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< 第1回朝日杯将棋オープン戦 観戦記第12局 >
本戦1回戦 先手 ▲ 佐藤康光 二冠   対  後手 △ 郷田真隆 九段

A級同士の戦い

対局日:2007年12月23日

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棋譜

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 順位戦はともにA級に在籍し、常にタイトルを争う位置にいる両雄。過去の対戦も佐藤21勝、郷田19勝と拮抗しており、ハイレベルのせめぎ合いが期待されたのだが、思わぬ方向に流れていくことになる。

■相矢倉に

 先手番となった佐藤は、相矢倉から早めに▲3五歩と歩交換を目指す積極策を採用。第1図は過去に2局と実戦例が少ない形だが、佐藤には1カ月前に森内俊之名人と指した経験がある。そのときの森内は△2五銀▲4八角△4五歩▲同銀△3三桂の順を選んだが、結果は先手の佐藤が勝ち。

 第1図、実は郷田にも馴染みがある。この将棋が行われた1週間ほど前に、後手番を持って中原誠十六世名人とこの局面を指していたのだ。そのときの指し手は△4五歩で、以下▲3四歩△4六歩▲同歩△3五銀▲4八角△4六銀と進み郷田が勝っている。

 本譜は△4五銀。郷田は△4五歩で勝ったものの、内容には納得していなかったのだろう。当然この手は新手となる。△4五銀には▲5七銀と引かれての銀挟みが気になるが、いつでも△3七歩成から△3六銀と出る手があるため簡単には死なないようだ。

 △4五銀からは▲6七金右△7四歩▲7九玉△7三桂と進み、6筋の歩が受けにくく後手ペースに。佐藤は「▲7九玉では▲6六銀くらいが相場だったかもしれません」と感想を残している。

■郷田に勝ち筋

 第2図は佐藤が角の利きを止めたところ。直前の△5八歩成では先に△6九銀が優ったとはいえ、ここで郷田に明快な勝ち筋があった。

 まず△6九銀と打つ。これには▲5四歩と銀を取って下駄を預けるくらいだが、△6六角▲同金△7八銀成▲同玉△3四角で先手玉に即詰みが生じている。合い駒をしようにも先手の駒台が豪華過ぎるのだ。実戦は△6九銀ではなく△5五同銀。これを見た佐藤は首をかしげ、二度咳き込んでから▲5四飛。これで形勢がわからなくなった。

■成るか成らずか

 郷田が△6七銀成と金を取った第3図。結果的には△6七銀不成が優ったようだ。実戦は△6七銀成から▲2三桂成△同玉▲3二馬△2四玉▲5五竜△同金(第4図)▲3三角△3五玉▲5五角成△8六桂▲同歩(終了図)と進んで終局した。終了図以下△8七銀▲同金△5八飛で馬を抜く筋は見えているが、△8七銀には▲同玉で後が続かない。

 終了図でもし6七の駒が成銀でなく銀だったら、△8七銀▲同玉には△7八銀不成以下の詰みがある。ただ第3図の時点で△6七銀不成としても、▲2三桂成△同玉▲3二馬△2四玉▲5五竜△同金に、▲3三角ではなく▲4四角と打てば、厳密には佐藤の勝ち。以下△2三金なら▲1五金△同玉▲2三馬△同銀▲3三角成で詰みがあり、△2三金に代えて△2一桂も▲4二馬△3三銀▲同馬△同桂▲1五銀で寄り筋。△同玉なら▲3三角成、△2三玉は▲2四金から押していけばいい。先手玉は典型的な「絶対に詰まない形」なので、明快な一手勝ちだ。

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■時間切れか否か

 ▲8六同歩の局面で、郷田はもう指し続けるのが辛いといった様子で投了を告げた。そして搾り出すように「▲2一角成のところ、切れている感じでしたよね」と佐藤に問いかけた。その声はかすかに震えていた。佐藤はまだ緊張から解放されていないのか、すぐには反応することができない。

 記録係の西村1級が郷田の言葉を受けて答えた。「両手で指すような感じでしたが、間に合っていたと思います」。

 佐藤もそこで秒読みのことを言われていると把握したのだろう「すみませんでした」と詫び、郷田の「6七は不成でしたね。▲2一角成のあとは考えられなくなってしまって」の言葉で、口頭での感想戦が始まった。

 98手目、△3五同金(途中図)としたところが問題の場面。終始郷田ペースで進んでいたが、直前に佐藤が指した▲3五歩を郷田は見落としていた。この手があるなら、直前の△3四銀では△4四金だったかもしれない。佐藤も局面を読み切る段階には達しておらず、両者とも時間がいくらでも欲しくなるような悩ましい局面だった。そんな中で指された佐藤の99手目▲2一角成。郷田が指摘したのはここだ。

 ▲2一角成は時間ギリギリで指されたうえに駒を裏返すという動作も必要だったため、着手の際に駒が乱れてしまった。佐藤はそれを両手で直しながら「あ、あ、すみません」と慌てて謝罪した。

 記者が盤側で見た感じでは▲2一角成を着手する意思表示は明らかに時間内だったが、佐藤の手が盤から離れたときに60秒を過ぎていなかったとは断言できない。時間切れを指摘されても不思議はない状況だった。仮に駒が乱れた時点で「▲2一角成」と口に出していれば問題は無かったのかもしれないが、それを今さら言っても仕方がない。

 記録係の西村1級は切れていなかったと判断し、実際に対局が続けられた。郷田はその場で指摘するべきかを迷い、指し手は乱れ、そして敗れた。郷田がその場での指摘を迷ったのは、おそらく過去の2つの出来事が引っかかっていたからだろう。

 ひとつは第65期A級順位戦(2006年12月5日)の久保利明八段との時間切れ騒動。郷田4勝1敗、久保1勝4敗という挑戦と残留に絡む大きな一番で、久保が投了直前に56手前の郷田の指し手が時間内ではなかったのではと主張したこの事件。中原誠副会長(当時)が「指し手をさかのぼってのアピールは無効」と裁定し、結果は郷田勝ちとなったのだが、郷田にも理事会から厳重注意があったという。

 ふたつめは第28回日本シリーズでの佐藤康光二冠との対戦(2007年9月2日)。前年度決勝と同一カードとして注目を集めたこの将棋は、郷田が二歩を打つという劇的な結末を迎えてしまう。もちろん二歩を打ったのは郷田の不注意なのだが、秒読み係が公開対局特有の時間設定に慣れておらず、結果として郷田にとって不利な進行になってしまったのだという。この件に関しては郷田に同情的な声もいくつか聞かれた。

 郷田が投了後に時間切れを指摘したのは、勝敗を覆すために言うわけではないという意思表示。では覆らないとわかっていて、なぜ口にしたのか。おそらく問題提起のためではないだろうか。

 終局直後の郷田は混乱した様子ではあったが、言わなければいけないという意思の強さは感じられた。対局室を去る間際の「次は気を付けてください。私も気をつけるようにしていますので」という言葉からは、久保八段戦での出来事を反省し、その後に繋げていることが窺えた。たしかに本局でも十分に余裕を持って着手しており、記録係に58秒を読まれたことはなかった。

 現在の対局システムでは、どの時点で着手が成立したかは記録係が判断する。実際は着手の意思表示が確認できたところで秒読みを止めるのがほとんどだ。本局の場合は、厳密に言えば記録係がどこで着手を認めたかによって白と黒が分かれる可能性が高い。

 棋士は一手ずつ指し手を積み重ねて、一局の将棋を作っていく。記録係は同じだけの時間をかけて、それを見守っている。自分のサジ加減だけで積み重ねられたものが崩れてしまう立場にいるなら、際どくてもセーフにしてしまうのが人情というものだろう。

 しかし、それが重なることによって棋士側に「時間は切れないもの」という認識が構築されていくとしたら…しわ寄せがいくのはギリギリのラインで葛藤する記録係、すなわち奨励会員ということになる。この世界で生きていくことを望む不安定な立場の人間に、秒読みで「9、10」と読ませることがどれだけ酷なことか。

 各々の棋士が余裕を持って指す。もし最後の数秒を使えないことが将棋の質の後退に繋がるなら、それなら全員で後退すればいい。その気高さは将棋を文化として伝える責務を負う棋士にとって、とても大きな助走になるはず。

 最後に、本局から数日経って送られてきた佐藤二冠のメールを原文のまま紹介させていただく。届いたのは12月28日。A級順位戦で谷川九段に敗れ、0勝6敗となった翌日の返信だった。

佐藤二冠「時間が切れていたかどうかについては正直、分りません。というか手を読んでいた記憶しかないので。いつもぎりぎりで指す癖が染みついているのですがいつも時間内に着手している自信はありました。研究会とかでも時間切れは記憶が悪いのですが少なくとも30代になってからはないです。ただギリギリで指すことが今回のようなことを起こす可能性がある、プロ棋士として良くない、恥ずべき行為だということが今回のトラブルで身をもって痛感しました。対局者、記録係など皆に迷惑をかけてしまいました。

郷田−久保の時も自分は関係のない1件かと思っていたのでかなりショックはあります。エチケット、マナーが私はかなり悪い棋士だったんですね。今頃になって気が付きました。25年染み付いていますし、対局中は無我夢中ですのですぐには治らないような気もします。ただ意識して、2度と起こさぬよう少しずつでも改善していきたいと思います」

(後藤元気)
(2008年02月06日 更新)

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