四畳半の書斎の机の隅に、うずたかく積まれた洋書に囲まれて、父は英文タイプを打っていた。リズミカルに響くその音の傍らで、私は絵本を読んだ。火鉢で暖をとり、当時流行った最新型のパーコレーターで、母はコーヒーをいれた。漂う香ばしいコーヒーの匂いには、その部屋には似つかわしくないハイカラさがあった。
風邪をひいた私が赤い丹前にくるまって、タイプを打っている父の傍で絵本を読む時に、父は私にチョコレートをくれた。
講談社の当時百円の絵本で「はちかつぎひめ」「あんじゅとずしおう」「はくちょうのおうじ」などが毎月1冊ずつ増えていった。チョコレートはいつも明治の50円の板チョコで、風邪をひいた時にしかもらえなかった。父のタイプの音がさざ波のように、迫ってきては引いていくような感覚になると、私は寝入るのだ。
今にして思えば、タイプは父のアルバイトであった。期末試験や実力試験の問題作成。あるいは、英語での文通の代筆、書類の英訳。大学を出たばかりの新米教師として、父は高校で英語を教えていた。
当時の駆け出しの高校教師のお給料がいくらだったのか知らないが、そのアルバイト代が私の絵本になり、チョコレートになり、おさげをまとめるリボンになっていったのだろう。もちろん、父と母が休憩に飲むパーコレーターのコーヒー豆代にも。長い間、私は本とは父親が買ってくれるものと思い込んでいた。
当時の百円絵本は、私が20歳を迎えた春、残念ながらダニがわき処分してしまった。それからさらに30年が過ぎ、私は息子を連れて「出戻り」となり、父は76歳になった。
火鉢はエアコンになり、パーコレーターはコーヒーメーカーになった。タイプライターはパソコンになり、パソコンには音がない。
私たちのために、タイプライターを打つ必要もなくなった父は、今、インターネットをしたりDVDを楽しんだりしている。そして洋書を読む。
父は時々、当時と同じチョコレートを冷蔵庫にそっと忍ばせていてくれる。
タイプライターのリズミカルな音、パーコレーターでいれたコーヒーの香り、火鉢の中の燃える赤い炭。どれもこれも遠いものとなっていったけれど、父は、あの若い頃のまま「出戻り」の私に君臨している。
時には、二人で本代を割り勘にしながら。
時には、板チョコを二人で分け合って。
そして、毎日、母と私と父が散歩する道端にある草花をケイタイで写しながら……。
「いつまでも元気でいてね! パパ!」