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<  第2回朝日杯将棋オープン戦観戦記第3局  >
1次予選1回戦 ▲村田顕弘四段―△中野勇太アマ

無名の学生が大健闘

対局日:2008年7月12日

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 皆さんは羽生善治名人が語った「高速道路論」をご存じだろうか。

 「ITとネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということです。でも高速道路を走りぬけた先では大渋滞が起きています」(梅田望夫著「ウェブ進化論」210ページ/ちくま新書)

■ネットで鍛える

 中野勇太アマは高速道路を一気に走りぬけてきた。現在福岡大学1年生の中野アマが将棋を始めたのは14歳のとき。インターネットでの実戦で力をつけた。「初めて人と指した」のはそれから2年ほどたった頃のことで、違和感を感じたという。それでもある大会のB級でいきなり優勝したというのだから既に初段以上の力はあったのだろう。

 筆者は中野アマの話を聞いて「とうとうこういう人が現れたのか」と思った。プロ棋士でも糸谷哲郎五段や里見香奈倉敷藤花のように、地方在住で実戦不足になるハンディをインターネット対局で補ってきた例はあるが、彼らは進むべき道を探しまわった末にインターチェンジにたどりついたと言える。中野アマは幸運なことに、将棋人生のスタートが既に高速道路上だった。

 現実世界でもそうであるように、高速道路上の風景は一般道路から見えない。だから中野アマが実力をつけてきてもあまり世間には知られる存在ではなかった。彼の名前が全国に知れ渡ったのは5月に行われた「学生名人戦」で初出場初優勝を遂げてからだ。

 アマ強豪になると将棋ファンに名前が知られていく。中野アマはこれまで一般道路に降りたことがほとんどなかったのだから、世間的には無名だった。だからアマプロ戦の組み合わせが発表されても関係者の間では「ここはプロが勝つよね」という雰囲気があった。

 2008年7月12日午前10時6分に始まった村田顕弘四段―中野勇太アマ戦。わずか2時間後に、いや、もっと早く中野アマに対する評価は百八十度変わったものとなる。

■△3二銀型中飛車

 第1図の後手陣は少し変わった形。最近は角道を止めないゴキゲン中飛車がはやっているし、角道を止めるなら△5四歩や△4三銀を急ぎそうなものだ。この△3二銀型中飛車は中野アマが試行錯誤して身につけた戦型。居飛車穴熊に組まれない振り飛車を探していて行き着いたそうだ。第2図の後手は5筋の歩を切り、高美濃が完成している。これが中野アマの狙いで、居飛車が穴熊に組んでいる間に理想形に組むことができた。

 対する村田四段は、局後に別室の大盤解説会場で「穴熊を過大評価してしまった」と話していた。村田四段は本局の直前に敗れるまで公式戦10連勝を記録したスーパールーキー。しかしどんな将棋を指すのかも知らない相手、あまり経験のない形、公開対局……。いろいろな要素が村田四段の判断を狂わせてしまったようだ。

■先手にチャンス

 ところが中野アマの気が早まってしまったか。第3図から△3五角▲8六角△4四銀▲7五歩△同歩▲同角△5七歩と決戦に持ち込んだのは先手にチャンスを与えてしまった。△3五角では△6二角、また△4四銀では△8四歩がまさった。いずれも先手から動く順を牽制(けんせい)している。

 ただ本譜でも悪いわけではない。大盤解説会場は伏兵の活躍に静かな盛り上がりを見せていた。

 中野アマが初めて出場した全国大会、それが学生名人戦だった。彼は学生名人戦の優勝によって、本棋戦やアマタイトル保持者だけが出場できる大会への参加権を得ている。目に見える結果を残したことで、ひとつ上のステージで戦うことを許されたのだ。整備された学習環境を存分に生かす「高速道路」を走り続けた後に訪れる「大渋滞」を抜けだすチャンスが訪れている。

■加藤アマの指摘

 第4図、ここで中野アマは△5六竜と指したのだが、△1二香も考えられた。これは当日東京会場で金井恒太四段と対局していた加藤幸男アマが、後日中野アマに指摘した手。▲1一角成でいきなり香車を取られるのを防いで、手を稼いでいる。本譜は後に▲7五香(85手目)が厳しかった。「△1二香は全く考えていませんでした」と中野アマ。加藤アマと中野アマが出会ったのもアマタイトル保持者が集まる大会だった。たった1局のたった1手のことだが、中野アマはほんの少し強くなったはず。大渋滞を抜けるために、一歩一歩前に進んでいる。

 本譜の△5六竜〜△6五竜は後手陣への嫌みを取り除く手で、大盤解説会でも評判がよかったが、村田四段は1一馬を2二〜3二〜4二と徐々に働かせ、プレッシャーを与えた。どうやら第3図からの後手の構想に問題があったようだ。日がたつと先手がリードを保ち続けていることがわかるのだが、対局中はどちらが勝つか全くわからなかった。大盤解説の浦野真彦七段、糸谷五段だけでなく、居合わせた棋士・取材陣が皆「アマ大健闘」の現実に驚きを隠せない。それだけ中野アマのことは知られていなかったし、村田四段の評価も高かった。中野アマはいったい何者なのか? 上に記してきたような棋歴は、局後に中野アマ自身の口から語られたものだ。

■強手▲7四馬

 第5図。ここで▲7四馬が中野アマの読みになかった強手。代わって▲7五金や▲7五馬は△同竜〜△9七香が早い。本譜は▲7四馬△同竜に▲7五銀からどんどん竜を押さえ込み、先手がペースを握った。村田四段は大盤解説会では「▲7四馬は乱調ですよ」と笑っていたが、実際は手ごたえを感じていたようだ。

 第6図の▲9四香が痛打で、いよいよ先手勝ちが明らかになった。▲9四香△4四角▲9三香成で△7一玉と逃げるしかないのではつらい。△9三同玉は▲9四飛〜▲9六飛と馬を取られてしまうからだ。第5図からの村田四段の終盤はさすがだった。12時1分に中野アマ投了。投了図は先手玉は詰まず、後手玉は詰めろがほどけなくなっている。

■温かい応援

 大盤解説会場での感想戦を終えると、ひとりの女性が両対局者が握手をする写真を求めた。この女性は中野アマのお母さんだ。中野アマには内緒で福岡から大阪まで観戦しに来ていた。内緒で来たのに対局場ではわざわざ中野アマから見える位置で観戦し、気づいてもらえるように扇子であおいでアピールしていたそうだ。「気づいていた」と中野アマ。他にも今までネット対局でしか交流のなかった友人が遠方から来場するなど、温かい応援を受けていた。

 村田四段と中野アマは年も近く、対局後も交流が続いているそうだ。中野アマは局後、村田四段に普段の勉強方法やプロ棋士の息抜き方法などを尋ねていた。高速道路の渋滞を抜けるのは自力だけではきっと難しい。積極性や好奇心、人に好かれるような明るさが必要なのだろう。

 後日中野アマに電話取材をしたとき、「大会で負けたら『学生名人に勝った!』と相手に言われませんか?」と聞いてみた。少し失礼な質問なのだが中野アマは「アハハハハ、言われますよ。悔しいですけど、強くなればいいんです」と軽く笑い飛ばしてくれた。電話口の向こう側で筆者が尋ねた変化手順を真剣に考え、実直でわかりやすい言葉で答える。「もっと強くなって、またああいう場で指したい」。中野アマは「強くなりたい」と何度も言った。将棋に対しては欲張りだ。大渋滞を抜けだした後の中野アマに、もう一度アマプロ戦に出てほしい。

(諏訪景子)

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