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2012年12月25日15時33分
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昭和の名棋士逝く 米長さん、数々の名局 将棋

写真:和服姿で現役最後の対局に臨んだ米長邦雄元名人=2003年12月、東京・将棋会館拡大和服姿で現役最後の対局に臨んだ米長邦雄元名人=2003年12月、東京・将棋会館

図:図・△4八竜まで拡大図・△4八竜まで

表:2012年将棋タイトル戦(左が勝者)拡大2012年将棋タイトル戦(左が勝者)

 【村瀬信也】「名人400年」の節目の年。年末になり、「米長邦雄元名人、死去」という悲報が将棋界を駆け巡った。69歳だった。

 中終盤での競り合いで力を発揮し「泥沼流」と評された。長年のライバル、中原誠十六世名人との対戦成績は80勝106敗。数々の名勝負を繰り広げ、昭和の将棋史に名を刻んだ。

 その一つが、1979年の第20期王位戦七番勝負第7局。相矢倉で、挑戦者の米長棋王(当時)が劣勢に陥った。図は、後手が1八の竜で4八の銀を取った局面。▲同角なら△5八とと引く狙いだ。

 ここで先手の次の手は、取れる竜を取らない▲6七金寄。ここで△9九銀が疑問手で、以下▲7七玉△7八竜▲同玉と進んだが、先手玉はつかまらない。最後は米長棋王が勝ちきり、中原とのタイトル戦を、8回目で初めて制した。

 中原は「▲6七金寄は、米長さんの不思議な強さを表す独特の手だと思う」と振り返る。

 93年には、史上最年長となる49歳11カ月で名人位を獲得。これが最後のタイトル獲得となり、03年に引退した。

 05年、日本将棋連盟会長に。今年1月の「電王戦」では、将棋プログラムとの対戦相手を自ら買って出た。プログラムの特徴を事前に研究して採用したのは、2手目△6二玉から力戦に持ち込む作戦。中盤では往年の力強さをほうふつとさせる手厚い陣形を築いたが、その後の失着で形勢を損ない、敗れた。

 今月15日、第2回電王戦のカードが発表された。A級棋士の三浦弘行八段を含む5人が、棋士の誇りをかけて戦う。くしくも米長元名人は発表の3日後に亡くなった。来年3月からの電王戦は、故人の無念を晴らせるかという点でも注目されることになる。

■サービス精神旺盛な語り

 サービス精神が旺盛な米長邦雄元名人は、生前に様々な名言を残した。

 「兄たちは頭が悪いから東大へ行った」(元々は芹沢博文九段の言葉だが、本人が認めたために定着)

 「横歩も取れないような男に負けては、ご先祖様に申し訳ない」(南芳一九段との王将戦七番勝負を前に語った。南九段は実際に横歩を取った)

 「矢倉は将棋の純文学」(本人は「矢倉が高尚だ、という意味ではなく、相手の出方を見るネチネチしたところが似ている」と語っている)

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