| ─── 創業・東京進出を果たす 1879(明治12)年〜 ─── |
| 1879・1・25 |
朝日新聞第1号、大阪で創刊
総ふりがな・さし絵入り小型4ペ−ジ、定価1部1銭、1カ月18銭、従業員約20人、1〜4号は約3000部印刷。創始者は村山龍平で、大阪・江戸堀南通に会社創立、約2年後に上野理一が経営参加(写真は、朝日新聞創刊号の第1面) |
| 1879・9・13 |
最初の論説「新聞紙論説の事を論ず」を掲載 |
| 1883 |
1日平均発行部数は2万1461部で全国一に |
| 1888・7・10 |
東京朝日新聞(東朝)創刊。社屋は京橋区元数寄屋町、号数は自由燈、燈新聞、めさまし新聞を引き継ぎ1076号でスタ−ト |
| 1889・2・11 |
憲法発布勅語、帝国憲法全文を電報で大阪に送り、赤刷り号外を発行し競争紙を圧倒 |
| 1890・9・27 |
東朝、マリノニ輪転機の設置を社告。毎時3万部印刷の威力を発揮 |
| ─── 速報の強化・近代化への歩み 1895(明治28)年〜 ─── |
| 1895・6・20 |
井上馨の帰国報道で東朝、新聞界で初めて伝書鳩を使用 |
| 1899・2・1 |
東京・大阪間に電話が開通。東朝から大阪朝日(大朝)に初めて電話送稿 |
| 1903・9・30 |
東朝の池辺三山が山県有朋に対露策を説く
池辺三山は1896年に主筆として大朝に入社、その後東朝主筆として多くの社説を書いた。二葉亭四迷、夏目漱石の入社に努力。「新聞は商品であり、記者はその商品を作る職人」「文章は平明で達意であるべき」という持論を社内に浸透させた。組織、紙面の近代化に尽くし、今日の朝日新聞の基礎を築いた |
| 1904・1・5 |
大朝に「天声人語」欄生まれる |
| 1904・3・4 |
二葉亭四迷が入社、「其面影」「平凡」を連載、特派員として「入露記」を送る |
| 1904・9・30 |
上野靺鞨特派員の戦地写真「遼陽写真報」を東朝に掲載。朝日紙面に登場した最初の写真。ざんごうの淵に3人の日本兵が立ち日章旗が見える |
| ─── 紙面の刷新と充実へ 1907(明治40)年〜 ─── |
| 1907・4・1 |
夏目漱石が入社
漱石は東京帝大と一高の講師を辞任して40歳で入社。「吾輩は猫である」「坊つちやん」を発表してまもないころで文壇の注目を集めていた。月給、賞与を合わせた年収は2800円で講師時代より1000円も多かった。入社第1作「虞美人草」以降、「三四郎」「それから」などを次々に連載。自ら提案した文芸欄の編集にあたった。「明暗」連載中の1916年12月9日に50歳で死去 |
| 1908・10・1 |
大朝と東朝が合併、朝日新聞合資会社。資本金60万円 |
| 1909・3・1 |
石川啄木が校正係として東朝入社。在社中に歌集「一握の砂」を出版。勤務のかたわら詠んだ「京橋の滝山町の新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな」の歌碑は、今も旧社屋跡地に建つ |
| 1911・6・1 |
杉村楚人冠の提言で索引部を創設。その後、調査部と改称、同部創設は日本の新聞界で初めて |
| 1911・11・17 |
竹中繁子が東朝に入社。朝日最初の女性記者 |
| ─── 高校野球の発展に尽力 1912(大正元)年〜 ─── |
| 1912・7・30 |
大正改元を号外速報。緒方竹虎の特ダネ |
| 1915・8・18 |
朝日主催の第1回全国中等学校優勝野球大会を開催
最初の会場は豊中グラウンド。全国10地方の予選に73校が参加、代表校は10校。京都二中が決勝で秋田中を2−1で破り優勝。その後、会場は鳴尾運動場から現在の甲子園球場に。戦争で、一時中断されたが、2007年で第89回大会となった。(写真は、第1回全国中等学校優勝野球大会兵庫大会の決勝戦。審判ははかま姿) |
| 1916・3・29 |
東朝の社会面に「青鉛筆」が登場。命名は原田譲二 |
| 1918・8・25 |
「白虹事件」の発端となる記事を掲載。大朝夕刊記事にある「白虹日を貫けり」の字句が安寧秩序紊乱に当たるとして発売禁止。日本の言論弾圧史上、特筆すべき「白虹事件」に発展した。責任をとって社長村山龍平が辞任、編集幹部も退社 |
| 1921・5・1 |
東朝、日曜夕刊に岡本一平の漫画欄を新設
軍縮を主張する社説は、この1年間で大朝123編、東朝85編が掲載された |
| ─── 関東大震災とその後の発展 1922(大正11)年〜 ─── |
| 1922・10・21 |
東西朝日に記事審査部の創設を社告。日本の新聞界で初めて |
| 1923・9・1 |
関東大震災で東朝の社屋が全焼
交通、通信も途絶したため、新聞発行が不可能に。連絡、報道のため大阪へ特派した4班9人のうち、社会部員1人が辛苦の踏破行を経て3日後に大朝に一番乗り。全社挙げて復興へ全力、震災から11日ぶりの9月12日、4ペ−ジの東朝を復刊。震災による被害総額は、資本金の3割強の103万余円(写真は、関東大震災を報じた大阪朝日発行の号外) |
| 1924・1・1 |
大朝の元日部数が初めて100万部を超える |
| 1927・3・20 |
東朝新社屋が有楽町に完工、移転 |
| 1929・1・1 |
大朝創刊50周年を記念して「朝日賞」を創設。第1回朝日賞に坪内逍遥、前田青邨ら |
| 1935・11・25 |
名古屋支社で朝夕刊の発行を開始、全国紙の態勢が整う |
| ─── 2・26事件と太平洋戦争 1936(昭和11)年〜 ─── |
| 1936・2・26 |
2・26事件。反乱軍が東朝社屋を襲撃
青年将校が率いた部隊は政府要人を襲撃した後、一部が東朝社屋へ乱入、社屋2階文選工場の活字棚がひっくり返された。緒方竹虎主筆が部隊指揮者と面会。この日の夕刊発行を見合わせた(写真は、反乱軍に倒された活字棚) |
| 1937・4・6 |
「神風」号、亜欧連絡飛行で新記録を樹立
本社機(飯沼正明操縦士、塚越賢爾機関士)は立川を離陸後、台北、ビエンチャン、カラチ、バグダッド、アテネ、ロ−マ、パリを経て4日後にロンドンに着いた。所要時間94時間17分56秒の驚異的な世界新記録。日本の航空機生産技術が世界水準にあることを立証した(写真は、亜欧連絡飛行で新記録を樹立、ロンドンに着いた「神風」号の2人を歓迎する群衆) |
| 1940・9・1 |
「大阪朝日新聞」「東京朝日新聞」と呼称していた題号を「朝日新聞」に統一 |
| 1943・1・1 |
中野正剛の寄稿「戦時宰相論」掲載で発禁 |
| 1945・1・27 |
東京本社が空襲で被災、1人爆死 |
| ─── 占領政策のもとで民主化推進 1945(昭和20)年〜 ─── |
| 1945・11・5 |
戦争責任明確化のため、社長以下幹部が辞任 |
| 1945・11・7 |
「国民と共に立たん」(起草・森恭三)、社説「新聞の新なる使命」を掲載 |
| 1946・11・21 |
「新かなづかい」を始める |
| 1947・6・8 |
連載小説が復活し、石坂洋次郎の「青い山脈」始まる |
| 1949・11・30 |
「夕刊朝日新聞」に長谷川町子の漫画「サザエさん」の連載始まる |
| 1951・2・1 |
人気漫画「クリちゃん」が夕刊朝日でスタート |
| 1951・10・1 |
朝夕刊のセット発行が7年ぶりに復活 |
| 1951・10・2 |
「ひととき」欄を新設。当初は女性の知名人の随想を載せた |
| 1952・9・1 |
4項目から成る朝日新聞綱領を制定 |
| 1953・3・10 |
「扇谷正造と週刊朝日編集部」が第1回菊池寛賞を受賞 |
| 1954・1・20 |
英字紙「ASAHI EVENING NEWS」を発刊 |
| ─── 先頭切って部数500万部 1957(昭和32)年〜 ─── |
| 1957・10・1 |
「親さがし運動」記事で第1回日本新聞協会賞 |
| 1960・6・17 |
安保問題をめぐる流血騒動で、共同宣言「暴力を排し議会主義を守れ」を在京7社が朝刊に掲載 |
| 1964・4・8〜 |
美の使節、初の海外公開
「ミロのビ−ナス展」を東京、京都で開催、入場者172万人の人気。翌年、古代エジプト秘宝「ツタンカ−メン展」を東京など3会場で開催、入場者は記録的な293万人(写真は、ツタンカーメンの黄金のマスク) |
| 1965・1・1 |
元日の発行部数531万部。500万部突破は日本の新聞界で初の記録 |
| 1965・4・1 |
サトウサンペイの漫画「フジ三太郎」の連載(夕刊娯楽面)始まる |
| 1967・1・3 |
ベトナム和平に関する年頭社説を世界5大紙と交換 |
| ─── ロッキ−ド事件の核心を突く 1976(昭和51)年〜 ─── |
| 1976・2・5 |
ロッキ−ド事件の第1報を朝刊でスク−プ
8月には村上吉男記者がロッキ−ド社前副会長コ−チャンと単独会見、会見記を連載。83年10月、ロッキ−ド裁判の田中実刑判決で夕刊1面と号外に社説「田中引退なしに刷新はない」を掲載。夕刊社説は20年ぶり |
| 1979・11・18 |
第1回東京国際女子マラソン大会を開催 |
| 1980・4・23 |
東京本社新社屋(築地)の竣工式。コンピュ−タ−による新聞製作(NELSON)が始まり、脱活字へ |
| 1986・1・1 |
ロンドンで国際衛星版を発行。その後、ニュ−ヨ−クなど世界6カ所で発行 |
| ─── 重く長かった天皇報道 1987(昭和62)年〜 ─── |
| 1987・5・3 |
阪神支局が襲撃され、散弾銃で記者1人死亡、1人が重傷。名古屋本社寮襲撃、東京本社銃撃、静岡支局爆破未遂事件などが警察庁指定116号事件に |
| 1987・9・19 |
「天皇陛下、腸のご病気」をスク−プ。以降、天皇陛下の病状を伝える詳報を掲載 |
| 1988・6・18 |
リクル−ト関連会社の株譲渡にからみ、川崎市助役の疑惑をスク−プ。事件は政財官界に広がり、翌年、米国調査報道協会特別表彰を受けた |
| 1988・7・10 |
東京本社創刊100周年。元日部数834万部に |
| 1989・1・7 |
「天皇陛下 崩御」「新元号 平成」の見出しと関連記事、1面に社説「『昭和』を送る」を掲載 |
| ─── 21世紀も飛躍を続け 2001(平成13)年〜 ─── |
| 1991・2・12 |
1段12字にして活字を拡大 |
| 1992・8・22 |
金丸信・自民党副総裁に東京佐川急便から5億円献金をスク−プ。日本新聞協会賞を受賞 |
| 1994・9・22 |
『遺書』(松本人志著)発行、部数230万部のベストセラ− |
| 1995・1・17 |
阪神大震災。震災地向けにタブロイド判情報紙面を週1回発行この年、「戦後50年」紙面企画、「地球プロジェクト21」を始動 |
| 1999・1・25 |
創刊120周年。「伊能ウオーク」ほか多彩な記念企画 |
| 1999・10・15 |
和歌山のカレー毒物混入事件報道で日本新聞協会賞を受賞 |
| 2000・4・2 |
「くらし」欄を新設するなど、紙面改革に不断の努力 |
| 2001・1・1 |
「報道と人権委員会」が発足 |
| 2001・4・1 |
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| 2001・4・2 |
「ヘラルド朝日」を創刊 |
| 2002・4・6 |
週末新聞「be」を創刊 |
| 2004・1・25 |
創刊125周年(写真は、創刊125周年記念事業「大英博物館の至宝展」に詰めかけた人々=東京会場で) |
| 2004・2・1 |
生活部発足 |
| 2004・10・1 |
「アスパラクラブ」スタート |
2005・4・3
|
「be」の日曜版を創刊 |
| 2005・4・16 |
新しい紙面編集システムがスタート |
| 2006・10・1 |
ジャーナリスト学校発足 |
| 2007・6・26 |
30年ぶりに「主筆」復活 |