2010年1月25日
「ゲゲゲの鬼太郎」の目玉おやじの声を第1シリーズから第5シリーズまで、40年以上にわたり演じてきた声優の田の中勇さんが13日、心筋梗塞のため77歳で亡くなりました。私にとっては「天才バカボン」第1シリーズの本官さんの声も印象深いのですが、目玉おやじの存在感はやはり圧倒的です。訃報を聞いて、「おい、鬼太郎!」の声が頭の中でリフレインした方が多かったのではないでしょうか。
生前、一度だけインタビューしたことがあります。1つのトピックを4人の方に批評してもらう朝刊学芸面(当時)「批評の広場」にご登場いただきました(1999年2月6日付)。批評対象は「水木しげる」。ちょうど画業50周年を記念し画集「妖鬼化(むじゃら)」を刊行中でした。批評とは本来なら第三者的立場の人がするべきですが、4人のうち1人くらいは、半分「身内」な人がいてもいいんじゃない?と思いまして、「鬼太郎」レギュラーでただ一人、第1作から出演している田の中さんに語っていただきました。
所属するプロダクションのオフィスでお会いした田の中さんは、温厚で控えめ、物静かな方でした。もちろん普段のお声はあんなに甲高くはなく、「ちょっと高め」というくらい。「鬼太郎」の第4シリーズが終わって1年ほど経った頃でした。ユーモアを交えて、こんな話をして下さいました。
◇ ◇ ◇
目玉おやじの役はオーディションでしたね。自分の引き出しの中から、このキャラクターにはどんな声がいいのか考えて、甲高い子供の声、ちっちゃな男の子の声はどうだろう、って思ったんです。当時の私は、子供の役かゲテモノの役が多かった。コマーシャルで商品がしゃべるとかね。それで、目玉おやじは体が小さいから子供の声にしよう。でもしゃべり方はおじいさん。見ている人には、そのギャップが面白かったんじゃないでしょうか。
目玉おやじは口がないでしょ。口に合わせる必要がないから声をあてるのは楽ですね。30年前の最初のシリーズを聞き返すと、ちょっとキモチわるい。オドロオドロしくやろうって思ってたんじゃないかな。あんな声どうやって出すんです?とよく聞かれるけどうまく説明できませんね、別に無理はしていません。ただあんまり長いセリフはやりづらいし、聞きづらいんじゃないですか。
水木さんとは一度も会ったことがないんですよ。すごい怪獣や怪物が出る番組はたくさんあるけど、こんな土着の妖怪が出るのは「鬼太郎」だけ。そこが魅力なんでしょうね。妖怪は、怖いけどどこか間が抜けてユーモラスで、お茶の間で安心して見ていられる。マジメな鬼太郎、欲深なねずみ男、知恵者の目玉おやじという巧みな性格配置もよかったね。
「妖花」という話が印象に残っています(注:第1・3・4シリーズに登場。異同はあるが、南方で戦死した兵が妖花を通じて遙か日本の家族を見守っていたという話)。子供向けの番組でこんな話ができるのはいいなあと、やっててジンと来ました。
でも目玉おやじをやったおかげで、沖田艦長みたいな重厚な老人役は回ってこないし、落ち着きがないというか、66歳らしい人格形成にいたりませんね。いま来る仕事はたいがい「目玉おやじの声で」って頼まれる。CMや企業のPRビデオの博士役とかですけど、たいがい、30代くらいのスタッフが嬉しそうに「一度あの声で、と前から思ってたんです」なんて言う。
登山に行った山小屋で頼まれて「おい、鬼太郎」とやったり、法事で親戚の子にせがまれたり。どうして顔を知ってるのか、女子高生が追っかけてきたこともありました。これだけの当たり役に恵まれたのはラッキーでした。なにしろ、「おい」のひと声で分かるんですからね。こんなトシまで長く仕事が出来るなんて、いい時代になったのかな。「次の『鬼太郎』もぜひ」と言われると「次は分かりませんよ」なんて答えるんですが、声さえ出ればやらせてもらいます。
◇ ◇ ◇
18日のお通夜で、第1・2シリーズで鬼太郎を演じた野沢雅子さんのコメントをいただくことができました。
「笑顔で見送ろうと思って来ましたが、遺影のお顔を見ると今にも話しかけてきそうで、ポロポロ泣いてしまいました。スタジオでは『田のさん』とか『田の子』と呼んでました。私のことは『雅男』って。私は大雑把で男っぽいところがあって、田のさんはキチッとしてらっしゃるから。目玉おやじは、ほかに代われる人のいない声でしたね、ツヤがあって。仕事はまだたくさん残してるのにあっちへ行っちゃうなんて、なにトチッちゃったの?という思いです」
囲んだ取材陣から「鬼太郎としてひと言」と求められ、野沢さんは鬼太郎の声で、こうおっしゃいました。
「父さん、僕らのこと、見守っていてね」
1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。09年4月から編集局文化グループ記者。