アサヒ・コム ショッピング ショッピング商品検索へジャンプ メインメニューをとばしてショッピングメニューへ メインメニューとショッピングメニューをとばして、本文エリアへ ここから検索メニュー
検索使い方
検索メニュー終わり

メインメニューをとばして、本文エリアへ朝日新聞社からアスパラクラブクラブA&A携帯サービスWeb朝日新聞サイトマップ文字拡大・音声

天気住まい就職・転職BOOK健康愛車教育サイエンスデジタルトラベル囲碁将棋社説コラムショッピングbe

現在位置asahi.comトップ >  ショッピング >  やきもの >  小野公久「やきものガイド」記事 アサヒコム・ショッピングとは
ここからショッピングメニュー

やきもの フード・ドリンク 生活・インテリア PC・家電・AV エンタメ BOOK コラム ペット  特集  ニュース


ここから本文エリア
ここから本文エリア

小野公久「やきものガイド」

ここからプロフィール
1945年、岐阜県恵那市生まれ。1970年、朝日新聞入社。新潟、大分、佐賀の各支局と福岡社会部で記者。1985年に東京本社へ。以降、陶芸など内外の美術展の企画運営を担当。2005年7月、文化事業部企画委員で定年退職。主著は「色鍋島の美」(岩波書店)、「手紙が語る石黒宗麿の心」(富山県新湊市民文庫)、「石黒宗麿書簡集1-3」(射水市新湊博物館)。日本陶磁協会萩支部長。
朝日新聞社文化事業部企画委員として長年、陶芸など内外の美術展の企画運営を担当していた小野公久氏が、陶芸に関する基礎知識やおすすめの展示会情報などをわかりやすく紹介します。

― 陶芸豆知識 ―

その他の青磁(1)

写真

原始青瓷豆(げんしせいじとう)個人蔵

 ライトブルーの青磁は、浙江省西南部の龍泉市周辺に広がる龍泉窯でも、南宋末から元代(1271―1368)初頭までの一時期に限って作られたようです。龍泉窯は南宋官窯の影響下に技術を高めた民用品の窯場で、製品は元〜明代(1368―1644)に日本や東南アジア諸国、中近東などに大量に輸出されました。鎌倉の材木座海岸などで拾うことができる青磁片は、概ね龍泉窯です。国宝青磁鳳凰耳花生 銘万声(南宋、高さ約31cm)に代表される、青緑の釉色の美しい一群を、日本人は砧(きぬた)青磁と呼んで珍重しました。元代初頭以降、龍泉窯の釉色は次第に緑が強くなり、ライトブルーの色調は失われます。

 青磁の表面をルーペで観察すると、ガラス質の釉薬中に無数の気泡が浮かんでいるのが見えます。青や緑は、釉に含まれる微量の酸化第二鉄Feが還元炎で酸化第一鉄FeOに変化したのに伴う呈色。これに泡や不純物による光の乱反射などが加わり、深みのある色調が生まれるようです。還元炎焼成とはごく単純化して言えば、温度が高まって釉薬が溶け始めたころ、燃料を放り込んですぐに窯の口を塞ぎ、一種の酸欠状態を人工的に作り出す焚き方。これによって釉薬中の酸素が奪われるのです。酸素の供給が十分な酸化炎焼成では、青磁の釉薬は黄もしくは茶に発色します。佐賀県窯業試験場の中尾浩・特別研究員は1989年に佐賀県立九州陶磁文化館で開催した「日本の青磁」展図録の論文で、「気泡が大きいと緑がかり、小さいと藍味がかる傾向にある」と述べておられます。気泡の発生の多寡は釉薬やボデーの土の成分に左右されるでしょうし、それぞれに含まれる鉄分の濃度も色調に無関係である筈はありません。従って青く発色するか緑色を帯びるかは大変に微妙な問題で、ひと言で説明するには複雑すぎるテーマのようです。

 青磁の起源はどこまで遡れるのでしょう。中国の研究者の多くは、河南省鄭州市二里岡などの商(殷)代遺跡から出土する、紀元前15―14世紀の灰釉瓷器(じき)をその始まりと考え、これらを原始青瓷と呼んでいます。轆轤(ろくろ)でなく、粘土紐の巻き上げ成形による、口がラッパ状に開いた尊形の壺。やや時代は下がりますが、紀元前11―10世紀の原始青瓷豆(西周前期、高さ10.5cm)もこの仲間です。石灰もしくは木灰に陶土を加えた釉を表面に塗り、1200℃前後の高温で焼き上げている点で、基本的には後世の青磁と同じです。美しい緑の発色は稀で、ほとんどが茶褐色なのは、施釉や焼成技術が未熟で不安定だったためでしょう。

 ここでひと言、日本と中国での陶磁器の呼称の違いに触れておきましょう。日本では珪酸分が多く、白色で、透明感があり、指で弾くと金属的な音のする釉薬の掛かったやきものを磁器と呼び、吸水性があって釉薬の掛かった陶器と区別しています。ところが中国にはこの区別は存在せず、高温で焼き締まった、釉薬の掛かったやきもの全体を瓷器と呼びます。瓷器は日本の磁器に、陶器などの一部を加えた概念に相当します。9世紀前半に誕生した瀬戸や渥美は、人工的に灰釉を施して高温で還元炎焼成した陶器ですから、中国流の考え方に従えば、原始青瓷に近いやきものになります。

 原始青瓷は、商から西周中期にかけて文明の中心地だった華北の中原地域で見られますが、それ以降の生産は暫くの間、安徽・江蘇両省南部から浙江省にわたる江南を中心とする華南地域に限られるようです。愛知県陶磁資料館の森達也・主任学芸員は、武器などの原料となる銅を求めて南下した商王朝が、長江下流域で百越国の勢力と出会って特産品の原始青瓷を手に入れ、珍奇な品として銅の運搬ルートに乗せて運んだと考えています。その後、中原の王朝の力が衰えるにつれて北への流れは途絶え、原始青瓷は江南を中心とする本来の生産地でのみで約1500年間流通することになるのです。後漢初頭の紀元1世紀半ばに、漸く本格的な青磁が登場します。不純物の少ない灰白色の土を用い、底部を除く全体に均一で厚い釉薬が掛かっています。釉の色は暗褐色もしくは緑褐色。窯址は未確認ですが、森学芸員は、寧波や慈渓、余姚(よよう)、上虞(じょうぐ)などの杭州湾南岸地区もしくは江西省と見ています。

(04/30)

asahi.comトップ社会スポーツビジネス暮らし政治国際文化・芸能ENGLISHマイタウン

ニュースの詳細は朝日新聞紙面で。» インターネットで購読申し込み
asahi.comに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
| 朝日新聞社から | サイトポリシー | 個人情報 | 著作権 | リンク| 広告掲載 | お問い合わせ・ヘルプ |
Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.