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[人権と平和] - 自由のために

朝日新聞社のCSR推進活動「読者とともに 2011」

[人権と平和] - 自由のために

 人権侵害の最たるものは戦争です。新聞の責務として、平和問題に取り組みます。


連載「ナガサキノート」


 長崎総局の遠藤雄司記者(26)=入社3年目=は2010年秋、長崎市内に住む80代の被爆者宅を訪ねていました。

 訪問は5回目。これまで約8時間に及ぶインタビューを整理し、メモや郷土史などの資料を手に、記憶の細部を改めて確認していきます。この間、「線路が空に向かってねじ曲がっているのを目にした」という話に、原爆の熱線のすさまじさを思い知らされました。戦争末期の食糧難に話が及んだ際、「脱脂大豆」という言葉を初めて聞き、戸惑いました。

 長崎県内版の連載「ナガサキノート」は、主に20〜30代の「親も戦後生まれ」の総局記者が交代で担当しています。県警担当の遠藤記者は事件取材の合間を縫って聞き取りを続けています。他の記者も選挙や高校野球といった担当と掛け持ちです。

 「長崎では、どの持ち場でも原爆・平和とは無縁ではいられない」

 「被爆者を直接取材できるのは、私たちが最後の世代」

 そんな思いが記者たちにはあります。被爆体験だけでなく、原爆によって破壊される前の人々の営み、そして戦後の話にも耳を傾ける。被爆者のやむことのない苦しみと核兵器廃絶への訴えを「今、そこにあるニュース」と位置づけています。

 1回400字ほどの小さなコーナーですが、2008年8月10日のスタート以来、休刊日を除けば1日も欠かさずに載せてきました。これまでに70人以上を取り上げ、2010年11月には800回を超えました。一部は「ナガサキノート」「祈り ナガサキノート2」(朝日文庫)にまとめられ、長崎から全国へと届けられています。

 この2冊は、2010年12月に第16回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞を受賞しました。


被爆者手記ホームページ

全国の被爆者のメッセージ(手記)を集めたホームページ「広島・長崎の記憶〜被爆者からのメッセージ」を2010年11月、情報サイト・アサヒ・コム内に開設しました。原爆投下から65年。高齢化する被爆者の貴重な証言を眠らせず、世界に発信することで、平和構築に貢献したいという願いからです。将来は英訳することを目指しています。

 収めた証言は、2005年に日本原水爆被害者団体協議会や広島、長崎両大学の協力を得て、全国の被爆者を対象にした「被爆60年アンケート」で集めたものが中心です。回答いただいた1万3千人のうち、住所のわかる方に公開への同意をお願いし、1600人を超える方から了解を得ました。2010年の新たなメッセージを寄せた方も数百人に上り、合わせて収録しています。

 広島・長崎に分け、直接被爆や原爆投下後に爆心地近くに入った入市被爆といった被爆状況でも分類しています。名前を公開している人については、五十音順の証言者リストでも探せます。

 朝日新聞社は2010年にも被爆者アンケートをしました。核なき世界を目指すとする米国のオバマ大統領の登場などを踏まえて質問。約千人から回答をいただき、惨劇を繰り返すまいと、最近になって被爆証言に踏み切る人が相次いでいることが浮き彫りになりました。8割近くの方が「被爆体験を伝えることが核を使わせない力となる」と答え、オバマ氏への期待が高いことも明確になりました。これらのメッセージをどう活用するかも方法を探っていきます。

《関連情報》
「広島・長崎の記憶〜被爆者からのメッセージ」

ひめゆり展

 太平洋戦争末期、沖縄県では多くの住民が地上戦に巻き込まれました。ひめゆり平和祈念資料館(同県糸満市)は、女子生徒ら136人が犠牲になった「ひめゆり学徒隊」の経験を伝える活動をしています。全国から年間約80万人が訪れています。

 沖縄戦と戦後65周年を機に2010年、同館の展示室をほぼ再現した「ひめゆり 平和への祈り」展を全国5会場で開催しました。元ひめゆり学徒の語り部たちによる出張講演もあり、どの会場も満席でした。

 愛知展では号外を発行しました。表面は、17歳で動員された島袋淑子副館長の生々しい証言などを紹介。裏面は、1980年に全国9会場で催した「ひめゆりの乙女たち」展(朝日新聞社・沖縄タイムス社主催)を紹介した特集記事を再録しました。中学・高校にも配り、平和学習や修学旅行の事前学習に活用されて、教材としても高い評価を得ました。80年の展覧会を契機に同館が誕生した縁が、同館初の県外出張展に結実しました。


「みる・きく・はなす」はいま - 阪神支局襲撃事件から24年

 1987年5月3日の憲法記念日の夜、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に散弾銃を持った目出し帽姿の男が押し入り、小尻知博記者(当時29)を射殺、別の記者に重傷を負わせ、逃走しました。

 その後も名古屋本社寮や静岡支局が襲撃され、捜査当局は、竹下登首相(当時)らに対する脅迫、元リクルート会長宅への銃撃、愛知韓国人会館の放火なども含め、一連の事件を「赤報隊」を名乗る者による連続犯行(警察庁広域重要指定116号)と断定しました。

 すべての事件は2003年までに公訴時効を迎え、捜査は終結しました。しかし、紙面では、阪神支局事件をきっかけに始まったシリーズ企画「『みる・きく・はなす』はいま」が24年後の今も続いています。

 身近な暮らしに潜む様々な有形、無形の「圧力」を見据え、それにおびえ、すくみ、時には勇気を持って立ち向かう人々の姿を取り上げることで、事件の風化を食い止め、民主主義の根幹をなす「言論の自由」を守ろうとする取り組みです。87年秋に始まり、時効までは原則、春の憲法週間、秋の新聞週間に合わせて年2回掲載され、時効後は春の1回掲載となりました。

 第35部となった2010年のテーマは「扇動社会」。進化するインターネット世界の陰で、「日本の離島が侵略される」と危機感をあおったり、外国人排斥の動きが先鋭化したりしている現実やその背景などを追いました。

 企画第1回の末尾に当時の取材班はこう記しています。「普通の人たちが、見たり、聞いたり、話したりするごく当たり前の権利が危うくなっていないだろうか」。こうした問題意識が、東京、名古屋、大阪、西部の各本社の記者たちで毎年構成される取材班に今も継承されています。

 また、阪神支局の3階には、事件関連の資料を集めた「事件資料室」があります。亡くなった小尻記者が事件当時に着ていた血染めのブルゾン、体内で炸裂した無数の散弾粒が写り込んだレントゲン写真、共同・時事両信社に届いた犯行声明文の実物などを展示しています。2006年に支局を建て替えた際、事件をいつまでも語り継いでいこうという決意を込めて設けられました。

 記者志望の方やジャーナリズムを学ぶ学生だけでなく、お年寄りや子ども連れの方々もよく訪れます。訪れた人は9月末までに社員を含めて3600人を超えました。普段の展示に加え、毎年4〜5月には、言論をめぐる様々な事件を写真パネルなどで紹介する「『みる・きく・はなす』はいま」展も開いています。今年は3日間の期間中に約220人が訪ねてくれました。自由な言論の貴さを忘れることなく、朝日新聞は歩み続けます。