現在位置:
  1. asahi.com
  2. エンタメ
  3. 映画・音楽・芸能
  4. コラム
  5. 小原篤のアニマゲ丼
  6. 記事

消えたザリガニ

2009年11月9日

  • 筆者 小原篤

写真拡大三鷹の森ジブリ美術館の会場で男鹿和雄さんを撮影。右の絵が「どじょうすくい」写真拡大「秋田、遊びの風景」展は来年2月1日までの予定。同美術館は日時指定の予約制。0570・055777(ごあんないダイヤル)写真拡大「オーシャンズ」 (C)Galatee Films−Pathe Production−France2 Cinema−France3 Cinema−Notro Films−Les Productions JMH−TSR (C)Pascal Kobeh (C)Roberto Rinaldi写真拡大ゆったり泳ぐエイの群れ。青い色に吸い込まれそうです写真拡大ちょっと「ポニョ」っぽい?

 東京・三鷹の森ジブリ美術館で開催中の「秋田、遊びの風景」展を先日取材し、記事にしました。「となりのトトロ」の美術監督で知られる男鹿和雄さんによる同名の画文集の原画、二十数点を展示しています。温かみのある筆致で描かれているのは、春の小川でのカジカ釣り、学校の廊下でのはずしっこ(メンコ遊びの一種)、初夏のどじょうすくいなど、昭和30年代に男鹿さんが郷里・秋田で熱中していた遊びの数々です。

 どじょうはバケツ半分くらい獲って近所の酒好きのオッサンに売り、アイスキャンデーを買う小遣いを稼いだのだそうです。ですが、昭和40年代に入ったころからどじょうが急速に減り始めたとか。「野放し状態に盛んに行われるようになった、除草剤の散布によるもの」という画文集の文章を読み、私もハタと思い当たることがありました。

 私の両親の郷里は宮城で、子供のころは毎年のように夏休みの何日かを過ごしました。そこでのメーンイベントは田んぼの用水路でのザリガニ獲り。もちろん外来種の、真っ赤なアメリカザリガニです。水面をのぞけばアッチにもコッチにもゾロゾロ這っているという状態だったので、手でつかんではバケツにポイポイ放り込んでいきます。獲るのに何の苦労もなかったそのザリガニが、私が小学校の高学年にさしかかろうというあたりでパッタリ姿を消しました。スルメをつけた糸を草のカゲに垂らしてみればたまに釣れるには釣れますが、わびしいというか味気ないというか。バシャバシャ水に入ってワッセワッセとつかみ取り、というのが私(とイトコたち)にとってザリガニ獲りの醍醐味だったのです。

 時をおかず私も塾に通うようになり、夏休みの田舎行きは途絶。謎のザリガニ消滅は、のどかな子供時代の終わりを告げる予兆のようなものでした。後になって「あれは農薬のせいに違いない」と思いましたが、男鹿さんのところではどじょうでそれが現れたワケです。

 しかし、思い返せば生き物をぞんざいに扱っていたものです。イトコたちとせっせと漁に精を出せば、漬け物桶がザリガニでぎっしり。超過密状態のストレスでたちまちケンカが始まり、アッチコッチでハサミがもげ脚がもげ。一度、その桶に小川で獲ったアマガエルまでぶち込んだら、今度は脚を食べられ腕だけで泳ぐカエルが出現。でっかいザリガニを1匹つかんでひっくり返したら、口からカエルの上半身が飛び出ていて思わず「ギャッ!」と叫んで手を放しました。「そっか、ザリガニってカエル食べるんだー」なんて気づいても後の祭りです。カエルには悪いことをしました。

 そんなぞんざいな扱いなので、毎朝桶の中で1匹か2匹ザリガニが死んでおり、それはシッポをつまんで庭の鶏小屋へ放り込みます。実はコレがお楽しみの一つ。普段ボケーッとしているニワトリたちですが、ザリガニをぽーんと放り込むや地面に落ちる暇も与えず一斉に飛びかかります。小屋に奇声が響き砂ぼこりが舞い、組んずほぐれつ首を寄せ合って1匹のザリガニをつつく鶏たちは一つの白い球体と化します。その「ニワトリ玉」がほどけると、哀れザリガニは肉も殻も影も形もありません。きちんとエサをもらっているのにこの凶暴ながっつきぶりは、よほどザリガニが美味いのか(食用だし)タマゴを産むためのカルシウムでも欲しているのか、ともかく見る方も興奮するスペクタクルだったのです。

 子供と生き物のふれ合いというのはだいたいこの手の残酷な遊びを含んでいるもので、それは「命」についての一種の学習なわけです(言い訳じゃありませんよ)。たとえば自然とのふれ合いを題材としたアニメでも、「生き物を大切に」一辺倒ではなくこの手のリアリズムを取り込めたら、より深く生命と生命の関わりを描けるのではないか、などと夢想しますが昨今はいろいろ差し障りがあるのでしょう。

 子供の遊びに限らず、人と生き物の関わりには「残酷さ」がついて回るものです。捨て犬捨て猫の殺処分、害獣駆除、動物実験…たいがいは是か非かスパッと割り切れない問題で、そういう問題は「命」や「人と自然の関わり」を考える大事な手がかりであり入り口なのです。たとえば、私のザリガニ遊びと農薬で根絶やしにしたこととどっちが残酷なのか、残酷だとしたらそれはやめるべきだったのか、といった具合に。

 先日試写で見たジャック・ペラン&ジャック・クルーゾー監督の「オーシャンズ」(来年1月公開)という映画に、「残酷」と批判されることもあるサメのヒレ切り漁の映像がありました。カツオドリの高速ダイブやイルカの大回転ジャンプ、クジラの豪快な狩りなど、海の生き物をとらえた驚異の映像の数々で構成された映画です。その中に、漁船の上でフカヒレを切り取られたヨシキリザメが海に捨てられ喘ぎながら海底に身を横たえる、という痛ましい映像が挿入されますが、実はこのサメ「つくり物」。アニマトロニクス(機械仕掛けの人形)なのだそうです。魚を傷つける漁を目の前にして見て見ぬふりは出来ないので実際の漁を撮影することはできないから、というのがペラン監督の言い分らしいですが、そうした「演出」は生命についての真摯な思考を妨げる夾雑物のような気がします。おまけに演出だということはエンドクレジットで短く説明するだけで、本編を見ている間は「本物」と思いこんでしまいますし。

 ヒレを切り取って海に捨てるのが「残酷」なら、陸で処分したら残酷でなくなるのか。網にかかった魚は生きたまま船倉の氷の中に放り込まれるがアレは残酷じゃないのか。ヒレ切り漁が問題なのは残酷さでなく獲り過ぎにつながるからではないか。そういう簡単に割り切れない思考の出発点になるべき映像に「色」がついていてはねえ…。記録映像でもいいから「本物」を探し出してくるべきだったと思います。それと、サメ漁をする東洋人らしき漁師(キャスティングされた俳優?)が映った後のシーンが、金髪の少年とペラン監督が絶滅種の標本を並べた架空の博物館を憂い顔で歩くシーン、という演出もひっかかります。

 とまあ、ネチネチ辛気くさいことを書いてしまいましたので、最後に明るい話題を。本コラム、3年目に突入しました。これからもよろしく――別に明るくもないか。じゃあ、07年11月29日の本欄「さらば読売オタク記者仲間」で別れを告げた読売新聞の福田淳記者が2年弱の地方勤務を終え東京に戻ってきました。これなら明るいよね?

プロフィール

写真

小原 篤(おはら・あつし)

1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。09年4月から編集局文化グループ記者。

検索フォーム
キーワード:


朝日新聞購読のご案内