葆光彩磁葡萄紋様花瓶
(ほこうさいじぶどうもんようかびん)
-茨城県陶芸美術館蔵-
色絵金銀彩四弁花模様飾壺
(いろえきんぎんさいしべんかもようかざりつぼ)
-岐阜県現代陶芸美術館蔵-
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明治から平成までの近現代日本陶芸130余年の流れを、118の作家や製陶会社などによる158作品でたどる。通史としては初の試みだそうです。個人の創造性の発揮こそが、この壮大な流れを読み解くキーワードではないかと感じました。
独創的な作品を通じて自らの個性を自由に表現する、いわゆる個人作家による陶芸がいつ始まったかについて、研究者の意見は必ずしも一致していません。出光美術館の荒川正明学芸員は、大正11年(1922)ごろ葆光彩磁葡萄紋様花瓶(ほこうさいじぶどうもんようかびん)(茨城県陶芸美術館蔵、高さ約16cm)を作った板谷波山(1872-1963)こそが、個人作家の第一号と主張します。東京国立近代美術館の金子賢治工芸課長はこれを否定し、昭和35年(1960)に発表された色絵金銀彩四弁花模様飾壺(いろえきんぎんさいしべんかもようかざりつぼ)(岐阜県現代陶芸美術館蔵、高さ23cm)に見られる独創的な文様などの創案者である富本憲吉(1896-1963)を、真にその名に値する初めての作家と位置付けています。
展覧会を企画した茨城県陶芸美術館の外舘和子主任学芸員は、波山が窯業近代化の第一ステージである明治期の遺産を継承し、本格的な個人作家が誕生する大正期以降へと橋渡しした人物との見方を提示しています。図案(下絵)の使用、成形は専門の轆轤(ろくろ)師に任せ、自らは絵付けを担当する分業制作、宋代の中国陶磁の写しや鳳凰(ほうおう)など既存の文様の翻案、などに明治期の陶芸の特徴が残る反面、美術学校で学んで個人工房を開き、展覧会への出品などを通じて自己を主張した点などは、次代の先駆けとなる要素だからです。富本はバーナード・リーチ(1887-1979)との交友を通じて掴んだ有名なテーゼ「模様より模様を造る可からず」を実践し、京都市立芸大の教壇に立って隔てなく技法を公開しつつ、作家の卵たちに独創性と近代的思考の重要性を教えました。色絵金銀彩四弁花模様飾壺の文様は、庭に咲くテイカカズラの花弁のスケッチをもとにしたデザインです。
日本が近代国家へと歩み始めた明治初年、陶磁器は日本のイメージを西欧諸国に印象づける手段であると同時に、有望な輸出産業として、政府の主導下に発展します。国家として初めて参加した明治6年(1973)のウィーン、9年(1876)のフィラデルフィア、11年(1878)パリと続く万博がデモンストレーションの舞台でした。近代陶芸の黎明期を彩る薩摩焼や香蘭社の製品、海外から注目を浴びた初代宮川香山(1842-1916)や加藤友太郎(1851-1916)、七代錦光山宗兵衛(1868-1928)らの、普段は目に触れる機会の少ない大作も並んでいます。
こうした装飾過多な技巧的作品を手始めにゆっくり会場を一巡すると、最後のオブジェに近づくにつれて次第に気持ちが華やぎ、明るい気分になるのが不思議です。やはり十全に自己を表現した多彩な現代陶芸が、心を解放するからでしょうか。世界に冠たる日本の陶芸史に思いを馳せつつ、開館5周年を記念する意欲的な展示を楽しみました。
(03/05)