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小野公久「やきものガイド」

朝日新聞社文化事業部企画委員として長年、陶芸など内外の美術展の企画運営を担当していた小野公久氏が、陶芸に関する基礎知識やおすすめの展示会情報などをわかりやすく紹介します。

アジアの熱気―東南アジア陶磁器の魅力 町田市立博物館名品展

― 展覧会から ―

2007年08月05日

 9月2日(日)まで、笠間芸術の森公園内の茨城県陶芸美術館で開催中。問い合わせは0296−70−0011、ホームページ:http://www.tougei.museum.ibk.ed.jp/

写真灰・黒褐釉盤口瓶(クメール、高11.9cm)
写真青花蓮池文盤(ベトナム、径37.7cm)
写真鉄絵魚文鉢(タイ、14−16世紀、径26.2cm)
写真白釉緑彩鳥文盤(ミャンマー、15−16世紀、径28.2cm)

 中国や朝鮮半島陶磁の愛好者数と比べると、東南アジアのファンは、まだ少数かも知れません。しかし茶の湯の世界では、室町から江戸期に貿易を通じて様々な品々が輸入され、道具として、今日に伝えられています。タイのサワンカロークに因んで命名されたと思われる白地鉄絵の宋胡録(スンコロク)香合や、呉須がにじんだような安南(ベトナム)染付茶碗や花生、さらには水指や建水などに用いられる産地がはっきりしないハンネラとよばれる赤味を帯びた素朴な土器などが、その代表と言えるでしょう。ほかにも東南アジア製と思われる産地不詳の土器群があり、大きさや形に応じて、茶入や建水、花生などに使われました。これらは一括して南蛮や島物と呼ばれ、どこで作られたか明確に意識されないまま、古くから趣味の世界で確たる地位を占めていたのです。

 度重なる戦乱などもあり、この地域のやきもの研究は、長く立ち遅れていました。考古学的手法を初めて陶磁器研究に導入した小山冨士夫(1900−75)は、1968年3月にマニラで開催された貿易陶磁セミナーに参加。ここで知り合ったバンコック国立銀行総裁の口利きで運転手とクーラー付の車を用意して貰い、タイ国内数箇所の窯址を巡ってから帰国しています。その際のメモを見た限りでは、まだ窯の位置の確認段階にとどまっている印象でした。東南アジアのやきものへの関心が高まるのは1970年以降。発掘を伴う本格的調査研究は、現在でも十分とは言えません。町田市立博物館は、約1300点の東南アジア陶磁コレクションで知られています。著名なコレクター山田義雄氏が1970−80年代に収集したミャンマーとタイなどの567点を1990年に、もう一人の中村三四郎氏は1980−90年代に集めたベトナムなどの627点を1994年に、それぞれ館に寄贈されたそうです。今回は、そのうち約140点を紹介する展覧会です。比較的馴染みは薄いとは言え、国や時代ごとの製品はそれぞれに個性的で、陶磁器輸出国としての意外な顔が見えて来るのを興味深く感じました。

 クメール王国は6世紀に始まったとされ、9世紀にはアンコールに都城を建設。現在のカンボジアを中心とする地域で栄えました。施釉陶器は9世紀後半に誕生し、当初は灰釉のみでしたが、やがて11−12世紀の灰・黒褐釉盤口瓶に見られるように、黒釉などと併用する試みが始まったようです。器形はユニークかつ端正で、恐らくは金属器がモデルだったのでしょう。この時代はアンコールワットに代表される石造の巨大建築や、王らの優れた肖像彫刻が作られた王国の最盛期で、陶磁器を始めとするあらゆる造形に、高度な文化的洗練が感じられます。町田市立博物館の矢島律子学芸員によると、クメール陶器には日常用いる飲食器の類はなく、宗教的儀式など特別な用途を考えるべきだそうです。

 ベトナムでは、ハノイを中心とする北部地区が漢代から中国の支配下に入った結果、早くから多彩な陶磁器が作られました。最古の施釉陶器は、紀元後間もない時期の漢の青銅器に似た壺などに始まるとされています。その後も古越磁の鶏冠壺を思わせる青磁水注などが目立ちますが、中国から独立して間もない11世紀前後には、薄手の美しい白磁の皿や鉢など、独特の味わいの優れた製品も作られています。14世紀に入ると、白化粧した素地に呉須で植物などを繊細なタッチで描いた青花蓮池文盤などの染付も誕生。15世紀には、五彩が盛んに作られます。ともに日本より200−300年は先行。インド文化の影響が強い中部のチャンパ王国でも、粗製の青磁鉢や褐釉壺などが作られ、北部の製品ともども、14世紀以降に近隣諸国やエジプトなどに輸出されたようです。

 タイでは、スコータイ王朝(1238−15世紀)成立後、首都スコータイと副都シーサッチャナーライで約300年にわたって、特色ある施釉陶器が生産されました。スコータイ窯では13世紀初期から15世紀中期にかけて白化粧した素地の釉下に、酸化鉄顔料で絵付けした鉄絵魚文鉢などが盛んに作られたようです。中西部のサワンカローク市の北60キロに位置するシーサッチャナーライ窯(別名サワンカローク窯)でも、13−16世紀に様々なタイプの陶磁器が生産され、中でも美しい釉色の青磁鉢や碗は、矢島さんによると、沈没船の積荷調査などから、15世紀中ごろに作られたと判明したそうです。日本の茶人が愛好した宋胡録も、今日では16世紀中ごろを中心にこの窯で焼かれた鉄絵陶や白釉褐彩陶と確認されています。両窯の製品は貿易国家アユタヤを通じて、東南アジアのみならず、中近東や日本まで広く輸出されたのです。これら2つの窯に加えて、抽象化の著しい鉄絵や白化粧した白磁など特徴ある品を焼いた、カロン窯を始めとする北部地区諸窯に近年注目が集まっていますが、解明は今後の課題と言えそうです。

 1980年代半ばに、白地に緑の顔料で蓮弁文や花、鳥などを描いた白釉緑彩鳥文盤や鉢などが市場に出回って、注目を集めました。従来、東南アジアでは全く未知の錫を含んだ鉛釉陶器で、出土地点がミャンマー国境に近いタイ西部、メソット地区だったため、ミャンマーのやきものへの関心が、これを機に一気に高まったのです。その後の調査で、15世紀後半にモン族が、ミャンマー・バゴーに建設した仏塔のタイルが同様の錫を含む鉛釉陶と確認され、知られざるミャンマー陶磁の存在がほぼ確実となりましたが、窯は現在も未確認。このタイプは、イスラム陶器とその影響で生まれたマヨリカ陶器に特有の釉薬だそうです。矢島さんによると、白や緑の単色ミャンマー錫釉陶器が、16世紀末の堺や中近東、インドネシアから出土しているそうです。

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