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【佳作】 立木と会話できた父
佐藤政實さん=一級建築士(72)埼玉県桶川市

 父の生れ育った所は究極の僻地である。村史によれば824年前、平家の落人(おちうど)清兵衛が興したもので、近隣各村とは完全隔離され南は獣道の峠、北は四尺巾の山道を3里歩かなければ町へは出られなかった。電灯のともったのは64年前の師走だった。

 明治42年、当家13代目の長男として生を受けた父は代々の大工を継いだが、仕事柄ほとんど家にはおらず、隣村への仕事でさえ泊り掛けのことが多かった。

 11月の初雪から土の現れ始める4月中旬まで、年間累計積雪30メートルの集落は峨々(がが)たる山に囲まれ、仰ぐ空は巨大な盆のように丸く見えて、まさに井の中の蛙だった。この期間、村の大黒柱のほとんどは出稼ぎに発ち、名工で知られる父も大工仲間を募り毎年関東へ出ていたが、銀座三愛ビルや厚木飛行場スタンドなど、なかなか複雑な雑工事を成し遂げている。くらい雪の底で父のいない半年間を淋しく暮らす幼子たちにとって雪解けどきの父りは本当に嬉しかった。

 昭和20年初頭、赤紙が来て父は北支へ赴いた。小さな集落でさえ毎日のように戦死公報が届き、こども心にも生活の困窮が胸に痛く非常時に対峙する覚悟を固めていたが、幸い無事復員でき、これは運と言う外ない。

 昭和25年3月、新制中学第1期修了生として複式学級の分教場を終えた私は、父について大工修業の道に入った。同年、建築士法が制定され、父は即二級建築士の資格を得た。豪雪の僻地では、建築主所有の山林で必要なだけ樹を伐採するのだが、林は貴重な財産で生活の源であるため余らせたら大変。竣工の際、残材が出ないよう緻密な積算が必要である。しかも、道のない深山のため4月の残雪を利用して山ぞりで運び出す以外に方法はなく、平地に製材小屋を仮設して用材を得るのだから不足が出たらお手上げである。

 つまり、山林の立木を目で測り建築各部の材をきちんと用意しなければならず、これはもう神業である。父は大工そのものの諸技術はもとより、この点にも長けていて、どの普請でも見事に過不足なく資材の調達をした。まさに立木と会話の出来る希有な人間だった。

 上棟式は祭壇ともども本格的なもので父はその都度、烏帽子(えぼし)、直垂(ひたたれ)で玉串奉奠(ほうてん)をしていた。

 仕事には一切妥協はなく厳格だったが、普段は優しくユーモアもあり、若くから俳句を趣味とし、大厄には近在から広く同志を募って鎮守に合同句額を奉納し、56年経た現在も郷里の神殿を飾っている。

 また、料理が巧みで集落の祝言などではよく厨(くりや)を任されていたし、唄うことが好きで毎年の祭礼には必ず盆踊りの音頭を頼まれた。

 私は、父を継ぎ無学ながら一級建築士一級大工技能士などあまたの資格を得、かつ上棟祝詞もマスターしている。今、13回忌に当り器用な父の足跡を静に偲んでいる。

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