陽射しのようなぬくもりを併せ持つ新聞。そんな朝日新聞を読者のみなさまにお届けできますよう、微力を尽くしたいと思います。

朝日新聞社代表取締役社長
木村 伊量

 きむら・ただかず 1953年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。1976年4月朝日新聞社入社・岐阜支局員、1980年4月名古屋本社社会部、1982年4月東京本社政治部、1993年9月米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、1994年8月アメリカ総局員(ワシントン)、1997年2月政治部次長、1998年3月社長室社長秘書役、2000年1月東京本社論説委員、2002年4月政治部長、2003年5月東京本社編集局長補佐兼政治部長、2005年6月東京本社編集局長、2006年2月ヨーロッパ総局長(ロンドン)、2008年8月GLOBE編集長、2009年4月ゼネラルマネジャー兼東京本社編集局長、2010年6月役員待遇・西部本社代表、2011年6月取締役広告・企画事業担当、2012年6月代表取締役社長。


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