千の風になったあなたへ贈る手紙(朝日新聞出版、本体価格580円)
事務局に届いた5056通の手紙
最終選考会風景
「千の風」は心の中に
大切な人を亡くした悲しみを乗り越え、再び前を向いて歩き出した体験をお寄せください――。そう呼びかけた「千の風になったあなたへ贈る手紙」(朝日新聞社、朝日新聞出版主催)の入選作が決まりました。国内外から寄せられた5056編から選ばれた27編。選考委員賞の5編を掲載し、新井選考委員長の総評、各委員の感想を紹介します。受賞作を含む153編を収めた文庫本「千の風になったあなたへ贈る手紙」(朝日新聞出版、本体価格580円)は、全国の書店で好評発売中です。
7歳から100歳まで5056編
7歳から100歳まで幅広い年齢層からお送りいただきました。60代がもっとも多く、次いで50代、70代。女性が7割、男性が3割。海外からは米国、カナダはじめ17カ国でした。
長年連れ添ったご夫婦の別離には、お二人だけの言葉や思い出がいっぱい詰まっていました。女性は夫に感謝しつつ、残りの人生を前向きにとらえ、男性はなかなか悲しみから立ち直りきれない。そんな傾向が見て取れました。
闘病を支えた日々を振り返る手紙も多くありました。亡くなった人は感謝を口にしてくれたけれど、あれでよかったのか……。そんな思いを託して短歌や書を始めた方も多いようです。幼くしてわが子を亡くした親の心情が伝わる作品も目立ちました。
多くの方が「千の風になって」の歌に救われた、と書いていました。今回の企画に応募することで「やっと気持ちの整理がつきました。ようやく新たな一歩が踏み出せます」といった添え書きもたくさんありました。
選考委員賞の5編は以下の通りです。
◇
この企画は、テレビ朝日、北海道七飯町、新潟市、愛媛県西条市が後援、朝日新聞厚生文化事業団、森林文化協会、函館大沼プリンスホテル、大日本印刷が協力しています。
いただいた手紙は西条市の市立西条図書館で保管し、展示されます。6月には同市で朗読イベントを開く予定です。
審査委員プロフィールと各特別賞、副賞、宿泊券の詳細はこちら >>
5賞以外は次の皆さん(敬称略)
家族が結び直された 新井 満さん

数次にわたる厳しい選考をくぐりぬけて最終選考会に残った作品は、全部で50通の手紙であった。私が考えた自分なりの選考基準は……(1)手紙の内容が事実であること(2)喪失の悲しみを乗り越えて元気に生きている現在が書かれていること(3)感動があること、以上三つである。50通の手紙を何度も読み返し、自分の名前を冠した賞にふさわしいと思われる5通を選んで選考会に臨んだ。
これは大変珍しいことなのだが、選考委員たちが推した作品は一つとして重なってはいなかった。結果、岸さんが一番に推した作品はそのまま岸惠子賞を受賞することになり、さださんが一番に推した作品はすんなりとさだまさし賞を受賞することになった。俵万智賞と朝日新聞賞(一色清さんの推薦)も同様である。このようにして短時間のうちに、個性豊かな4人の選考委員にふさわしい受賞作品が次々に決まっていった。
問題は、新井満賞である。第1回の選考委員長賞にふさわしい作品を何としてでも選び出したい。持参した5通の手紙を改めて黙読してみた。どれも感動的で甲乙がつけがたい。他の選考委員たちの意見も色々で、かんかんがくがくの議論を2時間以上続けたが、どうしても決着がつかない。思案の末に私は次のような提案をした。「5通の手紙を朗読してみませんか。目ではなく耳で判断しましょう……」
すると朗読する前にはさほど目立たなかった西村拓人さんの手紙が、がぜん輝きを増してきた。こうして最終選考会の出席者全員の賛同を得て新井満賞が決まった。
多くの手紙に共通して描かれていたのは、家族の姿であった。大切な人を亡くしていったんはバラバラに壊れていた家族の絆がもう一度結び直される「家族の再生物語」なのである。5056人の応募者の皆さん、あたたかな涙と生きる元気と勇気を、心からありがとう!

有り余りの紙でごめんね。
お母さん、56歳の誕生日おめでとう。ぼくはあいかわらずお父さんにしごかれてるよ。もうお母さんが死んじゃってから、より一層お父さんがぼくに厳しくなって大変だよ。
まあ、お母さんのせいじゃないんだけどね。本当に時々、お母さんが突然ぼくの記憶の中に入りこんで、もう、そのたんびに、涙が出ちゃって大変なんだよ!! 本当にお母さんが死んで2年もたつけど、まだお母さんが死んだっていう実感がわかないんだよね。いい思い出をありがとう。
ぼくも一生懸命に生きてるからあんまり心配しないでいいよ。まあ、まだ頼りないからちょっとは見守っててほしいけどね。5月なのにこの暑さ。もう日本は大変だよ。そっちはどう? そっちの生活を時々夢で紹介してくれたらうれしいな。他にもぼくが悪いことしてたら遠慮なくビシビシ怒ってね。
真実は中学生になって、ちょっとお父さんに反抗してるけど、やっぱりお母さんの血筋かな? とても優しい子に育ってるよ。まあ、すごく生意気だけどね。
家ではあまり弾いてないけど、バイオリンはお母さんの言う通りやってるよ。なんか前より下手になってるような気がするけど。天国までバイオリンが届いてくれたらすごくうれしいな。
今日は雲ひとつない、すごくいい天気。お母さんが空から見守ってるのかな? ケーキとかないけど、本当に誕生日おめでとう!! 最後にお母さんと歌った曲を書くよ。お母さんもできれば天国で歌ってね。まあ、覚えてる範囲だけどね。
《「翼をください」歌詞引用省略》
お母さん、誕生日おめでとう!! by拓人
西村拓人さん(右)と、手紙を内緒で応募した父義幸さん=東京都八王子市、細川 卓撮影
「母のおかげ」、10年見守ってくれている母に感謝
「僕の自慢のお母さんへ」と西村拓人さんが手紙を書いたのは高校1年生のとき。幼稚園長だった母とき子さんが卵巣がんで亡くなってから2回目の誕生日だった。いつもお墓に語りかけていたけど、初めてノートの1ページに書き留め、風で飛ばないように石で押さえて置いてきた。
後からお参りに来た父義幸さん(62)が見つけて持ち帰り、仕事場の机の引き出しに大切にしまっていた。「兄妹だけでもしっかり育ってほしいと鍛えたが、こんなに恋しがっているのかとショックでした」。息子をしかった後など、取り出しては、ながめてきた。今回の企画を知って、就職活動で苦労し、コンビニでアルバイト中の息子の人生が少し変わればと、本人に内緒で応募した。
病院の庭を散歩しながら、とき子さんは拓人さんと「翼をください」を歌った。拓人さんの夢の中には、いまも普通に生活しているように母が現れて声をかけてくれるという。「10年見守ってくれた。お母さんのおかげでもらえた賞。これからもよろしく」

山本典子さん(52)=千葉市
白血病のため小6で亡くなった息子に導かれて、母は小児科医院の薬剤師になった。
【評】
淡々と物語る、きれのいい文章の行間にあふれてくる「ひろ君」への静かで、やさしく、けれど、噴き上げるように熱い母の思いが伝わってきます。短か過ぎたその人生の半分を、病魔と闘いながら、その悪魔が、ほんのいっとき手を休めると、原っぱへ行って紙飛行機を飛ばしたひろ君。大空のかなたで、青く塗った翼に乗った浩隆君の、輝く笑顔が見えるような清々(すがすが)しい作品です。
「ひろ君、ほら 紙飛行機とばしに中央公園に行こう。夏休みだから稲田君も遊びに来るよ。お昼も過ぎたよ 起きよう。」
浩隆の小さな手は、私の手の中で温かく、細い指先には、数日前まで、紙飛行機の翼を塗っていた青色が、かすかに残っていた。
「ママも先生(医師)も心配しないで、僕大丈夫だから」
と、おとといの昼震える手で薬を飲み、夜になって痙攣を起こし、それからベッドに横になったままだった。小学一年生の時白血病になった浩隆は三年生の夏に骨髄移植をし、四年生になる春に再発して六年生の今まで治療が続いていた。外泊できると中央公園の原っぱに行き、高い空に紙飛行機をとばし、青い空に光る白い機影をみあげていた。
「ひろ君……。」
その小さな手は、五重の塔や電気のしくみの本を読んで、ベッドの上で描いていた未来都市の夢を私に伝えていた。そして、そのぬくもりは、もうすぐ遠くへ行く浩隆のさよならだった。
やがて
夏の終わりの夕陽が病室の窓を染め、金色の光が浩隆の茶色く透明な瞳に届くと、浩隆は窓を抜け、夕焼けの空へ駆けていった。
私は夕闇に沈む病室で浩隆の瞳を閉じた。
私の中に残った小さな灯りは
春の日 原っぱの土手で友達と草すべりをする浩隆の輝く笑顔を映している。
そして、病気の子供達の描いた夢をいつか叶えたくて
私は、夕焼けの海の見える小さな町の小児科医院で働いている。

岸 充昭さん(65)=新潟県柏崎市
助産師だった妻が乳がんで亡くなる前、小、中学生へのいのちの講演で残した言葉は――。
【評】
たった一つの言葉が、人に勇気や元気を与えてくれることがあります。この手紙に登場する女性の言葉は、家族をはじめとする多くの人を励まし、生きる力を与えてくれるはずです。
「生きているだけで百点満点」
乳がんでお前が亡くなってから、四度目の冬が近づいている。
独りで観る四季折々の風景は、いつも見たことがない気がする。そして目に滲みる。
とりわけ今年の秋の、松雲山荘の鮮やかな紅葉は見事で、その彩りはなぜかとても、堪えた。時がたてば忘れていくことと、想いが増していくことがある。
男は生きるのが不器用だから、やっぱり女房よりも先に逝くべきだと思うよ。
よく喧嘩をしたな。そして何故、お前のような女と一緒になったのかと思ったものだった。神は非情だ。お前が生きている時は、どんなに俺にとってお前が、必要であるかを気づかせてはくれなかった。
不意に、お前の友人たちと顔を逢わせることがある。彼女たちは頼みもしないのに、お前との思い出話を始め、そして去って行く。
望まないのに、寂しさを詰めていた箱が開いてしまい、それを閉じるには、しばらく時間がかかる。
助産師であったお前は、多くの新生児を取り上げた体験をもとに、小、中学校の生徒達に、命の誕生までの道のりと、その大切さについて講演をしていたが、講演を聴いた生徒達の感想文集を見つけた。そしてお前が生徒たちに残したという言葉を知ったよ。
「生きているだけで百点満点」
その言葉に勇気を持った生徒が多くいた。
お前に頼みたい。どうか千の風になって、残された俺や、まだ独り立ちしたとは言えない我が家の、三人の子供たちの耳元に立ち寄り、励まして欲しい。そして言って欲しい。
「生きているだけで百点満点」と。

久保田千秋さん(46)=大分県竹田市
2人の障害児のためにと脱サラして始めた農業が軌道に乗った矢先、病に倒れた夫へ。「大丈夫です」
【評】
どの手紙にも、書かずにはいられない思いが満ちていた。現実には届けようのない「思い」が、この企画で「言葉」になった。久保田さんの「親愛なるいそちゃんへ」は、幸せとは何かを深く問いかけてくる。大変な状況のはずなのに、充足感と幸福感が伝わってくるところが魅力だった。
「親愛なるちいちゃんへ」の書き出しで、生前あなたは私にラブレターをくれました。今度は私からです。秋になり、里山は彼岸花が色づきを加えてキンモクセイが香りを運んできます。農作業が忙しかった夏が終わりました。あなたからは、慌しい私たちが見えていましたか? 日中暑かった夏の日の夕方、西の畑に夕陽を見に行くとさわやかな風に包まれます。畑が大好きだったあなたは日が暮れるまで畑にいて「ごはんよー」って呼びに行くと「おう!」ってにこにこ戻ってきましたね。今でも畑に行くと「おう!」って出てきそうです。
結婚して長男、次男が生まれ、二人ともに知的な遅れがわかったとき、私たちはとても落ち込みました。障がい児を育てる大変さで暗くなっていく私を見て、あなたは考えた末に「二人とも体は丈夫そうだから、将来は畑仕事を一緒にするのはどうだろう。早めにその基礎を作るために脱サラして新規就農しようと思う」と言いました。私は「いいねえ」と即答し、それからあなたは無農薬・無化学肥料での野菜作りを一から築き上げました。そんな中で娘を授かったとき、あなたは本当にうれしそうでしたね。一通りの野菜が作れるようになり、やっと軌道に乗ってきたと思った矢先、あなたは余命三か月の病に倒れました。どうしようと落ち込む私に「俺は大丈夫、死ぬ気がしないから。克服してみせる。」と、抗がん剤の道を選ばず、玄米菜食、民間療法とあらゆる努力をして二年半、最後まで「生きたい。何とかしたい」と頑張ってくれました。 私が落ち込んでいるときに助けてくれたのはいつもあなたでした。本当にありがとう。
私たち家族は……大丈夫です。農業を続け、この土地で普通に生活しています。夕食時、畑でとれた野菜を料理して食卓を囲み、おいしいなあと感じながら、一日の出来事を話しあい、笑い、今日も一日過ぎたなあと思う。毎日のこの繰り返しができれば十分幸せと思えるようになったんだよ。子供たちも、毎日元気に学校に通っています。今の子供たちをあなたが見ると「久しぶりだなあ、ほんとに成長したなあ」と喜んでくれるでしょうね。その言葉を聞きたいです。聞けることなら。いつの日か私の中ではっきりとその声を聞ける日がくるまで、私は足を止めず、でもぼちぼちとできる範囲でそしてしっかりと前に進んでいきたいと思っています。見守っていてください。よろしくね。

福田千惠子さん(58)=青森県五戸町
がんで逝った夫は、3人の子どもたちの人生の節々に贈るたくさんの手紙を残していた。
【評】
とても切ないのですが、とてもさわやかでもあります。「必ずみんなのそばにいて守っているから」という意味は、誕生日ごとに手渡される手紙だったのですね。手紙の中のお父さんのメッセージを心に刻んで、子どもたちはしっかり育ったようで、こちらまでうれしくなります。
(編集委員・一色 清)
十一月、私の五十八歳の誕生日に雪が降りました。その二日後があなたの十五回目の命日。
十五年前、がんで逝ったあなたが、家族に残した手紙に、『必らずみんなのそばにいて守っているから』と書いてありましたね。
「四人もいるのにどうやって?」
「分身の術でも使うのか!」
「お父さんていいかげんなんだから…」
と、みんなで笑い合いましたっけ。
『明るく明るくね。お父さんがいなくてもいるかのように暮らしていくんだよ』とも書いてありましたね。はいはい、そのように生きてきましたとも。
子供たちは、十六、十四、十二歳の年令で父親の、がんとの壮絶な闘いと死を見ました。目の前に刃をつきつけられるごとく、人生の不条理を見ました。そろってのんびり気弱な彼らでしたが、その後何度かの自らの転機に際しては、断じて逃げない姿勢を見せ、私を驚かせたのです。
あなたは子供たちへのたくさんの手紙を、私に託していきました。成人までの誕生日毎のバースデーカード。結婚する時のお祝いの手紙。一通ずつ渡すたびに、彼らは照れくさそうに嬉しげに受けとり、必ず一人でひっそりと読んでいたものでした。
私たち四人、平穏順調にこの十五年を生きてきた訳ではないこと、知っていますよね。悲しみの大波を受けた後だから、その後の中波小波をやり過ごせたのかなとも思うけれど、それでもそれぞれのがんばりは、ほめてやって下さいね。子供たちと、ついでに私のことも。
千の言の葉で、子供たちを導き守ってくれてありがとう。千の言の葉で、私たちを幸せにしてくれてありがとう。
今日も雪がちらついています。寒がりのお父さん、天国で暖かくしていますか。