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谷川九段、詰将棋ベスト100 永世名人作品集

2011年9月6日

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写真:詰将棋作品集「月下推敲」を発表した谷川浩司九段=大阪市福島区、伊藤菜々子撮影拡大詰将棋作品集「月下推敲」を発表した谷川浩司九段=大阪市福島区、伊藤菜々子撮影

写真:谷川浩司九段「月下推敲」の第52番(15手詰め)拡大谷川浩司九段「月下推敲」の第52番(15手詰め)

写真:谷川九段「月下推敲」第100番(89手詰め)拡大谷川九段「月下推敲」第100番(89手詰め)

 将棋の谷川浩司九段(49)=十七世名人資格保持者=が、自作の詰将棋作品ベスト100を集めた「月下推敲(げっかすいこう)」を発表した。江戸時代には名人が時の将軍に詰将棋百題を献上するのが慣例になっていたが、永世名人の詰将棋作品集は約200年ぶりだ。出版の経緯や詰将棋創作の魅力を、谷川九段に聞いた。

 初代名人・大橋宗桂が将棋名人を名乗ることを許されたのが1612年。それから400年の節目を翌年に控えた刊行も話題を呼んでいる。

 「江戸時代の名人は世襲制で、真剣勝負を戦う機会はほとんど無く、図式集(=詰将棋の作品集)を献上するのが非常に大きな使命だったと思うんです」

 中でも伊藤宗看の「将棋無双」(1734年)と伊藤看寿の「将棋図巧」(1755年)は現在も詰将棋のバイブルとされる。

 八世名人・大橋宗桂の「将棋舞玉」(1786年)以来となる永世名人の図式集創作を意識したのは、名人位を通算5期獲得して引退後に十七世名人を名乗る資格を勝ち取った1997年ごろ。木村義雄十四世名人から名人は実力制になり、「永世名人も現役の間は勝負に明け暮れる日々」に。にもかかわらず谷川九段は挑戦した。「詰将棋を創るのは楽しいこと」だからだ。小学生で創作を始め、将棋上達の有力な手段としてきたことも、創作した理由だ。

 「現代では新しい構想の作品を創るのは難しくなっているので、洗練された手順、盤上の駒の配置の美しさ、駒数の少なさなどで勝負することになります」

 「月下推敲」の100題のうち、「詰将棋マニア以外にも鑑賞してもらいやすい、短手数の作品」として挙げてくれたのが、15手詰め(答えは末尾)の第52番。「玉方の守備駒が皆無なので無防備図式と呼ばれる条件作です」

 玉以外の飛角金銀桂香歩の7種類の駒が合駒として登場する「七種合」の第71番は、完成まで30年近くかかった労作だ。

 最も思い入れが深い作品は、「暴れ馬」と名付けた第100番。89手詰めの長編だ。「出来るだけ少ない駒数で、出来るだけ細かい手順が続くようにと1年間、毎日考えました。家族で食事をしている間も、話を聴くふりをして、実は上の空。詰将棋が頭から離れないんです」と笑って振り返る。

 「『月下推敲』は、解いてもらうための本ではありません。答えを解説した部分から読み始めて、『ああ気持ちの良い手順だな』と感じてもらって、詰将棋の楽しさを知るきっかけになれば嬉(うれ)しい」

 詰将棋作家としても有名な若島正・京都大大学院教授は、谷川九段の求めに応じて巻末に寄稿し、谷川詰将棋の特徴を「手が続く」「中篇作家」と評した。

 この点について谷川九段は「最終型から逆算してドンドン手数を伸ばしていく技術が、若い頃はあまり無かったんですが、ここ10年、15年ぐらいで面白いように出来るようになった。それで、詰将棋専門誌などに発表した作品の手直しを、かなり、やりました。もともとは短編だったものが中編になったものも、ずいぶん、あります」。まさに「月下推敲」と名付けた理由の一端でもある。

 寄稿文の最後で若島教授は、続編を期待した。谷川九段は「当分は棋士として、日本将棋連盟の理事として忙しいので難しいでしょう。でも、『月下推敲』の発表から1カ月ほどですが、『差し替えたいな』と思う新作がすでに出来ています。続編は老後の楽しみですね」と話している。(佐藤圭司)

     ◇

 「月下推敲」は日本将棋連盟発行。箱入りの愛蔵版は5040円、通常版は2100円。

     ◇

 〈第52番の答え〉 ▲3三銀△1三玉▲2四銀打△1二玉▲1一桂成△同玉▲2二銀成△同玉▲1三銀不成△3一玉▲3二角成△同玉▲3三桂成△同玉▲4三角成まで15手詰

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