連載「原発とメディア」
編集委員 上丸洋一
朝日新聞は原発をどう報じ、どう論じてきたのか。
福島で原発事故が起きてまもなく、記者たちの頭に浮かんだのは、そんな疑問でした。国の原子力政策や電力会社の姿勢を問う記事が連日、掲載されていた時期です。
東京電力の記者会見
朝日新聞をはじめとするメディアは、原子力開発の推進と安全神話の形成にどうかかわってきたのか。自ら検証する責任が私たちにはあるのではないか、という声が報道局からあがりました。
そうした問題意識から連載「原発とメディア」の取材が始まりました。
朝日新聞の過去の原発報道、原発社説をみると、原発の安全性を強調する記事が、ある時期まで散見されます。
なぜ、そうした記事が書かれたのか。理由をきちんと明らかにしなければなりません。それが原発の安全性を信じた挙げ句、放射能に追われて故郷を離れざるを得なくなった多くの人々に対する責任でもあります。もちろん、言い訳を書くのではありません。
あくまで、事実をして語らしめる。
自らの体にメスを入れるかのような緊迫した取材、執筆の日々が続きました。
朝日新聞はこれまでも「新聞と戦争」「検証 昭和報道」などの連載で、自らの歩みを批判的に振り返ってきました。そうした蓄積が今回、原発報道の検証にちゅうちょなく取り組むことにつながりました。
東電前で訴える福島県伊達市の住民たち
「もっと早くやるべきではなかったか。事故が起きてからでは遅すぎる」
電話口でOBの叱責をうけました。
「まったくその通りだと思います。しかし、だからといってやらないで済ますわけにいかないのです」
そう私は答えました。
私たちは日々、時間に追われて報道活動をしています。ともすると、これまでは、報道しっ放しで済ませるきらいがありました。しかし、日々の報道はいつの日か、検証の俎上(そじょう)にのせられなくてはなりません。歴史の批判にたえる仕事をしたかどうか、自ら確かめる作業が不可欠だと考えるからです。
いつの日か「原発とメディア」もまた、批判の俎上にのせられるだろうことを、私は今から覚悟しています。









