連載「ナガサキノート」
取材する花房吾早子記者
長崎と横浜を2往復、話を聴くこと計12時間。長崎総局の花房吾早子(はなふさ・あさこ)記者(28)は2012年1月〜2月、長崎で被爆し、その後、発電用原子力タービン(羽根車)の技術者になった横浜市の男性宅を訪ねました。若手記者が聞く被爆者の物語「ナガサキノート」の取材のためです。この男性を紹介した連載は2月中旬から21回にわたって朝日新聞の長崎県内版に掲載されました。
東京電力福島第一原発事故の前から、男性は国に原発廃止を訴えてきました。そこへ起きた東日本大震災。発生直後に当時の菅直人首相にメールを送ったと聞き、花房記者はその行動力の源を知りたくなりました。取材の中で、発災後、男性が神社に原発鎮護の祈願を頼み、技術者の元同僚と情報交換し、エッセイの同好会に入って訴えを発信し……と、次々と行動に移していることが分かりました。「被爆者として技術者として、原子力のことは死ぬまで背負っていかなきゃと思っているから」。さらりと発した言葉に、じっとしていられない男性の気持ちが伝わってきました。
ナガサキノートは、特定の担当記者がいるわけではありません。書きたい記者が手を挙げ、その他の仕事と並行して進めます。花房記者は12年2月末から、復活した長崎〜上海航路の乗船取材もこなし、船上にいる間もナガサキノートの連載は続きました。歴史的事実にかかわる部分は裏付けを取り、出張前に原稿を出さなければなりません。厳しい作業ですが、長崎の記者だからこそできる仕事だと思って取り組みました。
高齢の被爆者にとって、60年以上前の記憶をたどり、長時間話し続けるのは負担が大きいはずです。それでも快く取材に応じてくれるのは、なお核兵器が世界から消えず、さらに核の脅威を感じさせる原発事故が起きた「今」だからです。「伝えたい」「記録したい」という両者の思いが重なり、2008年8月10日から休刊日を除いて1日も休まず掲載してきたナガサキノートは、2011年6月に連載1000回を超え、いまも紡がれ続けています。その一部は書籍化され、2010年12月には、第16回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞も受賞しました。









