朝日新聞紙面審議会

 朝日新聞の紙面について読者の視点で話し合う紙面審議会が9日、東京本社で開かれました。1989年に発足した紙面審議会は、1面とこの面にあるお知らせの通り、その役割が読者代表であるパブリックエディター(PE)や本社の編集部門幹部らが議論する「あすへの報道審議会」に発展的に引き継がれます。2013年4月に就任していただいた委員のみなさん(鈴木幸一委員は昨年4月から)の議論は今回が最終になります。この機会に、今回の紙面審議会では、4委員に、これまでの紙面審議会の議論も踏まえながら、朝日新聞の現状をどう見るか、今後に望むこと、期待する点は何かについて提言、意見をいただきました。

【2015年度第4回審議会】(3)「リベラルな現実主義者」貫け

中島岳志委員

 一昨年以来の朝日新聞バッシングは、単に慰安婦報道に向けられたものではない。戦後の朝日ジャーナリズム、ひいては戦後民主主義に対する不満・鬱屈(うっくつ)が噴出したものと捉えるべきだろう。その根源には「自分たちは正しさを所有している」という朝日の態度に対するいらだちがあるように思う。
 朝日は長く、左派と色づけされてきたが、現在はそのようなイデオロギー色を薄め、「リベラルなリアリズム」を目指しているように見える。私は、そのスタンスを評価している。今後、リベラルな現実主義者としての歩みを進めていくためには、やはり過去の朝日新聞を総括する必要があるだろう。

 朝日新聞はそもそも「リベラル保守」要素の強い新聞社として大正デモクラシーを牽引(けんいん)していた時代があった。大正期の「大阪朝日新聞」の中心にいたのは鳥居素川(そせん)・編集局長、長谷川如是閑(にょぜかん)・社会部長、丸山幹治・通信部長といった、陸羯南(くがかつなん)が主幹の新聞「日本」出身の記者たちである。国民主権ナショナリズムを基盤としたオールドリベラリストこそが、大阪朝日の「民本主義」を支えていた。
 この体制が崩壊したのが1918(大正7)年の白虹(はっこう)事件=キーワード=だ。朝日バッシングが拡大し、村山龍平社長が辞任。「日本」系の記者たちも次々に退社していった。
 白虹事件以降の朝日新聞は、社内では萎縮・自主規制が蔓延(まんえん)し、ラジカルな政権批判をトーンダウンさせる。そして30年代以降、結果として戦争に加担する紙面を作り続けた。

 いま取り戻すべきなのは、白虹事件以前の朝日新聞ではないのか。村山・鳥居体制の大阪朝日が示したリベラルなジャーナリズム精神こそ、再評価されるべきではないか。終戦の1945年を分岐点とするのではなく、1918年を分岐点とした方が、朝日新聞のあり方を見つめ直すのに重要な視座を与えてくれるように思う。
 一昨年からの一連の「朝日新聞問題」を「平成の白虹事件」にしてはならない。権力に対する忖度(そんたく)を排し、自らの萎縮、自主規制に敏感になるべきだ。その際、幹部の態度は重要だ。部下は直接権力にではなく、幹部の皆さんに対して忖度するのだから。
 慰安婦問題に関して言えば、朝日のみに責任を押しつけられるようなものではないことをしっかりと指摘し、論争すべきである。慰安婦問題に限らず、反論すべきは徹底的に主張していくことが重要だ。



紙面審議委員


     鈴木 幸一 委員
 すずきこういち インターネットイニシアティブ会長。46年生まれ。日本におけるネット社会の基盤を創った先駆者。東京・上野で毎春、音楽祭を主宰している。

 

     湯浅 誠 委員
 ゆあさまこと 社会活動家。法政大学現代福祉学部教授。69年生まれ。08年末に「年越し派遣村」村長。09~12年、内閣府参与。08年「反貧困」で大佛次郎論壇賞。

 

     中島 岳志 委員
 なかじまたけし 東京工業大学教授。75年生まれ。専門は南アジア地域研究、日本思想史。05年「中村屋のボース」で大佛次郎論壇賞。

 

     斎藤 美奈子 委員
 さいとうみなこ 文芸評論家。56年生まれ。編集者を経て94年、近代文学評論「妊娠小説」でデビュー。02年「文章読本さん江」で第1回小林秀雄賞受賞。

 

◇開会日までの東京本社発行最終版を主な対象に討議。写真は池永牧子撮影