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05月19日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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(被災地で生きる)子どもの笑顔広げる 愛知→東松島

写真:子どもたちの新聞づくりを企画した近藤祐佳さん=東松島市拡大子どもたちの新聞づくりを企画した近藤祐佳さん=東松島市

 「新東名(とうな)に、しゅうかいじょができました」「ふれあいセンターの外で、なにかしている人たちにしゅざいをしました」

 東松島市野蒜の小学生が近所を取材して記事を書いている「かぜの子しんぶん」。子ども記者をサポートしているのは、名古屋市に本部を構えるNPO法人「ICAN(アジア日本相互交流センター)」の近藤祐佳さん(32)だ。

 毎月2回3千部をつくり、市内外に配っている。子どもたちに地元への愛着を持ってもらいたい。子どもたちの元気な様子を地元を離れた被災者にも伝えたい。そんな思いから、昨年末に作り始めた。

 「子どもが笑顔だと、親や周りも笑顔になる。私が笑顔をたくさん作りたい」

 震災当時は愛知県日進市に住み、名古屋市の商社で働いていた。テレビや新聞が被災地の様子を伝える一方、自分の生活にはほとんど変化がない。同じ国の出来事と思えなかった。

 しかし、自宅でニュースに釘付けになっていた母照美さん(59)が「行けるものなら、助けに行きたい」とつぶやいた。その言葉に心が動いた。

 東松島市のボランティアセンターが事務職を求めていることを知り、すぐに応募。震災3カ月後の6月中旬に商社を辞め、1カ月間の予定で向かった。

 ボランティアをするのも、東松島はもちろん東北を訪れるのも、実家を離れて生活するのも、何もかも初めてだった。

 それだけに、仙台空港に近づいた飛行機の窓から津波でなぎ倒された防災林が見えると、急に怖くなった。仙台駅から東松島に向かうバスに乗れず、コーヒー店に4時間座り続けた。

 ようやくたどり着いたボランティアセンターでは、事務職のかたわら、側溝の泥かきのために初めてスコップをふるった。忙しさのなかで滞在予定は延び、実家に戻ったのは8月中旬。しかし、10月には再びボランティアとして戻った。

 冬が近づく被災地では、泥かきなどの応急復旧から生活再建へと、被災者のニーズは変わっていた。「これから被災地はどう変化していくのか、仕事として見続けていきたい」と考えるようになった。

 そんな折に声をかけてきたのが、震災直後から東松島市を支援していた「ICAN」の現地スタッフ。昨年1月から働き始めた。

 活動の幅も広がった。仮設住宅の被災者支援のため、植栽づくりやお茶会を企画。子どもたちとの新聞づくりは、自身の発案だ。

 さらに、地元の若者や県外から来たボランティアらと、まちづくりを考えるグループ「インパルス」も立ち上げた。今月17日には、若い独身男女が一緒に料理を作って交流するイベント「クックコン」を開く。

 被災地でいつまで働き続けられるかはわからない。でも、「やりきったと思えるぐらい働いて、その経験を地元に持ち帰りたい」。

 昨秋に実家に電話をしたとき、娘の帰郷を待っているはずの父和博さん(61)が背中を押してくれた。「後悔しないように、思う存分やってこい」

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