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小野公久「やきものガイド」

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1945年、岐阜県恵那市生まれ。1970年、朝日新聞入社。新潟、大分、佐賀の各支局と福岡社会部で記者。1985年に東京本社へ。以降、陶芸など内外の美術展の企画運営を担当。2005年7月、文化事業部企画委員で定年退職。主著は「色鍋島の美」(岩波書店)、「手紙が語る石黒宗麿の心」(富山県新湊市民文庫)、「石黒宗麿書簡集1-3」(射水市新湊博物館)。日本陶磁協会萩支部長。
朝日新聞社文化事業部企画委員として長年、陶芸など内外の美術展の企画運営を担当していた小野公久氏が、陶芸に関する基礎知識やおすすめの展示会情報などをわかりやすく紹介します。

― 展覧会から― 

 「景徳鎮千年展」皇帝の器から毛沢東の食器まで

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毛沢東の釉下紅梅文文房具セット。後列左は筆筒(高12.2cm)、同右が筆洗(高4.5cm)。前列は合子(径8.3cm)など

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張曙陽さん(1954−)

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釉下紅梅茶器セット。注器は高15.5cm、蓋付杯本体が高13cm。

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釉下紅梅調味料入れなど。後列左から酢(高14cm)、胡椒、爪楊枝、醤油用。前列は小皿や匙、酒杯

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青白磁輪花杯・托(北宋、鴻禧美術館蔵)

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粉彩百鹿文双耳大壷(清・乾隆年間、南京博物院蔵)

来年1/8(月・祝)まで、多治見市・セラミックパークMINO内の岐阜県現代陶芸美術館で開催中。問い合わせは0572−28−3100

1/20(土)−3/21(水・祝)に茨城県陶芸美術館(0296−70−0011)、引き続いて山口県立萩美術館・浦上記念館と東京・渋谷区立松涛美術館でも予定

    ◇

 「毛沢東(1893−1976)のために作られた、専用の食器を持っている人物が上海にいるんです。電機会社のオーナーで、日本で展覧会をするなら、貸してくれそうですよ」。美術展などの企画プランナー迫村裕子さんからこんな情報があり、2002年10月17日に赤坂のホテルで会って詳しく話を聞きました。写真資料も拝見しましたが、それだけでは果たして展覧会に値するレベルの品か否かの確信は持てません。とにかく現地に足を運ぼうと、翌年9月14日に迫村さん、岐阜県現代陶芸美術館の榎本徹館長と上海を訪問。翌日、景徳鎮に足を伸ばし、製作に携わった人々から当時の状況を取材して、間違いなしと最終的に判断しました。展覧会が出来るかどうか曖昧な中での旅でしたから、榎本館長は私費出張。筆者も別件での上海行きと抱き合わせでの訪問でした。

 毛沢東は晩年、主に北京の中南海で暮らしていました。住居の改築で厨房と食堂の距離が遠くなったのと高齢で食事に時間がかかるため、料理が冷めるようになったそうです。しかも汁かけご飯が大好物。こうした状況に配慮して、深くて蓋の付いた食器を作ることになったそうです。毛沢東が亡くなる前年の1975年初頭、中国共産党中央弁公庁から景徳鎮を管轄する江西省委員会に指令が下り、中国軽工業部陶瓷工業科学研究所(現在の中国軽工業陶瓷研究所)が総力を挙げて取り組みました。このプロジェクトは7501工程と名付けられ、最高レベルの技術者約40名が、2月から秘密裏にこの課題への挑戦を開始。4月に中央弁公庁の審査を経てデザインが固まり、5月から8月末にかけて試行錯誤の末に、計22回の窯焚きで14,103点が作られたそうです。うち損傷なく完成したのが4,200点余り。精品約1,000点を毛沢東の元へ送りました。残りは壊せと指示があったそうですが、当時の研究所長らの判断で金庫に納め、封印、保管しておいたそうです。二度と同じ製品を作るのは困難と感じたのと、壊れて補充を要求された場合に備える意味での措置だったそうです。

 毛沢東の死とともに文化大革命の嵐も収まり、封印が解かれました。製品の多くは1980年の旧正月の贈り物として、研究所の職員に分配されたそうです。江西省で陶磁器の品質検査に携わっていた馬暁峰さんが、1983年に知人の研究所職員宅でこの器でお茶を出されて、価値に気付きました。休日を利用して職員宅を訪ね歩き、買い取ったり、新品の食器セットと交換して収集に努めたそうです。コレクション564件は2002年3月4日、上海の東傑電気の現会長である張曙陽さん(1954−)が、馬さんから一括購入しました。

 最大の魅力は、輝くばかりの白磁肌の美しさでしょう。1,400度という景徳鎮でも前例のない高温焼成によって、初めて達成された成果です。そのための胎土や釉の調整、窯の改良等には、相当な苦労があったようです。精品約3割という数字が、困難を物語っています。加えて文様の簡素な美しさ。研究所の人々は毛沢東の詩を読み、梅を中心とする図案を考え出しました。清朝の陶磁器にしばしば見られるように、文様を器の全面いっぱいに描くのは避け、余白の白を生かして、釉下彩で上品に絵付けしています。有田で釉上彩の色絵磁器を手掛けている人間国宝の14代酒井田柿右衛門も「我々が目指すのと、方向は全く同じ」と、完成度の高さに驚いています。

 時には煩瑣とも感じられる清朝陶磁の流れの中から、どうしてこのような図案が誕生したのでしょうか。11月11日に岐阜県現代陶芸美術館で開いたシンポジウムに参加した研究所の楊火印・元副所長(1944−)によると、白磁の肌の美しさを十全に生かしたいとの思いと、梅などを簡素に表現する文人画の伝統が相まって、デザインが決まったからだそうです。景徳鎮には明代以降、皇帝専用の器を作る官窯が置かれました。毛沢東の器も(1)その時代の最高の技術で作られ(2)一切、市販されず(3)最高権力者のみの専用品、である点で歴代官窯と一致します。まさしく現代の官窯製品と言えるでしょう。シンポジウムには張会長も出席。「陶磁器に携わる日中の人々の交流に、少しでも役立てば」と挨拶したのが、心に残りました。

 景徳鎮では遅くとも9−10世紀の五代には、陶磁器の生産が始まっていたようです。町の名の起源である北宋・景徳元年(1004)から数えて約千年になるのを記念して、北宋期の青白磁花杯・托(杯高4.7−4.9cm)などの台北・鴻禧美術館の所蔵品と、清代の粉彩百鹿文双耳大壷(高45.3cm)をはじめとする南京博物院所蔵の古陶も加えた127件で、現代に至る長い陶磁器生産の流れをたどれるよう構成しました。

(12/10)

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