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(被災地で生きる)よそ者こその役割 埼玉→南三陸

写真:入所しているお年寄りと話す吉田雅子さん(左)=南三陸町志津川の老健施設「ハイムメアーズ」拡大入所しているお年寄りと話す吉田雅子さん(左)=南三陸町志津川の老健施設「ハイムメアーズ」

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 5月初め、南三陸町の老健施設「ハイムメアーズ」の食堂。入所しているお年寄りの冗談に、職員の吉田雅子さん(25)が笑顔で驚いてみせる。「ええ? いいですねっ」

 吉田さんは昨年3月、埼玉県羽生市から南三陸町にやってきた。大学で介護福祉士の資格をとり、埼玉の老健施設で2年働いた。震災から1年たった日、偶然見たテレビ番組で、南三陸町の復興がまだ手つかずだと知った。現場を知りたくなった。

 月末には、町を拠点に活動する支援団体に入った。2軒の借家に40人ほどでの共同生活。がれきの撤去や漁業支援といった支援メニューの中から、老健施設での支援を迷わず選んだ。

 同じ支援団体の初期のメンバー、学さん(24)に出会った。津波で町内の実家と勤め先が被災したが、「復興の役に立ちたい」と支援する側に回った青年だ。出会った頃は、登米市のパン工場に勤めていた。

 そんな学さんに誘われ、地元のよさこいチームに入った。彼の車で練習の送り迎えをしてもらった。一緒にいると、素の自分でいられる心地良さを感じた。

 昨年10月、町内の友人宅にいた時、学さんから「話がある」というメールが届いた。傘が吹き飛びそうになるほどの嵐のなか、車で駆けつけてきた。「好きなんだけど」

 翌日から、交際が始まった。学さんの仮設住宅で暮らしはじめ、今年3月には籍も入れた。

 学さんとの結婚は、町に住み続ける覚悟がいる。吉田さんは平気だった。介護の仕事は幼いころからの夢。被災した南三陸町でこそ、介護の担い手が求められていると感じていた。

 震災で、町内にあった老健施設の一つは全壊した。震災後にできた施設と合わせた三つの施設に、260人の定員ぎりぎりの入所者がいる。さらに、どの施設も10〜50人のお年寄りが入所を待っている。スタッフが足りずに困っていた。

 一番長くボランティアで通ったハイムメアーズへの就職を決めた。事務長の高橋賢哉さん(53)は「経験者なので、安心して任せられる。本当にありがたい」と話す。

 施設はスタッフを町外にも求めているが、町内の賃貸物件は津波で流され、住める場所が見つからない。まとまりかけた採用を途中で断念するケースが多い。

 施設のお年寄りと接するとき、震災前の町を知らないことは、吉田さんにとって大きなハンディだ。

 でも、震災経験を話したい入所者もいる。被災者同士では話しにくい。埼玉出身だと告げると、「あのときはね……」と語り出す人もいる。「よそ者だからこその役割がある」と、いまは確信している。

 春がまた、やってきた。町内の道路が舗装された。ガードレールができた。復興はまだ遠いが、小さな変化に喜びを感じる。

 「この町の変化を見続けたい。町と一緒に成長できれば」。吉田さんの願いだ。

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