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(被災地で生きる)笑顔になる日まで 高松→仙台

写真:ミカン栽培の相談に乗る四宮利章さん(右)=仙台市宮城野区拡大ミカン栽培の相談に乗る四宮利章さん(右)=仙台市宮城野区

 東日本大震災で津波をかぶった仙台市宮城野区の田畑で、ミカンを育てられないか――。そんな動きが始まろうとしている。

 「寒い東北でミカンをつくれたら、おもしろい。失敗してもいい。挑戦しないと」。発案者の一人、阿部勇さん(62)は意気込む。

 相談の相手は、ここにボランティアに来ている四宮利章さん(42)。温暖で、ミカンの産地でもある高松市の出身だ。

 「マイナス5度以下になると、ミカンの木は死んでしまうそうです」

 四宮さんはミカンに詳しい故郷のJAの知人から聞いてきた知識を伝えるが、阿部さんは笑顔で食い下がる。「ここより寒い(宮城県の)内陸でも鈴なりになってるのを見た。やらせてよ」

 その熱意に、四宮さんも心を動かされた。「一緒に取り組めば、みんなが笑顔になれるかな」

 ◇ ◇ ◇

 3月11日の震災時、四宮さんは高松市の自宅で、遅い昼食を済ませたところだった。友人もいる仙台市が津波にのまれる様子が、テレビに映し出されていた。

 大災害を横目に、のんきに歯をみがいている。そんな自分が急に嫌になった。水や軽油、食料、お菓子を車に積み込み、仙台市に向かった。

 2日がかりで宮城県に入った。カーナビに亘理町荒浜の地名を見つけ、ハンドルを切った。津波の被害が大きいことを、ニュースで知っていたからだ。トンネルを抜けると、そこはがれきの山。衝撃を受け、1時間近く立ちすくんだ。

 見かけた被災者に「なにかお手伝いします」と声をかけたが、断られた。子供たちにお菓子を配ろうとしたが、受け取ってもらえなかった。四宮さんは「被災地に来さえすれば、だれかを助けられる。そう思い込んでいた」。

 何をすればいいのか、わからない。亘理町境を流れる阿武隈川の橋の下で「3日間、引きこもった」。4日目に立ち寄った神社で、社務所の畳や家具の片付けを頼まれた。水を吸った畳は重く、冷たい。つらい作業だったが、被災者のニーズに応えられた。

 ◇ ◇ ◇

 4月からは仙台市へ。ほかのボランティアと一緒にがれきを片付けたり、住宅に入った泥をかき出したりする手伝いを始めた。

 高松での会社勤めの一方で、週末や有給休暇を使って仙台市に通った。「ありがとう」と涙を流す人たちを見るたびに思った。「戻ってこよう」

 そして昨年1月、会社を辞めて宮城野区岡田のボランティアセンターに住み込み始めた。被災地のニーズは、応急の復旧から、新しいまちづくりへ変わってきている。じっくり、取り組みたい。

 四宮さんは話す。「これからは感謝の涙ではなく笑顔でないと。自分がいなくてもいいと納得できるときまでは、ここで支援を続けたい」(福島慎吾)

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