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(被災地で生きる)家族写真、愛の証し 名古屋→南三陸

写真:南三陸町を拠点に活動する「家族写真家」の浜野浩行さん。高台にとめたトレーラーハウスで生活している=南三陸町拡大南三陸町を拠点に活動する「家族写真家」の浜野浩行さん。高台にとめたトレーラーハウスで生活している=南三陸町

図:  拡大  

 師走。南三陸町歌津の高台で、浜野浩行さん(39)が漁師一家の写真を撮っていた。津波で一部を流された漁師の自宅に出向いての撮影だ。「はーい、こっち見てくれますか」。できのいい一枚を、ワゴン車に載せたプリンターで、さっそく印刷。その場で見本として渡すと、家族の顔がほころんだ。

 昨年9月、名古屋市から移り住み、「家族写真家」を名乗っている。「津波に奪われた家族写真を、撮り直していきたい」

     *

 滋賀県で過ごした幼いころ、家族とふれ合うのが嫌だった。両親と弟の4人家族。学校の成績は良かったが、母親の期待を重く感じた。小学6年の時に友だちとの人間関係がこじれ学校に行けなくなり、夜通しテレビゲームに熱中した。心配する親がうっとうしかった。食卓の料理をひっくり返し、ふすまを殴った。

 中学3年から学校に戻った。ゲーム業界に就職するため、進学したかった。大学を出て、ゲーム販売店を全国展開する愛知県の会社に就職できたが、家族への不信は残ったままだった。

 転機は34歳。東京・秋葉原で連続通り魔事件が起きた。犯人が親との確執を抱えていた、とのニュースを見て、他人事とは思えなくなった。「ぼくは何とか普通の生活を送っている。違いはなんや」

 実家にある両親との家族写真をふと思い出した。幼いころ、よく眺めていた一枚。親が自分を愛してくれていた証し。親への不信が氷解し、家族写真の力を思った。「何十年も経って、初めて価値に気づいた」

 35歳でブライダル会社に転職した。結婚式の写真を撮るカメラマンとして、名古屋市で働き始めた。1年かけて撮影技術を覚えた。天職だと思った。

     *

 そこへ、震災。社員をボランティアとして派遣しようと考えた会社から命じられ、宮城県の沿岸部をまわった。人手が不足している南三陸町を拠点に決めた。同僚とともに、がれき撤去に励む日々が始まった。

 地元のホテル従業員、渡辺陽介さん(30)と懇意になった。聞くと、結婚写真を津波で失っていた。「もう一回、結婚式をやりませんか」。一昨年8月にホテルで「挙式」。写真は、浜野さんがとった。

 「一度目の結婚写真より断然いい。ずっと大切にします」。渡辺さん夫妻の幸せそうな表情は、南三陸への移住を決意するきっかけになった。

 ワゴン車で町外へも出かけていく「移動写真館」をビジネスとして成り立たせたい。ブライダル会社の厚意で、仙台営業所の契約カメラマンとしても働き、生計を立てている。

 高台から夕景を眺めながら、最近よく思う。「家族を撮るのだから、自分も幸せにならなきゃな」。良きパートナーとも巡り合えれば、と願っている。(伊藤喜之)

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