現在位置:
  1. asahi.com
  2. エンタメ
  3. 将棋
  4. 朝日杯将棋オープン戦観戦記
  5. 記事

<  第3回朝日杯オープン戦第17局  >
2次予選決勝 ▲糸谷哲郎五段―△豊島将之五段

糸谷が初の本戦進出

対局日:2009年11月5日

第1図拡大  

第2図拡大  

第3図拡大  

第4図拡大  

第5図拡大  

第6図拡大  

終了図拡大  

■猛スピードでの対局

 一体どこまで行くのだろう。このまま終わってしまうのではないか、と思った。「よろしくお願いします」のあいさつのあと、バシッバシッと駒音が対局室に響き渡る。▲7六歩、△3四歩、▲2六歩、△8四歩…。角道を開け、飛車先の歩を突き、▲3四飛と横歩を取る。当たり前の進行なのは間違いない。棋譜を見てもおかしなところはない。しかし現場に居合わせるとたじろいでしまった。筆者の目の前で対局しているのは糸谷哲郎五段と豊島将之五段。彼らは相手の手が引っ込む前に、もう次に動かしたい駒に手を伸ばしていた。

 やっと落ち着いたのが18手目△2二銀(第1図)あたり。14時に始まったばかりの本局、14時1分になっていたか、まだ14時0分だったか。そんな猛スピードで対局は進んだ。

 局後に糸谷にこのスピードについて尋ねると、予想していた通りの答えが返ってきた。「定跡のところで考えても…」。将棋界でも際立つ早指しの本棋戦では、1分でも1秒でも無駄にせず時間を残しておきたい。

 午前中の2次予選1回戦では、糸谷は杉本昌隆七段に、豊島のほうは井上慶太八段に勝っている。1回戦でも見受けられたが、この一手だというときは時間を使わず、思い切りよく指していく。それがいいことなのか、よくないことなのかはわからない。とにかく彼らはそういうスタイルなのだ。

■期待の若手

 21歳の糸谷と19歳の豊島はともに将来を期待される若手で、日本将棋連盟の関西本部に所属している。経歴を振り返ると、2歳年上の糸谷の背中を豊島がぴったりと追っている。奨励会入りも、プロ入りも、五段昇段も、糸谷が豊島よりも1年早かった。これからもふたりはよき競争相手、よき友人として切磋琢磨(せっさたくま)していくに違いない。「期待の若手」はどの世界にも毎年たくさん現れるが、一流に育っていくのはほんの一握り。それでも彼らは十分に一流になる可能性があると思う。

 29手目▲8六飛に対して飛車交換をしてしまうのは後手陣に打ちこみのスキが多いため、当然△8五歩。そこで従来は▲7六飛と指されていたのだが、▲5六飛(第2図)と回ったのが公式戦では初めて指された手だ。だから▲5六飛は糸谷新手と言いたいが、実はそうではない。本局が指される数日前、月刊誌「将棋世界」での企画対局で、佐藤天彦五段が稲葉陽四段を相手に▲5六飛と指したのだ。糸谷はそれを知っていた。ただし、知ったのはたった1時間前。1回戦と本局の間に関係者控室を訪れた糸谷は、たまたま控室にいた稲葉四段からその話を聞いていた。感想戦で「さっき教わったからには指さないといけないかなと思いました」と告白するあたりが、律義な糸谷らしい。

 従来の▲7六飛では、角交換後に△9五歩と伸ばされ、△9六歩▲同歩△9八歩▲同香△5四角と、7六飛と9八香を同時に狙われる筋がある。▲5六飛はその筋をあらかじめ避けている。

■一気に受け無し

 現代将棋は情報の有無が命取りになる一面もあり、本局も、知っている糸谷と知らない豊島の間で、ほんの少しバランスが崩れた。豊島は▲5六飛以降、その意味を図りかねるように少しずつ時間を使い始めた。だからと言って糸谷がヒトマネに終始しているわけではない。▲3五歩(第3図)は得た情報をすぐに整理して工夫した一着。▲3三角成△同桂▲3五歩と指したくなるところだが、「後手は角金銀が壁形になっているので、▲3三角成△同桂とほぐすのはよくないと思いました」と局後の糸谷。未知の局面でもすぐに急所を見つけるのが糸谷の長所だ。

 続く△5五歩が問題だったか。感想戦では△4二角と引いて7五歩を取りに行く順が重点的に調べられた。具体的には、▲2六飛△2三歩▲3七銀△7五角。先手の右銀の出足が早いか、玉が堅く歩損を解消した後手が指しやすいか、まだわからなかった。

 本譜は38手目に10分以上考えた豊島が△5三銀〜△4四銀〜△4五銀と銀を進出させるが、代わりに中央が薄くなった。46手目△6四飛に対して▲6六飛(第4図)とぶつけたのが後手陣の薄さをついた一着。飛車交換になればひとたまりもないが、飛車を逃げて▲6三飛成とさせるわけにもいかない。豊島はやむなく△5六歩から戦線拡大を図るが、▲7一飛(第5図)と打たれてみると、既に適当な受けがない。これは困った。第5図で記録係が「豊島先生、持ち時間を使い切られましたので、これより1分将棋でお願いします」と告げる。「はい」と返した豊島の声は、すっかり元気がなかった。

■糸谷、本戦へ

 局面は大差になり、持ち時間もなくなった豊島だが、なんとか気持ちを奮い立たせ、高い駒音で指していく。豊島の迫力に自身の楽観が織り交ざり、糸谷が間違えた。67手目▲8二竜(第6図)がそれ。ここでは▲2六銀と上がれば、それだけで後手玉の上部脱出は難しくなり、わかりやすかった。本譜は▲8二竜△2三玉を入れてから▲2六銀と上がったため、△5七歩成▲同銀△同角成▲同玉に△3二歩と打たれ、後手玉が堅くなった。

 しかし、元々の形勢が開きすぎていた。一時は「この(優勢だった)将棋を負けてしまうのか」と思うほど追いつめられた糸谷だったが、81手目▲6九金、83手目▲3九歩と自陣に手を入れて落ち着きを取り戻す。95手目に放った▲2四香が決め手となった。終了図は△2二同玉は▲3一角以下、△1二玉と逃げても▲2一角以下、後手玉は詰んでいる。糸谷はこれで初の本戦トーナメント進出を決めた。

 棋譜を追うと豊島が従来指されていなかった手(▲5六飛)に対応しきれずに土俵を割ってしまった印象だけが残る。しかし序盤の自信に満ちあふれたノータイム指し、中盤の徹底した長考、終盤の追い上げと豊島らしさも随所にみられた。これから何局、何十局と指されていくであろう糸谷―豊島戦。本局が名局と呼ばれる可能性は低いが、若かりし日を思い起こす、ほろ苦い一局として記憶に残るだろう。

(諏訪景子)

検索フォーム
キーワード:


朝日新聞購読のご案内