現在位置:asahi.com >ショッピング>やきもの>小野公久「やきものガイド」> 記事

ここからショッピングメニュー

ここからショッピング商品検索

ここまでショッピング商品検索

小野公久「やきものガイド」

朝日新聞社文化事業部企画委員として長年、陶芸など内外の美術展の企画運営を担当していた小野公久氏が、陶芸に関する基礎知識やおすすめの展示会情報などをわかりやすく紹介します。

京都発掘30年特別展示 都のうつわ

― 展覧会から ―

2007年07月08日

 9月30日(日)まで、上京区今出川通大宮東入る、京都市考古資料館で開催中。問い合わせは075−432−3245、ホームページhttp://kyoto−arc.or.jp

写真短頸壺(8世紀末、須恵器、向かって右下)
写真圧倒的なボリュームの土器の展示
写真緑釉陰刻花文碗と緑釉陰刻葉文耳皿(ともに9世紀初頭の猿投窯)
写真青磁碗と青磁鉢(ともに13−14世紀の龍泉窯)
写真色絵鳳凰文鼓形花生(江戸前期、伊万里)
写真蓮月焼茶碗(19世紀、大田垣蓮月作)

 財団法人京都市埋蔵文化財研究所の設立30周年を記念する催し。会場に足を踏み入れると、右手中央のガラス棚にずらりと3段に並んだ土器が迎えてくれます。圧倒的なボリューム感。その数、何と2384点。うち約90%が生活雑器である土師器だそうです。「納戸が引っ越して来たみたいでしょう」。担当主任の原山充志さんが笑顔でこう言いつつ、じっくり解説してくれました。土師器は壊れて捨てられるまでの時間が短く、多くの時代を通して使われたため、出土遺物の年代を決めるモノサシとして、極めて有効なのだそうです。土師器の編年を細かく追った、マニアックとも言えるこの展示は、全国の考古研究者にとっても、文化の中心地京都での基準として、重要な意味を持っているのです。内容は高度ですが、質問すれば原山さんらがポイントを分かり易く説明してくれるでしょう。考古好きの子供たちにとっても、夏休みはチャンスかも知れません。

 注意して眺めると、皿や鉢の深浅や縁のカーブ、壺の口や胴部の形などが、時代ごとに微妙に変化しているのが分かります。最も古いのは西暦780年代から790年代半ばまでの長岡京出土品。最も現代に近いのが江戸後期の伊万里焼など。長岡京から発掘された品の中に、780年代のやや上手(じょうて)の須恵器と思われる、可愛らしい短頸壺(高3.5cm)が混じっていました。「祭祀用ではないでしょうか」と原山さん。ただし他にこの時代の類品が知られていないため、結論を出すにはもう少しデータが必要だそうです。

 平安京が始まる8世紀末から9世紀初頭に、緑釉陶器が登場します。9世紀前半の灰釉鉢はやや深めの造り。右京区三条二坊の斎宮邸宅跡から出土した輪花の白磁皿も展示してありましたが、これは10世紀の中国製。この時代の日本では、まだ磁器は作られませんでした。11世紀前半になると、緑釉陶は姿を消し、輸入白磁が増加。黒い土器の中に、胎土が灰白色の瓦器も増えます。12世紀末以降、鎌倉時代には、口縁が外向きに反った浅い皿が多くなり、景徳鎮の青白磁小皿や合子、龍泉窯の青磁碗なども目立ち始めます。室町前期には中国製の天目茶碗も出土。15世紀前半からは、美濃の黒釉碗も見られるようになります。16世紀以降は中国の染付磁器、江戸に入って有田産磁器の時代を迎えるのです。

 見所のある品々は別に、入口正面と左手の情報コーナーに展示されています。二条城の北側、上京区猪熊通丸太町下る藁屋町の冷泉院跡から出土した陰刻花文碗(高5.2cm)と陰刻葉文耳皿(径15.5cm)は、ともに9世紀初頭の猿投窯で作られた緑釉陶器。美しい発色の優品です。

 13−14世紀、龍泉窯製の青磁碗と青磁鉢(径各13.2cmと8.9cm)は、中京区烏丸通六角下る七観音町の六角堂跡で見つかりました。素晴らしい砧色で傷もなく、文化庁が買い上げたそうです。

 現在は御所南小学校のある中京区柳馬場通竹屋町下る五丁目の小笠原遠江守京屋敷跡。ここから出土した色絵鳳凰文鼓形花生(高24.1cm)は、江戸前期の伊万里焼。類のない雅な造形と言えるでしょう。

 上京区田中町の平安宮内裏跡からは、女流歌人大田垣蓮月(1791−1875)作の蓮月焼茶碗(高5.3cm)が発掘されています。表面に黒い顔料で記された和歌「わかやとの垣ねはかりに有明の 月とみるまで咲るうの花」も蓮月尼の自作。こうした様々な出土品を見て、やはり京都は千年の都と実感しました。

 昨年6月、三条通富小路の北西、福長町でやきもの卸問屋跡が見つかり、復元個体換算で約300点の桃山期の陶器が出土しました。江戸・享保年間(1716−36)に発見された1箇所を含めると、三条界隈でこれが5軒目。近年発掘された弁慶石町、中之町、下白山町の3箇所の出土品はすでに展示、紹介されていますが、福長町分も含めた総合展示もいずれ実現したいと、原山さんは話しています。

このページのトップに戻る