ともに考え、ともにつくる インタビュー(カルビー・辰野晃会長兼CEO)
はじめに

 様々な分野で活躍している方を朝日新聞社の渡辺雅隆社長が訪ねる連載「ともに考え、ともにつくる インタビュー」の5回目は、アウトドア用品の製造販売会社モンベルの辰野勇会長兼C.E.Oに登場していただきました。

 辰野会長は、屈指の難ルートであるヨーロッパアルプスの「アイガー北壁」の登攀(とうはん)を日本人として2番目に成功させた登山経験などをもとに、モンベルを創業し、新素材を生かした製品作りをしています。また、基金を設立し、災害支援や自然環境保護に力を入れています。アウトドアの事業を通じた社会活動に込める思いなどについてお聞きしました。

 「ともに考え、ともにつくる インタビュー」は、3カ月ごと年4回のペースで更新していく予定です。


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【ともに考え、ともにつくる インタビュー】
アウトドア事業で見えた社会貢献
( モンベル・辰野勇会長兼C.E.O × 朝日新聞社・渡辺雅隆社長)


▼ モンベル・辰野勇会長兼C.E.O のプロフィールはこちら

 


渡辺社長(以下、渡辺) 阪神・淡路大震災、東日本大震災などでの災害支援活動について聞かせて下さい。


モンベル・辰野勇会長兼C.E.O

辰野会長 兼 C.E.O(以下、辰野)   阪神・淡路大震災が起きた時、堺市に住んでいました。連絡を受けて神戸の友人のもとへ水や食料を運んだ帰り、遭遇した遺体の搬送を手伝いました。遺体安置所へお連れするとどこもいっぱいで、5カ所目くらいでようやく安置することができました。そこで、たくさんの遺体が毛布もかかっていない状態で並んでいたのを見て非常に気の毒に感じ、「寝袋に入れてさしあげよう」と思いました。戦死した兵士の遺体を米軍が寝袋に入れて搬送したという話を思い出したのです。会社に連絡を取ると、寝袋は2,000個ほどあるということだったので確保するよう伝えました。

 しかし、遺体安置所からの帰り道、今度は家を失った人たちが路上でがれきを燃やして冬の寒さをしのいでいる姿を見て思いました。あっ、この方たちに寝袋やテントを使ってもらおう、と。再び会社に連絡を取るとテントは500張りほどあるということだったので、さきほどの寝袋と合わせて全部配ることにしました。2週間という期限を設け、会社の業務を中断して未曽有の災害の被災者を支援すると決めました。アウトドアに関わる人たちに「人・物・金」の支援を呼びかけ「アウトドア義援隊」と名づけました。現地で拠点となる場所を探し、集まった物資を配りました。結局、活動は1カ月に及びましたが、地震災害のような有事にアウトドア用品が役に立ち、アウトドア活動の実践者が活躍できることを実感しました。その後、東日本大震災、熊本地震のほか、ネパール大地震などでも同様の活動をしました。


渡辺  自治体との連携にも力を入れていますね。


辰野  今、17の県や市町村と「包括連携協定」を結んでいます(2017年7月末現在)。
 「防災」「エコツーリズム」の分野を中心に、モンベルと地方自治体、そして自治体同士がつながり、災害時の対応や自然環境を生かした地域経済の活性化を目指したいと思っています。都会で商品が売れるのは結構なのですが、その商品はどこで使われるかというと山があり、自然が豊かな地域です。登山者は、自治体などが整備する登山道やトイレを使わせてもらっています。登山者から稼がせていただいたお金を、そういう地域で使っていただきたいと考え、長野県や北海道東川町には企業版ふるさと納税をさせていただきました。東京に住んでいると気がつかないかもしれませんが、東京一極集中に関西人としてじくじたる思いがあります。地方に頑張ってもらい、地方を元気にしていきたいという意識がすごく強いです。


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社会活動 年会費で作る基金で

渡辺  社会活動の一部を「モンベルクラブ・ファンド」で賄っています。


辰野  「モンベルクラブ」は年会費1,500円の会員制クラブです。カタログや会報誌が送られるほか、全国の提携施設「フレンドショップ」で特典を受けられたり、モンベルでのお買い物に応じてポイントがたまったりします。「モンベルクラブ・ファンド」は会費のうち50円を集めてつくるファンド(基金)です。災害支援や自然保護活動などの社会活動の多くは会員のみなさまからの年会費で成り立っています。


朝日新聞社・渡辺雅隆社長

渡辺  社会活動をそうした手法で行っているのはどうしてですか。


辰野  利益を社会活動にあてるCSRのような手法はとりません。余分な利益、とは言いませんが、もうけているならそのぶん商品を安くしたいという考えもありますし、会員から預かっているファンドなら会社が傾いてもお金は絶対に守られます。活動を継続させるためには基盤が必要で、そこに経済的なバランスが完結していなければ無理です。僕はこれが社会活動に必要な「サステナビリティー(持続可能性)」だと思います。


渡辺 1985年に発足した同クラブの会員は今、78万人です。


辰野  お客様とコミュニケーションをとりたい、という気持ちが原点です。人数は今も増えていて、100万人を目標にしています。会報誌「OUTWARD」は商品の紹介に加え、モンベルが行う多面的な活動を知ってもらうためにつくっています。それに、僕は人が好きなんです。かつて小売店の店員として物を売っていました。目の前の人に説明をしてその人に物を買ってもらうという喜びを知っています。この立場になってそういうことからどんどん遠くなっていますが、お客様一人ひとりを「僕のお客さん」だと思っています。だからモンベルクラブが開催する登山やカヌーのツアーでは、今も自らガイドを務めています。


渡辺  災害支援活動や地域経済の活性化といった社会活動はどのようなお考えに基づいているのでしょうか。


辰野  「モンベル7つのミッション」を掲げています。どの企業も何かしらの社会貢献をしています。事業を通じた社会活動です。アウトドア事業の中でそれを考えた時、七つのことが見えました。
一つ目は「自然環境保全への啓蒙」
 アウトドアに身を置くことで自然の大切さや恵みを実感できます。
二つ目は「野外体験を通じて生きる力をはぐくむ」
 僕がそうであったように、アウトドア活動を通じて集中力、持続力、決断力といった生きる力を身につけることができます。
三つ目は「健康寿命の増進」
 登山などのアウトドア活動は健康寿命を長くするための役割を大きく果たしています。
四つ目は「災害への対応力」
 阪神・淡路大震災の時のようにアウトドア用品やアウトドア活動は災害時への対応に役立ち、被災者を支援することができます。
五つ目は「エコツーリズムによる地域経済の活性化」
 少子高齢化が進む地域経済を活性化する手段の一つとしてエコツーリズムが挙げられます。
六つ目は「農林水産業、第一次産業への支援」
 提携を結ぶ地域の食材をモンベルクラブの会員に提供するサービスをしています。加えて、農業や林業といった1次産業のウェアを開発することで若者の農業定着の一助にしたいと考えています。
最後の七つ目は「バリアフリー」
 自然環境は実は一番のバリアフリーです。カヌーは2016年のリオ・パラリンピックで正式種目となりましたが、モンベルでは今から25年ほど前の91年に「障がい者カヌー教室」を開き、大会も実施しました。
 地方自治体との包括連携協定は、これら七つのミッションに基づいています。


 

▼ モンベルが取り組む社会活動 【→ モンベルについて】

モンベルが取り組む社会活動


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「アイガー北壁」も手足が届く範囲の積み重ね

渡辺  登山家になるということと、起業をするということを若いころから考えていたそうですね。


辰野  実家が下町のすし屋でした。親の背中を見て育っているので、小さい時からサラリーマン生活というのはあまりイメージできませんでした。高校1年生の時、国語の教科書に載っていたオーストリアの登山家ハインリヒ・ハラーのアイガー北壁登攀記『白い蜘蛛(くも)』を読んで、スイッチが入ったんです。アイガー北壁を登ろう、登りたい、と。当時は岩登りも全然できていませんでしたが、かっこよくて憧れを抱きました。同時に、本当に山が好きでしたから「28歳になったら山に関係した商売を自分で始めよう」とおぼろげに思いました。


渡辺  アイガー北壁は東京スカイツリー(634メートル)三つ分の高さがあるそうですね。そこを登るということはおよそ想像がつきません。


辰野  アイガーの頂上は標高3,970メートルで、北壁は標高差1,800メートルの垂直の壁です。でも、人間が動けるのは両手両足が伸びる1~2メートルの範囲でしかなく、その積み重ねです。だから突然、標高差1,800メートルの壁の真ん中にヘリコプターか何かで連れて行かれてポンと置かれたらパニックになると思いますが、自力の場合、それまでに登ってきたところは理解しています。そしてその先も手のかかるところ、登れる可能性のあるところを登っていくだけですから、5メートルの石垣を登るのも1,800メートルの岩壁を登るのも基本は一緒です。超人的なことは絶対にありません。普通のことです。


渡辺  21歳でアイガー北壁の登攀を成し遂げた当時は、今のようにいろいろな道具がありませんでした。それが、28歳になる75年のモンベル創業に結びついていくところが面白いと思いました。


辰野  おっしゃるように道具はありませんでしたから自分で工夫して作りました。先生もいませんから全部独学です。このあたりに創業者として起業する一つの要素があると思います。僕はできあがっているものに自分を当てはめることは極めて苦手です。決められた通りにすることができません。何もないところに何かを作っていく方がうんと楽です。比べられるものがありませんから。



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登山家は怖がり 危機管理が身についた

渡辺  登山と経営の共通点はありますか。


辰野  共通点はあると思います。山登りで集中力と持続力と判断力が身につきました。これらは山登りだけでなく生きていくうえで大事な力です。それと、ビジネスの世界で言うリスクマネジメント。登山家は怖がりですから先々のことばかり心配します。雨が降ったらどうしよう、風が吹いたらどうしよう、と。だから準備をします。共通点は本当にたくさんあります。


渡辺 繊維を扱う商社勤めの経験から、モンベルでは新素材を利用した商品を開発されましたね。


辰野  結局、応用問題なんですよ、ビジネスは。ゼロから何かを作っていくことは極めてまれだと思います。たいていは何かをくっつけたり離したりして新しいものを作っていきます。生き物の進化だってそうです。生命があるから進化していくわけで、その生命だってまったく何もないところでポンとできるわけではありません。ビジネスも一緒で、これをこういうふうに応用したらこういうものが生まれていく、という発想や気づきから始まります。

 僕は山登りをしているから登山に何が必要かわかっています。同時に、商社に入ることで見たことのないような素材に出会いました。例えば防弾チョッキに使われている強度の高い繊維「ケブラー」や、消防服に使われている燃えにくい「ノーメックス」などです。それらはそれまで登山の分野では使われていませんでした。産業分野で使われていたものです。でも、登山の分野で利用すればもっと軽量でコンパクトで快適で安全な商品ができるだろうと思ったのです。そうして新たな商品を開発しました。例えば、アメリカのデュポン社のポリエステル繊維「ダクロン・ホロフィルⅡ」を使った寝袋などです。


渡辺  初期のヒット商品ですね。


辰野  それまでの化繊の寝袋はかさばりました。デュポンの繊維で作ったものはすごく小さくなるんです。登山家は軽量コンパクトな装備を望んでいます。背景にあるのはアイガー北壁での経験です。ビバーク(露営)した後、そのまま継続して登ると決めた時、退去用のロープ、食料、カメラを捨てて、1グラムでも軽くして一刻も早く危険な状況から抜けきろうとしました。やっぱり軽くてコンパクトな方がいい。登山家のニーズはそこにあったんです。製品化したところ「こういうものが欲しかった」と言われてブレークしました。


渡辺  84年に業務提携して販売していたアメリカのアウトドアブランド「パタゴニア」の商品は後にモンベルの総売り上げの4分の1を占めるまでになりましたが、87年に取り扱いをやめる決断をされました。私は社長になって2年余りですが、売り上げが伸びているものを切るのは相当な決断だと思います。


辰野  それは怖がりだからです。先を考えた時、パタゴニアの商品を扱い続けていることが非常に不安になりました。ひとのブランドを一生懸命育てても、アメリカの会社ですから、M&Aなどでオーナーが変わればごろっと変わってしまいます。そういう不安定なものに依存していていいのか。売り上げは落とすけれど、5年後、10年後のことを考えたら取引を今やめないと将来がないと思いました。人間ができることは限られています。両手のうち片手にあるパタゴニアを手放せば、その手があきます。あいた手も使ってモンベルを育てることに集中できました。パタゴニアを手放した年のモンベルブランド単一の売り上げは、失ったパタゴニアの4分の1の売り上げをカバーしただけでなく、前年の総売り上げを上回りました。


渡辺  取り扱いをやめた年にですか。


辰野  そうです。当時、問屋さんや小売店を通じた商売をしていましたが、それももう絶対に続けられないと思いました。やっぱり直販体制をとらないとグローバルマーケットでは生き残れないと考えた時、製造から販売までのすべてを自分たちで直接手がけるという将来が見えました。


渡辺  創業から16年後の91年に直営店を出されましたね。


辰野  初めての直営店は、JR大阪駅構内のショッピングモールに出しました。隣には、大阪でのモンベル最大の取引先である登山用品販売店がありました。これは考えられないことです。モンベルの商品を一番たくさん売ってくれている店の隣に直営店を出すわけですから。


渡辺  隣の登山用品店との関係はどうなってしまうのだろうと思います。


辰野  その登山用品店との取引がなくなる覚悟はしました。当時一番の売り上げを失う覚悟はしたわけです。でも結局、関係は切れませんでした。それだけモンベルの商品力があったということだと思います。


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紙媒体にはデジタルにない情緒がある

2ショット

渡辺  長年にわたり中日新聞社が発行し、2014年に休刊が決まった登山専門の月刊誌「岳人」の引き継ぎを決めたのも大きな決断だったそうですね。


辰野  僕は若いころからずっと山登りをしてきて、「岳人」に自分の登攀記録を載せることが楽しみでした。それがなくなることは、卒業した小学校が廃校になるようなさみしい気持ちになったのです。それじゃあ、と引き受けましたが採算面などで結構大変ではあります。


渡辺  デジタルが隆盛の中であえて紙媒体に取り組む理由を教えて下さい。


辰野  デジタルはデジタルの良さがあるのは事実ですが、デジタルでは補いきれないものが紙にはあります。インクのにおいだとか、手にとった感触だとか、情緒的なことですが、その情緒こそ大事なことだと思います。本や雑誌は10年、20年たっても本棚に置かれるものなので、そうして、ずっと本棚に置いておきたくなるような「読み物」にしたいと考えています。


渡辺  朝日新聞社もいろいろなところに情報やサービスを提供することで社会の課題解決に貢献したいと考えています。これからのメディアに対する期待などを聞かせて下さい。


辰野  モンベルクラブの78万人の会員はモンベルを支援してくれている方々です。こうした方々がいて、クラブが存続できる限りモンベルという企業が社会に必要とされていると考えます。逆に会員数が減ってきたら「モンベルは変なことをしていないか」と気にした方がいいと思います。そういう意味で読者の数を気にされた方がいいかもしれません。一方で、時にはお客様に迎合することなく、まして国や行政にへつらうことなく信ずるところを貫くことが大切なのではないでしょうか。


渡辺  今日は本当にありがとうございました。


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プロフィール 辰野勇(たつの・いさむ)氏

辰野勇氏 辰野勇氏 プロフィール
 たつの・いさむ
1947年、大阪府生まれ。
21歳の時、屈指の難ルートであるスイスの「アイガー北壁」の登攀を日本人として2番目に成功させる。登山用品店、総合商社の繊維部などでの仕事を経て75年に「株式会社モンベル」を設立。激流がいくつもある黒部川を源頭部から河口までカヤックで下降するなど山のみならず国内外の川や海にも足跡を残す。91年に日本で初めて障がい者カヌー教室を開いたことをきっかけに、自然とのかかわりを通じた社会活動にも熱心に取り組む。



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モンベル(mont-bell)

社名はフランス語の「mont(山)」「belle(美しい)」を語源にした「美しい山」という意味。発音しない語尾の「e」をとり、フランス語でも英語でもない造語表記とした。


アウトドア用品全般の企画、製造、販売を一貫して手がけるほか、アウトドアツアーやイベントの企画、運営、出版業など野外活動に関わる事業を総合的に手がける。国内に直営店を113店舗展開。アメリカ、スイス、ネパールにも直営店を構えると同時に、製品は約30カ国に輸出されている。


創業した辰野勇氏に、山を通じて集まった計7人でモンベルの基盤をつくった。雪崩に遭い亡くなった1人をのぞく創業メンバー6人は今も中心となってモンベルを支える。グループ全体の従業員数は約960人、15年度の売上高は約620億円。【→ モンベル 会社情報はこちら】


(企画構成・霜田 紗苗、撮影・筋野 健太、ウェブデザイン・田渕 裕美)


 

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