現在位置:
  1. asahi.com
  2. エンタメ
  3. 映画・音楽・芸能
  4. コラム
  5. 小原篤のアニマゲ丼
  6. 記事

若さゆえの過ち?「友引和歌集」

2008年12月29日

  • 筆者 小原篤

写真大学のサークル同人誌に載せた「友引和歌集」表紙写真東京・大井町の今はなき名画座で行われた「うる星やつら」TV版連続上映のちらし。大切にとってあります

 あれは10年前、学芸部(当時)に来て初めての年末でした。きたる忘年会の余興で、部員たちの「意外な過去」をネタにしたクイズをやるということになり、幹事のKさんが「小原くんも何かヘンなことしてない?」と聞いて来ました。

 「そうですね――『うる星やつら』で短歌を108首詠んだ、というのはどうです?」

 「ぎゃはは、ホント? それいただき」

 さて当夜、幹事団が考えたウソの選択肢二つを加え、三択クイズに。「じゃあ正解を小原さんから」と促されて答えると、「へぇ〜」と結構ウケました。「どんなの詠んだのー?」と声が上がり、その場で思い出したのがコレでした。

 「買い食いは楽しやジパング猫食堂おでんのコトブキたいやきのえびや」

 同僚たちの顔に「?」が浮かびます。ま、そりゃそうですな。

 1990年の春の宵、大学生だった私の頭に突如、うる星短歌があふれ出したのです。手元にあった資料は映画版のパンフと数冊のサンデーくらい、アニメのビデオもないし原作の単行本もない(立ち読みで愛読してました。すみません)というのに、あれこれストーリーや場面を思い出していくだけでなぜか短歌がするすると出てきます。思い出せない固有名詞があったので、原作を持っているサークルの後輩T君の家に電話。

 「夜分にスマン。つまらないことなんだけどさあ、『うる星』の買い食い戦争の話でたいやき屋の名前はなんだったっけ?」

 「ホントにつまらないことですね」。T君はあきれつつ、マンガを引っ張り出して教えてくれました。その結果できたのが上の短歌です。

 結局、西鶴の大矢数俳諧などには遠く及びませんが、その夜だけでノートにたちまち100首近くを書き留めました。その後数日をかけて108首まで詠み、筆ペンで一気に描き上げたコタツネコの絵を表紙にして、サークルの同人誌に発表しました。その名も「友引和歌集」。

 思えば、アニメ「うる星」は私の青春でした。中2の秋に放映が始まり、映画版第2作「ビューティフル・ドリーマー」が公開された年、私はあたるたちと同じ高2になり、シンクロするように文化祭準備に熱中しました。高3の秋も文化祭準備をしつつ(ちょっとサボって)名画座の「うる星」特集上映に通いつめました。そして高校卒業と同時にアニメも終了。後番組「めぞん一刻」の五代くんと共に浪人生活をスタートするかも、という不安は幸いなことに的中しませんでした。

 「去りて後ひとり暮れゆく街の灯のめぐりに浮かぶ君の面影」「二親(ふたおや)に不孝をわびて身につけるモビルスーツの確かな重み」「ジャリテンの火炎サクラの蹴り一閃しのぶの机ラムの電撃」「ラムのアホ!諸星きさま!席に着け!おっとこなんてー!ダーリンのバカ!」「徹夜あけ連日連夜の馬鹿騒ぎ つかれたときはとらんきらいざ」「二重三重 階は増せども友引の針ひとつだになきぞ悲しき」「メガネ作『友引前史』第一巻『終末を越えて』序説三章」「夢みれば夢をみる夢 夢の中 夢また夢の夢のまた夢」「仰ぎ見る花火 あわ雪 青白き蛍火(ほたるび)溶けて冴える星空」「ヘンとヘン集めてもっとヘンにしよ ヘンな宇宙はさあタイヘンだ」

 やっぱりたいていの人にとっては「??」な世界でしょう。発表当時のサークル内の反応も、今ひとつだったような気がします。客観的に見れば、若さゆえの過ちというか若気の至りというか…でも私にとっては、愛惜の思いが詰まった歌の数々なのです。

 ちなみに、和歌集最後の歌は、原作のラストをそのまんまいただきました。

 「一生をかけていわせてみせるっちゃ」「いまわの際にいってやる」〈完〉

 それではみなさま、良いお年を。

プロフィール

写真

小原 篤(おはら・あつし)

1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。08年4月から編集局編集センター員。

検索フォーム
キーワード:


朝日新聞購読のご案内