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(被災地で生きる)家族が見つかった 京都→南三陸

写真:仮設住宅で一家だんらんの時間をすごす熊谷哲典さんと妻夏美さん、藍斗君(左)と晴君(右)=南三陸町歌津拡大仮設住宅で一家だんらんの時間をすごす熊谷哲典さんと妻夏美さん、藍斗君(左)と晴君(右)=南三陸町歌津

 3月上旬、南三陸町歌津の漁港。京都府出身の大工の熊谷哲典(あきのり)さん(29)は木材にビスを打ち、「ワカメ小屋」を建てていた。地元の漁師にとって、ワカメから芯を抜く作業をするのに欠かせない場所だ。

 正午すぎ、新婚の哲典さんは車で15分ほどかけて高台の仮設住宅に戻る。食卓には、ごはんとみそ汁、野菜の炒め物。昼食は必ず、妻夏美さん(29)と食べる。夕食は夏美さんの連れ子の藍斗君(8)と晴君(6)も一緒だ。

 「守るべき家族が、見つかった。この町で生きていくって決めました」

 ずっと、独りぼっちだった。京都で過ごした小学生のころ、酒ぐせがひどかった父親の暴力が原因で、母親と兄がそれぞれ家を出て行った。中学2年になり、自分も飛び出した。入った暴走族では先頭を走るのが好きだった。

 暴走行為で捕まり、地元の高校を退学になった。土木現場で働きながら奈良の通信制高校を出て、大工の見習いになった。20歳のことだ。親方は厳しかった。「ピアスはつけるな。髪も染めるな。しゃべり方を変えろ」

 23歳で独立を許され、建設会社を京都府城陽市につくった。仕事も増えて軌道に乗った2年前、震災が起きた。

 「生きるか死ぬか、瀬戸際にいる人たちの役に立ちたい」。そんな思いがわき上がってきた。従業員に会社を譲り、大工道具だけを持って被災地へ。

 初めは支援物資を沿岸各地に届けるボランティアをした。そんななか、南三陸町の仮設団地で、洗濯物を干すための縁側をつくってもらえないかと頼まれた。出来栄えが評判になり、注文が殺到した。最初は材料費だけと思っていたが、住民のはからいで、1件あたり4千円の代金をもらえることになった。大工としての腕が生き始めた。

 夏美さんと出会ったのは一昨年の12月、その仮設団地だった。夏美さんは使わない夏タイヤを片付けるのに困っていた。手伝ってあげたら、話が合った。お互いバツイチ。体の不安も共有できた。

 夏美さんは心臓に病気があり、毎日、薬をのまなければいけない。哲典さんも中学時代、急性くも膜下出血になり、生死をさまよった。20歳のころには、火事場に取り残された見ず知らずの子を助けに飛び込み、右腕に大やけどを負った。

 「何でも正直に話す人。生命力もある」。夏美さんは思った。出会って4日後に交際を始め、1年後の昨年末に籍を入れた。藍斗君も晴君もなつき、「お父さん」と呼んでくれる。

 復興をめざす町で、工事はひっきりなしだ。ワカメ小屋だけでなく、家の新築もあちこちから頼まれている。目の回る忙しさだが、ごはんはいつも家族一緒と決めている。「僕のような寂しい思いを、家族にさせたくないから」(伊藤喜之)

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