4月に訪日したオバマ米大統領と安倍首相が銀座のすし店「すきやばし次郎」で会食した際に飲んだのは、「大吟醸・純金箔入特製ゴールド賀茂鶴 180ml詰 角瓶」。小売価格で600円弱と、意外にお手頃価格の大吟醸酒だった。醸造元の賀茂鶴酒造は兵庫の灘、京都の伏見と並ぶ日本酒生産地、安芸西条(広島県東広島市)の酒造会社で、1958年に他社に先駆けて大吟醸造りの賀茂鶴を市場に送り出した。

明治維新が生んだ技術革新

 安芸西条が三大銘醸地のひとつに数え上げられ、「酒都・西条」として知られるようになったのは明治時代のこと。それまでは「宮水」「神戸ウォーター」として知られる灘の硬水が酒造りに最適で、水質の違う広島では、同じ方法で高品質の日本酒を醸造するのは難しいと考えられていた。しかし、三津村(現東広島市)の酒造家、三浦仙三郎が苦心の末、軟水を使った醸造技術を確立し、賀茂鶴など地域の酒造家が研究を重ねた結果、その常識を覆す新しい日本酒の可能性が広がった。1907(明治40)年に開催された第1回全国清酒品評会では、広島の酒が灘、伏見をしのぐ好成績を残し、安芸西条の日本酒は一躍、全国的に知られるようになった。また、この明治の技術革新は、後に吟醸酒という新しいジャンルの日本酒が普及するきっかけのひとつになる。

 安芸西条が銘醸地として成功した理由は他にもある。高品質な日本酒を造るには精米技術も重要だ。たとえば大吟醸酒の場合、法令で精米歩合が50%以下、つまり、玄米重量の半分以上を取り去ることが定められている。それまでの水車と石臼による精米では、このレベルの精米歩合は実現しがたい。精米機の世界シェア7割を占めるサタケの創業者、佐竹利市は西条出身の鉄道技師で、木村酒造場(現・賀茂鶴酒造)の木村和平など地域の酒造家たちの協力を得て機械式精米機製造会社を起業し、それが今では世界のトップ企業にまで成長した。

 西条はもともと西国街道の宿場町で、海軍基地のあった呉に近いなど、陸運・海運が発達していた。先進技術を取り入れ、醸造技術を磨くだけでなく、輸送や販路の開拓にも早くから力を入れたことが安芸西条の躍進につながった。

日本酒ファンなら酒造通りへ

 JRの駅がある町の中心地に酒蔵が建ち並ぶ西条は、「酒都」の名にふさわしい、酒の香りが漂う街だ。賀茂鶴白牡丹西條鶴賀茂泉などの酒蔵が並ぶ一角は、酒蔵通りとして親しまれ、多くの観光客が工場見学や試飲を楽しんでいる。酒蔵通りの醸造蔵やそれに付随する施設は、瀬戸内の風土を生かした産業遺産として、経済産業省の「近代産業遺産群 続33」に認定されている、いわば「生きた博物館」だ。

 和食がユネスコ無形文化遺産に登録され、東京オリンピックを控えた今、世界に日本酒をアピールする絶好の機会だ。安倍首相はオバマ米大統領のお土産として、お膝元山口県の「獺祭(だっさい)」をプレゼントした。

文 ジュラ・高橋洋