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(被災地で生きる)引き留めた悔し涙 東京→気仙沼

写真:勉強を教えている小中学生やボランティア仲間の大学生に囲まれる成宮崇史さん(中央)=宮城県気仙沼市 拡大勉強を教えている小中学生やボランティア仲間の大学生に囲まれる成宮崇史さん(中央)=宮城県気仙沼市

 気仙沼市の鹿折川近くにあるコミュニティースペース。昨年の12月21日夕、2学期の終業式を終えた小中学生8人が、宿題と向き合っていた。ボランティアの大学生2人とともに、成宮崇史さん(29)が助け舟を出す。

 英文を和訳する中学2年生の女の子に「a lot ofの意味は? manyと一緒だよ」。「『いくつかの』? あ、違う。『多くの』だ」。女の子の言葉に目を細めた。

 ◇ ◇ ◇

 気仙沼に拠点を置くNPO法人「底上げ」のメンバー。学習支援を週4回開いているほか、復興のためになることなら何でも屋のように活動している。

 勤めていた東京都内のカフェやバーは全部やめて、世田谷区から気仙沼に入った。2011年8月のことだ。公園でテント生活をしながら、がれきやヘドロを片付けた。ただ、3カ月したら、帰京するつもりだった。飲食店を経営する夢があったからだ。業界に戻って資金をためつつ、ノウハウを学びたかった。

 2カ月ほどしたある夜。一緒に酒を飲んでいた被災者の男性が震災直後を思い出して言った。「がれきの前でVサインをして写真を撮っているやつらがいた。頭にきた」。被災地の理不尽をとうとうと語った。

 男性の悔し涙をもらい、一緒に泣いた。「思いは共有できた」。気仙沼の復興のために腰を据えようと決めた。このころ、埼玉県出身の矢部寛明さん(29)と斉藤祐輔さん(25)とともに「底上げ」を立ち上げた。「被災地や社会問題に正面から向き合う意識を底上げしたい」という思いを込めた。

 矢部さんと斉藤さんは全国の大学や小中高校で講演し、気仙沼の復興までの遠い道のりを伝える役目を担う。共感した大学生が、ボランティアとして多い月には50〜60人も気仙沼に来てくれるようになった。

 気仙沼市民になった成宮さんは、そんな大学生を迎えるのが役目だ。自らが住み、「底上げ」の事務所でもある一軒家を合宿所に夜は酒を酌み交わす。話題は気仙沼や日本の将来。若い熱気があふれる一軒家は、まるで「梁山泊」だ。

 学習支援のほか、農家の手伝いや、階上(はし・かみ)地区で絶えそうになった自然塩づくりにも携わる。ボランティア活動のほかにも、地元の和太鼓を習ったり、ケーブルテレビでアナウンサーをしてみたり。どっぷり気仙沼につかっている。

 こんな日々の中で夢が増えた。飲食店経営のほか、大学卒業後に携わっていた児童養護の仕事も。「気仙沼の漁業にもかかわりたいし、何より新しい街づくりに加わりたい」

 「いつまでいるの?」。親しくなった人たちからよく聞かれる。「気仙沼が復興するまで」と答える時もあるし、「こっちで結婚したら、ずっといるよ」とおどけることもある。

 すると、みんなが「紹介しようか?」と真顔で言ってくれる。恥ずかしいけど、気仙沼がどんどん好きになる瞬間でもある。(鈴木剛志)

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