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【佳作】 生涯文学青年
田村晴子さん=パート主婦(64)東京都府中市

 明治44年生まれの父は、トルストイとストコフスキーをこよなく愛した。72歳で死ぬまで、青臭い文学青年のような人でした。普通のサラリーマンでしたが、京都大学の近くに住んでいたからか、学生たちがよく議論しに来ていました。「おじさん、それはおかしいですよ。もうこんな所へは二度と来ません」などと啖呵を切って帰る学生もいましたが、その学生が数カ月後「故郷の母から送ってきたので」などと言い、畑で採れたものをダンボールのまま持って来たりすると、大喜びで迎え入れていました。

 近くの小学校の先生が来たり、外交官になりたての小学校の友人が来たり、歌手の高石ともやが来て、深夜なのにフォークソングを聞かせてくれたりしたことも何度かありました。徹夜で話し、明け方になると母の作った味噌汁を食べて皆さん、帰っていました。

 父の母親は父を生んだ直後に亡くなって、父は継母に育てられています。その継母に間もなく6人の弟妹が生まれたので父は、相当に寂しく切ない少年時代を送ったようです。大学へも自分で働いてお金をためてから卒業しています。そんな父は自分の家族をとても大切にし、私達5人家族はいつも一緒でした。昭和20〜30年代の、日本中がまだそんなに豊かではなかった時に、私達五人家族はよく映画を見に行きました。「シェーン」「真昼の決闘」「オーケストラの少女」、そうそう「真吾十番勝負」もありました。

 行く道すがら大きなお屋敷の前を通る時には「こんなに大きな家に住むからには、よほどの悪いことをやっているよ」とか、ビール腹のおじさんに行き合ったりすると「人間、やるべきことをやって考えるべきことを考えていれば、あんなお腹にはならないよ」などと私達に言います。

 ガリガリにやせてノッポだった父の自己弁護だったのでしょう。比叡山への山登りや八瀬の方へハイキングに出かける時は、お握りと水筒だけをもち、それこそ一日中歩かされます。こんな時はいつも近所の子供たち10人余りも引き連れて、ワイワイガヤガヤと行ったものです。

 私達子供が大きくなって、そんな父に付き合わなくなると、父は1人でハリー・ベラフォンテや、サルトルとヴォーボワールの来日講演などに出かけていたようです。そんな父は会社では全く出世することなく、母には経済的苦労をかけていて、多感な乙女だった私はそんな父への反抗もあったのでしょうか、父とは全く逆の「議論なんかつまらない。出世は椅子取りゲームとして楽しんでやる」と豪語するような人を好きになって結婚しました。そんな彼をも父は大喜びで、実の息子のように接してくれていました。不思議なくらいに純粋な人だったと思います。

 今の私はとうに還暦も過ぎていますのに、何だかフワフワと生きているようです。それでいて妙に理屈っぽいところなど、自分の中に確かに父が生きていると実感させられて驚いているのです。

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