ビニシウス作詞、トム・ジョビン作曲、ブラジル・リオデジャネイロ
2010年5月7日
題名からメロディーが浮かばない人も、聴けば必ず「ああ、これね」と覚えがある、「イパネマの娘」はそんなたぐいの曲でしょう。
ビニシウス・ジ・モライス(1913〜80)作詞、アントニオ・カルロス・ジョビン(通称トム・ジョビン、1927〜94)作曲で、1962年に作られました。海へとつづく道を小麦色の身体の美少女が歩いていく、その瞬間の気分を切り取り、叙情的にうたったものです。
曲の舞台となった場所、カーニバルで有名な南米ブラジルの大都市リオデジャネイロを3月、訪れました。「イパネマ海岸」付近には高級ホテルやマンションが並び、「ビニシウス(Vinicius)」という名の通りや店がありました。「イパネマの娘」の作詞者である詩人ビニシウスから取ったものです。
「イパネマの娘」は、ビニシウスとジョビンの代表作です。
この曲には有名な「誕生伝説」があります。62年、「ベローゾ」というバーでたむろするビニシウスやジョビンの前を、近所で有名な金髪の美少女がさっそうと通り過ぎました。その瞬間、詩の女神が舞い降り、名曲が生まれたというのです。
伝説のモデル、エロイーザさんは、いまも健在でした。かつての美少女も60代。「たくさんの女の子が自分こそモデルと言ってたから、ビニシウスと対面し、『モデルはきみだ』と告げられたときは、まさかと思った。私の人生は以後、変わりました」と話しました。彼女が営む小さなブティックの隣には、有名レストラン「イパネマの娘」があります。ここがかつての「ベローゾ」です。
ビニシウスはジョビンとともに、1950年代後半のブラジルに、ボサノバという新しい音楽様式を確立させた立役者です。現代ブラジル音楽の功労者といえます。また、数カ国語を話す彼は外交官でもあり、アメリカへの赴任経験もありました。ただし64年の軍事政権樹立以降、リベラルな音楽人との交友などを疎ましがられ、素行不良を理由に外務省を罷免されました(この2月に名誉回復)。
人生の後半は、より自由奔放な生活に身をゆだねました。特筆すべきは、生涯に9回結婚したという、その恋愛遍歴でしょう。
高揚と失意の繰り返しだった激しい恋愛人生は、彼に、幸福について何を教えたのでしょう。彼の人生を彼の地でたどりました。
(続きは5月8日付け朝刊の別刷り「be」をお読みください。)

CD「ジョビン、ヴィニシウスを歌う」(スリーディーシステム)は、ビニシウスの曲を没後10年の記念コンサートでジョビンがうたったライブ盤。「イパネマの娘」「フェリシダージ」など17曲入り。
「イパネマの娘」を世界的に有名にしたのが、アルバム「ゲッツ/ジルベルト」(ユニバーサル・ミュージック・クラシック)。63年にスタン・ゲッツ、トム・ジョビン、ジョアンとアストラッドのジルベルト夫妻の4人が米国で録音した。

ビニシウスの生涯をたどったミゲル・ファリアJr.監督の映画「ヴィニシウス−−愛とボサノヴァの日々」(ブラジル、2005年)は、年内に日本でもDVDが発売される予定。問い合わせはツイン(http://www.twin2.co.jp)へ。
また、ビニシウスが原作となった戯曲を書き、59年のカンヌ映画祭パルムドールを受賞した映画「黒いオルフェ」(マルセル・カミュ監督)は、DVDで見られる(IVC)。

『アントニオ・カルロス・ジョビン−−ボサノヴァを創った男』(青土社)は、実妹のエレーナが書いたもので、「イパネマの娘」創作の「伝説」についても触れている。
ボサノバを作った男、ジョビンのライブアルバム。「イパネマの娘」を含む全17曲が楽しめる。
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サックス奏者スタン・ゲッツとトム・ジョビンが組んだ名盤。世界中に「イパネマの娘」とボサノバを広めた。
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カンヌ映画祭をはじめ、各国で高い評価を得た映画「黒いオルフェ」。ビニシウスが原作を、ジョビンが音楽を担当している。
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音楽との出会いから「イパネマの娘」のヒット、アーティストとしての悩みまで、ボサノバ創始者のすべてを実妹エレーナが語る。
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beは朝日新聞の土曜朝刊に挟み込まれてくる別刷り紙面です。ビジネスの「b」(青のbe)と、エンターテインメントの「e」(赤のbe)から成っています。「うたの旅人」は赤beのフロント紙面で、08年4月から続いている企画です。毎週、一つの歌を題材に、記者が歌にちなんだ土地を旅し、歌にまつわるエピソードを探します。
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