現在位置:
  1. asahi.com
  2. エンタメ
  3. 映画・音楽・芸能
  4. コラム
  5. 小原篤のアニマゲ丼
  6. 記事

しんみりしてる場合じゃないよ

2010年6月7日

  • 筆者 小原篤

写真:「まんだらけ」ルポの時の米沢嘉博さん=1999年6月拡大「まんだらけ」ルポの時の米沢嘉博さん=1999年6月

写真:第14回手塚治虫文化賞を受賞した(前列左から)ヤマザキマリさん(短編賞)、山田芳裕さん(マンガ大賞)、米沢嘉博さん(特別賞)の妻英子さん=5月28日、相場郁朗撮影拡大第14回手塚治虫文化賞を受賞した(前列左から)ヤマザキマリさん(短編賞)、山田芳裕さん(マンガ大賞)、米沢嘉博さん(特別賞)の妻英子さん=5月28日、相場郁朗撮影

写真:「戦後エロマンガ史」(青林工芸舎)拡大「戦後エロマンガ史」(青林工芸舎)

 先月28日の手塚治虫文化賞贈呈式で、2006年に亡くなったマンガ評論家の米沢嘉博さんに特別賞が贈られました。米沢さんに代わり賞を受け取った奥さんの英子さんは、壇上でアトム像を掲げて言いました。「おにいさん、よかったね!」(英子さんは米沢さんを普段「おにいさん」と呼んでいたのです)

 贈呈式の直後、受賞者スピーチをまとめる記事を翌日の朝刊文化面用に大急ぎで打ち始め、この言葉を末尾に置いて原稿を仕上げた時、ちょっとホッとしたような、そして少ししんみりした気分に襲われました。自分が手塚治虫文化賞の担当に戻った年にこういう次第となり、自分でこの記事を書くことができ、「おにいさん、よかったね!」という言葉を文字に残すことができて、肩の荷が下りたような――というのはちょっと偉そうですかね――ようやく務めを果たせたという気分でした。

 米沢さんに最初に取材したのは99年の2月。ポケモン同人誌の作者が著作権法違反で逮捕された事件を受け、コミックマーケット準備会代表でもある米沢さんに、パロディーと著作権とファン活動の関係についてお話をうかがいました。続いてルポの企画で「まんだらけ」に一緒に行っていただいたり、手塚治虫文化賞の選考委員としてお世話になったり、横山光輝さんの追悼原稿を頼んだり。

 04年9月には、ベネチアの船着き場でバッタリ出くわしビックリしました。米沢さんと会うのは本屋だったりイベント会場の喫煙コーナーだったりすることが多かったので、水面に陽光がきらめく晩夏のベネチアでいつもの笑顔で水上バスから降りてくる米沢さんを見てつい「なんでこんなところにいるんですか?!」と言ってしまいました。「なんで」も何も、その年のベネチア・ビエンナーレ国際建築展で日本館が「おたく」をテーマにした展示をし、米沢さんはそれに協力していたのですね。ベネチア映画祭の取材に来ていた私も、映画祭後にビエンナーレを取材することになっていたのですが、それをすっかり忘れていました。

 お会いしたのはこの時が最後だったかどうか、記憶が定かではありません。06年10月1日の日曜日、夕食の食材を買って多摩川の土手を歩いている時、コミックマーケット準備会の友人から携帯に「亡くなった」と連絡がありました。スーパーの袋をだらんと提げて携帯を握ったまま固まってしまい、曇り空を映した灰色の水面をボーッと見つめていました。

 気を取り直して出社し訃報(ふほう)を書き、豪雨の通夜もカンカン照りの葬儀にも出て、11月6日夕刊「惜別」欄に書いた原稿はこう締めくくりました。

 「コミケ30周年を振り返り、米沢さんはこんな言葉を残した。『趣味や文化、表現を通じて、世界がつながりあえるなら、もっと世界は幸せになるかもしれません』。通夜・葬儀の参列者はのべ4千人。出棺後、参道を埋めた人たちから拍手がわき起こった。まるでコミケ最終日の閉会時のように。さびしさと感謝が入り交じった拍手だった」

 棺を載せた車が大通りへ消えていくのを参列者は黙って見届けたのですが、その直後、葬儀を取り仕切ったコミケスタッフから「終了」のアナウンスが発せられたものですから、半ば条件反射というか「お約束」で拍手が起こりました。周りの人たちは、泣き笑いの顔で「やっぱり最後はコレかぁ」と言いながら手をたたいていました。

 その「惜別」記事でも触れた米沢さん最後の連載「戦後エロマンガ史」が、偶然にも特別賞受賞に合わせたかのように4月に刊行されました。艶笑(えんしょう)、奇譚、寝室性典、古典性愛に体験実話、人妻はイスに縛られ、少女は汽車にひかれ、美女は怪獣になぶられ、女スパイは拷問され、こってり劇画でむっちり、アメコミ風にダイナマイトボディー、アニメ絵でロリロリ美少女……。戦後の大衆文化の中でドクドクと脈打ち突っ走ってきたエロマンガを総覧することができます。

 俳優の田口トモロヲさんが描いていたマンガってこんな絵だったのね、とか、「やる気まんまん」で知られる横山まさみちさんの「動物化した男根」は少年マンガ「ガキ王」で定着したらしい(ちなみにドジョウとして表現されてます)とか、「へぇ〜」もたくさん。

 最終章で1990年代初めの「有害」コミック問題について語った後、次回は児童ポルノを取り上げると予告したところで、この連載は米沢さんの死により終わりました。予言めいている、と贈呈式で英子さんもおっしゃった通り、今回の手塚治虫文化賞の最終選考会から贈呈式の期間は「非実在青少年」問題があったし(まだ決着はついていませんけど)、私個人にとっては最初にお会いしたきっかけがそもそもポケモン同人誌事件でしたし、「戦後エロマンガ史」末尾の「未完」の2文字は、「しんみりしてる場合じゃないよ」という米沢さんのメッセージなのかも知れません。

プロフィール

写真

小原 篤(おはら・あつし)

1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。09年4月から報道局文化グループ記者。

検索フォーム

朝日新聞購読のご案内
新聞購読のご案内 事業・サービス紹介