2010年2月1日
【意味】(1)肌が青くてちょっとケモノが入った顔でも、好きになるとそこがかわいく見える(2)CGで作った仮想世界でも、好きになると現実よりも愛着が湧く。
今でっちあげたことわざです。同じことを考えた方はすでにたくさんいらっしゃるかも知れませんが。
ジェームズ・キャメロン監督の映画「アバター」が、全世界の興行収入新記録を樹立したそうです。同じ監督のあの「タイタニック」を抜いたわけで、すごいもんです。一方、CNN電子版によると、映画の中の異星の世界が美しすぎて現実に絶望する人が続出とか。ちょっと大げさな記事でしたが、何かと話題を振りまく映画です(以下、映画のラストに触れていますのでご注意の上お読み下さい)。
舞台は、地球から5光年離れた星パンドラ。先住民ナヴィの居住地に眠る鉱物資源を狙う開発会社が、主人公ジェイクにナヴィの内偵を命じます。専用カプセルに入り、ナヴィそっくりの分身(アバター)を遠隔操作するジェイクは、神秘的な森に感動し、族長の娘ネイティリから狩りの手ほどきを受けるうちにホレてしまいます。
筋はシンプルにしてあとは物量作戦、というのは「タイタニック」と同じ。またもや、身分違いの恋と大スペクタクルです。面白いのは、青い肌で豹っぽい顔のナヴィの造形。来日したキャメロン監督にインタビューしたところ「初めは違和感があって、ドラマに引き込まれるうちに感情移入してしまうような案配のデザインを狙った」のだそうです。青い肌については「人間とは違う色にしたかった。昔の映画の宇宙人は緑が多かったから緑はナシ。まっ黄っ黄は『シンプソンズ』にとられちゃったし、青が残ったのさ」なんて冗談めかしておっしゃっていました。
確かに、CGキャラクターのナヴィたちのちょいと「きりひと讃歌」な顔は見ているうちに違和感が消え、ジェイクのアバターとネイティリのラブシーンはドキドキしました(アバターで愛し合うことができるのか、という驚きも含めて)。そしてついにクライマックス、ジェイク本体(つまり人間の体)をネイティリがかき抱く! ここでグッと来たあなたは、まんまとキャメロン監督の術中にハマッたということになります。
異星人を蹂躙(じゅうりん)する人間がとことん悪者という筋立てにも驚きましたが、さらにビックリなのは主人公がナヴィになっちゃうラスト。ええっ、人間やめちゃうの?
パンドラとアバターというのは、主人公が電子機器を介して入っていくという仕立てからして、どう見てもバーチャルな世界、ネット上の仮想現実のメタファーでしょう。歩けなかったジェイクがアバターで自由を取り戻し、その後も〈試練→克服〉というパターンを繰り返して自由に空を駆け、最後は救世主に。全能感を裏切らない展開は、なんだかゲームっぽいです。「アバター」の物語は、酷薄エリートが他人を虐げて金儲けに走ったり、マッチョな戦争屋が暴虐の限りを尽くしたりして、まあ確かに私たちの住む現実もこれに近いかも知れませんが、だからって「もう、アッチの気持ちいい世界に行っちゃおうよ」とは、大胆なメッセージを発したものです。
ちょうど公開中の米映画「サロゲート」(ジョナサン・モストウ監督)も、似た題材を扱っています。近未来、人々は安全な家の中に引きこもり、人間そっくりのロボット「サロゲート(代理)」を遠隔操作して社会生活を営んでいます。外を出歩かなきゃ事故にも病気にもならない、はずでしたが、サロゲートに特殊な攻撃を加えて操作者本人を殺す事件が発生、ブルース・ウィリス扮する刑事が捜査に乗り出して…。
サロゲートも人間の役者が演じていますが、ちょっと蝋人形っぽい。メークや仕草で微妙な違和感を出しています(デジタルな「アバター」に対抗して?アナログです)。でも「サロゲートなんか捨てて生身のふれ合いを取り戻そう」というオチは、まっとうですがありきたり。これが古くさく見えて「アバター」に驚きを感じてしまうのは、「バーチャルよりリアルを」といったメッセージに私たちが飽きてしまったからなのでしょう。
キャメロン監督も、豪華絢爛(けんらん)サービス満点な超弩級娯楽作品で、世界中の人にさらっと凶悪なメッセージを発してしまうとは、天然なのか確信犯なのか。「アバター」を見て現実に絶望した、と嘆く方々は、そのメッセージに敏感に反応してしまったのかも知れません。
1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。09年4月から編集局文化グループ記者。