8年前に亡くなった僕の父は魚屋でした。祖父の代から続く「魚吉」の二代目でした。三代目、つまり僕は、二代目のやることなすこと悉くに反発して、とうとう「魚吉」三代目であることを放棄してしまいました。父のせいばかりにはできないのですが、僕はその後長らく定職にもつかずにアルバイト生活。絵に描いたような「若気の至り」でした。
話は40年ほど前にまでさかのぼります。その頃、僕らの町では結婚式の披露宴は自宅で執り行うのが普通でした。父が式の前日からお料理の仕出しの仕込みに忙しく立ち働いていたのを覚えています。某流派の包丁さばきで大根や芋を素材にして鶴と亀をむき出すのは見事なものでした。このときほど父を誇りに思ったことはありません。
さて披露宴になると、父にはもう一つ別の役割が用意されていました。披露宴の招待客ではないのですが、宴席に上がりこみ、上半身裸になり、どじょう掬いを踊るのです。宴もたけなわでの父の登場。やんやの喝采を浴びて、宴をさらに盛り上げるのです。少年であった僕はそれが嫌でたまりませんでした。「なんであんなみっともない真似をして、人に笑われて平気でいられるのか」と不思議でなりませんでした。父のことを憎み始めたのはおそらくあの裸踊りに大きな原因があったように思います。
僕が40代も半ば過ぎになった3年前、町内会の組長の役割が回ってきました。その翌年には自治会の副会長に抜擢されました。会合で顔を合わせる年輩の人たちとも馴染みになりました。そんな町内の役どころの皆さんが異口同音に僕に言うのでした。
「あなたのお父さんには結婚式のときに大変お世話になりました。あなたのお父さんのあの裸踊りは生涯の思い出です」
またこうも言われました。
「お父さんには自治会のためにほんとうによく働いてもらいました。頼んだことはいつでもきっちりとやってくれました。それに、あんなに人をワクワクさせてくれる人は珍しかったですよ」
今さらながら「父とはそういう人だったのだ」という感じです。あの裸踊りを僕が嫌っていた頃の父の存在が、40年近くも経って僕の自治会活動を助けてくれました。
結局、僕は中学時代からずっと父とはそりが合わず、血の通った会話を交し合うことはありませんでした。でも、今、父の裸踊りがとても懐かしく、愉快でほのぼのとした感慨を与えてくれます。今なら一緒に酒を飲んで裸踊りの共演を楽しめる僕がいるのですが。それから「あの鶴と亀のむき身細工を教えてもらっておけばよかった」と思う年齢になりました。