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子育て名作劇場「赤毛のアン」

2010年7月19日

  • 筆者 小原篤

写真:「赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道」は東京・渋谷のシネマ・アンジェリカで公開中拡大「赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道」は東京・渋谷のシネマ・アンジェリカで公開中

写真:マシュウ(左)とアン。故井岡雅宏・美術監督による美しい背景も見どころ拡大マシュウ(左)とアン。故井岡雅宏・美術監督による美しい背景も見どころ

写真:(C)NIPPON ANIMATION “赤毛のアン(tm)AGGLA”拡大(C)NIPPON ANIMATION “赤毛のアン(tm)AGGLA”

写真:「赤毛のアン〜グリーンゲーブルズへの道〜」展は東京・三鷹の森ジブリ美術館で開催中拡大「赤毛のアン〜グリーンゲーブルズへの道〜」展は東京・三鷹の森ジブリ美術館で開催中

写真:美しい背景画(複製)の数々。同館は日時指定の予約制(案内ダイヤルは0570・055777)拡大美しい背景画(複製)の数々。同館は日時指定の予約制(案内ダイヤルは0570・055777)

写真:右下が、私が驚いたセピア調のアン拡大右下が、私が驚いたセピア調のアン

 映画「赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道」が17日から公開されました。日本アニメーション(日アニ)が1979年に放映したテレビアニメ全50話のうち第1〜6話を、89年に高畑勲監督が自ら編集し100分にまとめたものですが、公開されないままになっていたという「幻の映画」。カナダ・プリンスエドワード島のグリーンゲーブルズ(緑破風館)に住むマシュウとマリラの兄妹が、農場の手伝いをさせる男の子を孤児院からもらうはずが、手違いで11歳の少女アンが来てしまい、その子を引き取ることに決めるまでが語られます。

 さて、子供のとき「赤毛のアン」を読んだ男の子、というのはどのくらいるのでしょうか。少なくとも私は「アレは女の子のものだ」と触れもしませんでした。当然、79年(私は小6)のアニメも見ず。女の子には「赤毛のアン」、男の子には「トム・ソーヤー」。これ世界の常識。その証拠に?日アニは「名作劇場」で「アン」の翌年「トム・ソーヤーの冒険」を製作しました。

 そんな私が高3の時、わがクラスが文化祭でミュージカル「赤毛のアン」を上演することに。前年の文化祭で映画の監督を引き受けながらイロイロあって途中降板した前科を持つ私は(ガラじゃないことをしたもんです)今回は地道に貢献しようと、カットやポスターを描く仕事を担当しました。いわば「宣伝美術」です。

 まずは文化祭パンフ用に「両手を広げたアン」のロゴ入りカットを描きました。これは線描でモノクロだったので、次に同じ絵柄を半立体の切り紙でフルカラーのポスターにしました。「カオは日アニ風に」と意識はしましたが、レンタル屋にビデオもなかった当時、アニメを見ていないはずの私が何を参考にアンを描いたのか、まったく記憶にありません。

 でもポーズは、グリーンゲーブルズに置いてもらえると分かり庭を跳びはねるシーンによく似てますし、ドレスはアニメの後半で成長したアンが着てる青い服に似ているし。おまけに、三鷹の森ジブリ美術館で現在開催中の「赤毛のアン〜グリーンゲーブルズへの道〜」展を見たら、当時の資料として、アール・デコっぽい額縁に囲まれたセピア色のアンのイラスト(の下書き?)があってビックリ。実は私も、アンに扮したクラスメート2人(ダブルキャスト)の写真をセピア色に焼いてもらい、ツタや葉っぱの絡まる額縁の絵で囲んでポスターに仕立てたのでした。フシギな偶然の一致!

 ただ、無事上演を終えても結局「赤毛のアン」というお話自体は「学園コメディーっぽいな」くらいの感想しかわかず。大学時代にカミさんと見たミーガン・フォローズ主演の映画は面白かったですが、「きれいな島だね、楽しい女の子だね」という程度で、やはり「我がことにあらず」。しかし、2008年4月の本欄「アイロンのお供は名作アニメ」で書いた通りカミさんのために「赤毛のアン」の再放送を録画したところ、感に堪えないといった面持ちで彼女が言ってくるのです。

 「マリラがいい! マリラえらいな〜」

 「アンじゃなく、マリラの視点でしか見られない」

 その感心ぶりに興味を持ったので、その年の夏休みに原作を読みアニメを見てビックリ。なるほどこれは、子育ての物語だったのね。悲嘆にくれたり憤怒に体を震わせたりするアンの姿がおかしくてかわいくて、アンではなくマリラに共感。けがをして運ばれてくるアンを見たときのマリラの狼狽(ろうばい)ぶりにキューンと胸をつかれ、アンの背丈が自分を抜いたことに気づいたマリラのさびしさ切なさについもらい泣き。「赤毛のアン」は、まさに「我がこと」の物語になっていました。

 老境にさしかかったマシュウとマリラのところにアンは突然やってきて、あっという間に成長していきます。1冊の本でそれを体験する読者は(いいトコ取りで)子育ての喜びと切なさをジェットコースターのように味わうことになります。今回公開された映画版は、その最初の坂を上り切ったあたりまで、といったところでしょうか。

 とても印象的なセリフがあります。アンを孤児院に送り返すと言うマリラと、マシュウの会話。

 マリラ「あの子がなにかの役に立つとでも言うんですか」

 マシュウ「わしたちの方であの子の役に立つかもしれんよ」

 マリラは「使用人」のことを考えているのにマシュウは「子ども」のことを考えています。そして、「してもらう」喜びより、「してあげる」喜びの方がきっと大きいと、マシュウは気づいています。さらに、マリラは「現在」の話をしているのに、マシュウは「未来」の話をしています。

 自分に子どもが生まれた時「未来を手に入れた」という気分になりました。正確にいえば、子どもが持っている「未来」に自分がつながれた、という気分です。マシュウもきっと、駅から家まで馬車の上で奇想天外なおしゃべりをし、花や池や木立に言葉を忘れて見とれるアンに、キラキラした「未来」をかいま見て、胸のときめきを覚えたのではないでしょうか。

 アンは馬車の上で、リンゴの並木道を「よろこびの白い道」と名付け、「バーリーの池」を「きらめきの湖」と呼びます。子どもらしい夢想でありながら、その呼び名は平凡な現在を無限の未来に変えてみせます。「わしたちの方であの子の役に立つかもしれんよ」と言われた後のマリラの言葉「あの子に魔法でもかけられたんだね」は、実は正しいのです。

 もちろん、「未来を手に入れた」なんて気分が幻想に過ぎないことは、子育てをしていればイヤでも分かってきます。無限に広がると思えた未来は、子どもが自分自身の道を進めば進むほど狭まっていきますし、そしていつかは親から離れ自分の「現在」を生きていくのでしょう。アンの突拍子もない爆発的なおしゃべりが成長と共におとなしくなっていくのは、この止めようのない流れの象徴です。失うこともまた子育ての醍醐味(だいごみ)。マリラの涙が、そう教えてくれます。

 本欄にたびたび登場するわが息子(現在小学3年生)も、その突拍子もない面白さは3〜5歳ごろがピークだった気がします。まあ、今だってたとえばこんな感じで、イロイロ面白いんですが。

 お気に入りの「ルパン三世」第1シリーズDVDを引っ張り出し第19話「どっちが勝つか三代目」を見ながら、「あのルパンがたくさん出てくる話(OVA「GREEN vs RED」のこと)って、コレ見て作ったんじゃない?」。

 「天空の城ラピュタ」の元になった空に浮かぶ島が「ガリバー旅行記」に出てくると知って「じゃあ『ONE PIECE』の空島は三代目ってこと?」。

 エライ! ワンピとラピュタを結びつけるなんて鋭いねー、なんてお父さん喜んじゃうけど、これじゃあただのオタクトークですよねえ。

プロフィール

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小原 篤(おはら・あつし)

1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。09年4月から報道局文化グループ記者。

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