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08月18日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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(被災地で生きる)体操教え笑顔の輪 平塚→石巻

写真:仮設住宅で暮らすお年寄りに、体操を教える野津裕二郎さん(中央)=石巻市拡大仮設住宅で暮らすお年寄りに、体操を教える野津裕二郎さん(中央)=石巻市

 牡鹿半島の南の端にある石巻市鮎川。仮設住宅の集会所が笑い声に包まれた。車座になったお年寄りたちがボールを足の下にくぐらせたり放り投げたりして、隣の人に回していくゲームを楽しんだ。

 被災地のお年寄りは生活環境が変わり、運動不足になりがち。暮らしていた老人ホームが閉鎖されてしまった人や、施設の職員不足でデイサービスを受けられなくなった人も出ている。

 そこで、看護師や作業療法士らでつくる訪問ボランティア団体「キャンナス」(神奈川県藤沢市)が各地で健康指導をしている。

 メンバーの一人で同県平塚市出身の作業療法士、野津裕二郎さん(26)は、震災が起きた年の夏から石巻市に住んでいる。

 「震災から2年たち、徐々に筋力が落ちる時期。いま一度、自分の体のことを考えてほしいんです」

 笑顔と優しい口調で、お年寄りたちに繰り返しアドバイスする。

 震災当時は、地元平塚市のリハビリ専門の病院で働いていた。知人が宮城県内でボランティアを求めていることを知り、5月に石巻市の避難所に入った。

 トイレを掃除したりマスクを配ったりしながら、専門家の視点から、避難所の環境を改善していった。

 入り口にびっしり並んだ靴や、床をはっていた電源ケーブルは、お年寄りがつまずく危険性が高い。靴箱を探し、ケーブルは床にテープで貼り付けた。テレビの前に座りっぱなしの人たちを見て、朝の散歩にも誘った。

 この時、被災地にいられたのは1週間だけ。地元に戻った後、野津さんが心配していた女性が転んで骨を折ったと伝え聞き、やるせなかった。「じっくり取り組まないと、できないことがある」

 ただ、野津さんには国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊に加わり外国で働く夢があった。迷う背中を押したのは、勤務先の上司、村仲隼一郎さん(32)。「お前は行かなくていいのか」「おれの分まで働いてきてくれ」。村仲さんの言葉に決断した。夏には病院を辞め、石巻市で「キャンナス」のメンバーとして働き始めた。

 一軒家を借りたキャンナスの拠点が、牡鹿半島にある。野津さんはここから半島各地の仮設住宅をまわって、お茶会や健康相談会を企画している。

 最近、うれしかったことがある。野津さんがアドバイスしている仮設住宅で、被災者たちが毎朝、ラジオ体操をするようになった。

 「被災者自身が自発的に動くのが理想。支援がひとつの形になった」

 被災者への医療支援は年単位の「長期戦」になる。野津さん自身、被災地でいつまで働き続けることになるのかは見通せていない。

 それでも、作業療法士としてだけでなく、海産物や野菜など牡鹿半島の食の情報発信にも取り組もうと考えている。

 「今の仕事が被災地で必要なくなれば、新しい何かを自分で切り開けばいい。自分ができることを、やり切りたい」(福島慎吾)

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