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井筒和幸 父とみた映画、夢への出発点

 奈良県の旧家のぼんぼんですわ。

 昭和20年5月、20歳の時に赤紙がきて、ゲートルはいて家を出たと思ったら終戦。戦地には行かず、悲惨な経験をすることはなかった。戦後は日本の軍国主義を振り返る間もなく、大阪・難波の旅行会社で働き始めました。

 だから、幻影を抱いたままの軍国青年だったんでしょうな。男が勇ましく戦う戦争アクション映画が大好きでした。

 僕が小学生のころ、よく会社帰りに映画に連れて行ってくれました。父は興奮がさめない時には、すし屋に行ってビールを飲んでましたね。

 父とみた「バルジ大作戦」に衝撃を受けました。第2次世界大戦末期の独軍の反撃を描いた作品で、ダイナミックなうえに戦争のむなしさも伝わってきた。「こんな映画をつくる人間になりたい」と言うと、その時は、父は「ふーん」ってなもんでした。

 それが高2のころ、映画をやりたくて大学に進学しないと決めると、「そんな夢みたいなこと言うてどないすんねん」と。意見が合わずに会話がなくなり、僕は東京に家出したんです。

 ある劇団に行くと、その日のうちに父が高校の教師と一緒に現れた。友人が漏らしたんですな。「気持ちはわかったから、家でゆっくり考えろ。母さんが心配している」と言われ、従いました。

 それからは、僕はアルバイトしながら勝手に映画をつくっていたんですが、腫れ物みたいな感じで少し離れて見守ってくれました。

 僕は28歳の時、「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞をもらいました。父は、盾に大島渚さんの名前があるのを見て、「よかったな」と喜んでくれました。

 まじめな人。夕方には家に帰り、酒はほどほど。自分に厳しい人だった。だからこそ、僕は「早く自立せな」「安心させな」と思って頑張りました。

 76歳の時、トラクターの事故で亡くなりました。まだ元気でした。もう1回、ビールをついであげたいですね。(聞き手・小林杉男)

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 いづつ・かずゆき 映画監督。奈良県大和郡山市出身。96年、「岸和田少年愚連隊」でブルーリボン賞最優秀作品賞。最新作は「パッチギ!」(05年)。

(2005年9月18日付朝日新聞朝刊)
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