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(被災地で生きる)経験を生かす 唐津→気仙沼

写真:佐賀県唐津市にある建設会社の取締役から、気仙沼市の土木課職員に転じた荒川茂樹さん(右)=宮城県気仙沼市役所拡大佐賀県唐津市にある建設会社の取締役から、気仙沼市の土木課職員に転じた荒川茂樹さん(右)=宮城県気仙沼市役所

 昨年末、気仙沼市の本吉町蔵内地区。復旧工事が終わった市道の長さと幅、舗装の厚さを、九州出身の荒川茂樹さん(61)が検査していた。いずれも気仙沼市の発注通り。「合格ですね」。同僚とうなずきあった。それでも「市内の道路がすべて復旧する日は、まだまだ遠い」。

 ◇ ◇ ◇

 佐賀県唐津市の建設会社「佐三木(さ・さ・き)工業」に30年以上勤め、取締役に上り詰めていた。大震災のあった2011年の暮れ、佐々木綱行会長(68)に切り出した。「東北に行きたい。被災地の手伝いをしたい」。復旧に欠かせない技術者の不足が、報じられていたからだ。

 佐々木会長はその1カ月前、気仙沼の被災状況を視察していた。荒川さんの熱意を受け入れた。「分かった。ただ、会社に籍は置いていけ。3年ぐらいなら大丈夫だ」。妻つゆじさん(62)も背中を押してくれた。「お父さんがそんな気持ちなら、1人で唐津にいても我慢できるよ」

 荒川さんは自ら唐津市役所を訪ね、技術者を求めている被災地を探した。佐々木会長も、佐賀県商工会連合会の副会長という肩書を生かして佐賀県庁に掛け合い、受け入れ先を探ってくれた。気仙沼行きが決まると、佐々木会長は会社の車を貸してくれた。「被災地で使え」

 気仙沼に入ったのは昨年の春。惨状に言葉を失うと同時に、闘志もわき起こった。「来て良かった。何かの役に立てる」

 市土木課の嘱託職員として、傷んだ道路の復旧工事の進み具合を管理する。土木課には各地の自治体から20人以上の公務員が来ているが、民間からは自分だけだ。建設業の現場で長年培った経験と知識が、被災地で生きる。

 ◇ ◇ ◇

 気仙沼では「標準語」を話すが、語調からよそ者と悟られる。「九州から来ました」と言うと、「ありがとう」「大変だね」。被災地の優しさを感じる。

 不自由さも、もちろんある。暮らすのは気仙沼から20キロほど離れた岩手県一関市の仮設住宅。東北生活は初めてだし、一人暮らしも数十年ぶりだ。給料も6割ぐらいに減った。

 正直言うと、酒は東北の日本酒よりも九州の焼酎がいい。気仙沼の魚介類もうまいが、妻が送ってくれる「がめ煮」(筑前煮)がやっぱり口に合う。

 「それでも、地元で年金暮らしを待っているより、充実しています」

 この年末年始、唐津に帰り、佐三木工業の元日の集まりに顔を出した。「気仙沼は寒いし、まだ地震もあるだろ。早めに帰ってきたらどうだ」。心配してくれる同僚に、こう返した。「仕事は始まったばかり。途中で投げ出すわけにはいかないんだ」

 今春で、まる1年。「1年目が終わった時に、東北人になっていたい。2年で宮城人。気仙沼人には、3年でなれたらいいと思っているんです」(鈴木剛志)

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