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「自然体でくつろげる空間でありたい」と林功幸さん |
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二階はアートギャラリーも兼ねたスペースになっている。1階とはまた違った雰囲気 |
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店内に飾られた器の多くは、陶芸家である奥さんの作品。他のアーティストの作品もあり |
神楽坂の地域性
「そんな偉い人間じゃないから、何を話したら良いか分からないよ!適当に書いておいてよ(笑)」
そう笑うのは、神楽坂で30年以上も続く喫茶店のオーナー、林功幸氏。気さくな林さんは、生まれも育ちも神楽坂と、生粋の地元住民だ。
「僕は、戦後からこの街に住み始めたから、まだまだ新参者だね。親子三代とか、江戸時代からなんて、ザラだからさ」
商店会の役員もつとめ、商店会会長よりも年上だという林さんは、そう謙遜する。
「でも、会長は僕の後輩だからさ、呼び捨てなんだ。この街では、まだまだ年功序列が生きていてね。みんな同じ学校だからさ。会長にしてみれば、僕はいつまでも先輩だから」
そうカラカラと笑った。
千代田区と、文京区、新宿区の接点に当たる神楽坂は、長い歴史に彩られた地域である。
鎌倉時代には、現在の光照寺あたりに牛込氏の城があり、それが牛込の発祥の地となった。そして、江戸幕府が開かれた際には、江戸城内への出入りを管理するため、牛込見附が現在のJR飯田橋駅西口付近に造られたのである。神楽坂は、その牛込見附の御門からまっすぐに伸びた坂であった。三代将軍家光は、この坂を幾度も通過して、矢来町にある酒井家の屋敷に通ったという。
明治に入ると神楽坂は次第に賑わいを増して、花柳界も隆盛になり、最盛期には芸者衆が650人以上もお座敷に出ていたという。この最も華やかな時代が、今でも神楽坂のイメージとして人々の中にあるのだろう。
日本とアメリカが戦った太平洋戦争で、神楽坂周辺は焼け野原となってしまったが、戦後は花柳界も復活し、かつてと同様、作家や画家などが好んで来訪する粋な街となったのである。
昭和中頃、そんな街に「神楽坂 巴有吾有」という喫茶店ができた。最初は小さな仕立屋であった。
時が止まった空間
「今でも、当時のミシンをテーブルとして使っているんだよ。開店時は、コーヒーの淹れ方も勉強しながらだったから、随分お客さんに支えられたよ」
美味いコーヒーを淹れてくれた林さんは、自分はコーヒー好きで喫茶店をはじめたのではないと、笑いながら言うのだ。
「コーヒーより酒を呑んでいる方が多い僕が、コーヒー屋なんかをやってるんだから、詐欺だよね(笑)。だから、店を作るのはお客さんだと思うよ。コンセプト?こだわり?そんなものはないなぁ…。自然体でくつろげる空間でありたいとは思うけど」
この店には、入り口が2つある。初めてドアをくぐる人は、きっと戸惑うだろう。しかし、それは、開店当時からの名残りなのだという。
「昔は婦人服の仕立屋と一緒にやっていたからね。喫茶店はカウンター10席だけだった。でも、30年以上同じカウンターの席に座る人がいるから、ずっとそのままにしてあるんだ。それが、お客さんの居場所なんだから…」
この店は時が止まっている。どの時代からという止まり方ではない。お客さんのそれぞれが、最も懐かしいと思う時代にまで、一時戻らせてくれる空間だと感じた。ゆっくりと時が流れる空間。美味しいコーヒー。高く包み込むような木の天井。廃材を利用した、時折ガタガタするテーブルや椅子。その全てが、どこかノスタルジックな気分にさせるのかもしれない。
「ウチは、お客さんもよく通ってくれるけど、それ以上に店員が辞めない店なんだよね。彼なんか、19でウチに来て、以来ずっと務めてくれている。親子二代でバイトをしてくれる人もいるよ。あと、バイトの空き待ちって人もいるぐらい」
開店以来のスタッフが、ペコリとこちらに頭を下げる。居心地の良い空間という魔法は、お客にとってというだけでなく、働く人全員にもかけられているようだ。
時代の流れ。変貌する街
神楽坂の魅力は、花柳界が華やかだった頃に作られた「路地」にあると言う人は多い。
賑わう表通りを抜けて路地に入ると、様子がガラリと変わる。曲がりくねった細い道、そして人一人がやっと通り抜けるようなその細道の両脇にある料亭や小料理屋。明治大正ロマンの小説の描写を再現したような風景に、一瞬、ここが現代の都心であることを忘れることだろう。
それでも、林さんは、神楽坂の変貌にため息を漏らす。
「神楽坂は、随分変わったよ。まずは料亭が少なくなってしまった。老舗の料亭が次々に店を閉めてしまってね。新しいお店は建つけど……淋しいね」
神楽坂周辺は、地代も高い。料亭ほどの大きさの土地ともなれば、相続税も莫大な額となる。後継者がいなくて暖簾を降ろす店、相続税が払えずに土地を売却した店など、事情は様々ながら、由緒正しき料亭が次々と消えていった。
「僕も、バブルの頃は、オヤジに『絶対に死ぬな!』って言ってねぇ(笑)。なんとか乗り切ってきたけど、このまま古い店が潰れていったら、文化までもが無くなっていくような気がするよ……」
今、神楽坂周辺に残っている料亭は6件程度。最盛期から比べれば、その数は確かに哀しくなるほど少ない。
「それでも、この街の美観は守っていきたいから、色々やっているよ。例えば、街灯のデザインにもこだわったし、電信柱もないからね。そうやって街を少しでも守っていけたら良いね」
街を愛し、美観を守る。地域に密着することは、人を愛し、また同等にその土地を愛することなのだろう。
林流スローライフのススメ
お酒が大好きだという林さん。その日も、朝の3時まで飲んでいたのだという。何でも、自宅までの200メートルの距離を進むのに、3、4時間もかかってしまったとか。あっちへフラフラ、こっちへフラフラで午前様。そう言って、また笑う。
「日本酒が好きだね。昔は酔えれば何でも良かったんだけど。良く飲むのは久保田。昨日だって三合も飲んでないはずなんだけどなぁ(笑)」
行きつけは昔ながらの小料理屋だ。旨い酒の肴を用意してくれる店。肴は、四季折々のもの。へしこ、このわたなどの珍味に、今の季節なら活きの良い平目なんかも旨い。
「この辺は、今でも良い小料理屋が沢山あるから。飲むことには不自由しないね」
自分のことを話していても、いつの間にか神楽坂の自慢になる林さん。神楽坂で暮らし、神楽坂を愛す。自分が住まう地域をここまで愛している人は、今では珍しい存在ではないだろうか。
「自然が好きだね。木も好きだ。木っていうのは、表情があって良いね」
そう呟きながら、林さんは愛おしそうにテーブルを撫でる。
「時代が加速するように流れているから、もっとのんびりしようよって言いたくなるよ」
自然の中に立ち、雨上がりに輝く蜘蛛の巣を見るのが好き。渓流釣りも好きだ。都会でだって、残された自然を感じることはできる。現代人は、情報の流れにまかせるのではなく、もっと自然を意識して、楽に生きたらいい。それが、神楽坂の名店喫茶のオーナーの生き方なのだろう。
春になったら、外濠から神楽坂まで散策してみると良い。外濠は神楽坂の入り口、江戸城の守り。濠では渡り鳥が羽を休め、土手公園では目白や四十雀が遊ぶ。また、春は桜花爛漫、ソメイヨシノが満開になれば、街全体が霞がかった薄桃色に染まるほど、艶やかになる。
そして、歩くのに疲れたら、巴有吾有に立ち寄って、コーヒーを楽しもう。きっと、理想のスローライフと、古き良き時代の面影を見出すことができるはずだ。
取材/文 フリーライター 吉岡美那子
(02/07)