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魔法使いはもういない

2011年4月4日

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写真:シルバン・ショメ監督=2004年12月撮影拡大シルバン・ショメ監督=2004年12月撮影

写真:アリス(左)とタチシェフ (C)2010 Django Films Illusionist Ltd/Cine B/France 3 Cinema拡大アリス(左)とタチシェフ (C)2010 Django Films Illusionist Ltd/Cine B/France 3 Cinema

写真:パーティーで手品をしても、酔っぱらいが絡んでくるばかり……拡大パーティーで手品をしても、酔っぱらいが絡んでくるばかり……

 大胆な挑戦、綿密な演出力、高い完成度。フランスのアニメ監督シルバン・ショメさんは、日本で言えば高畑勲監督のような野望と技量と粘り強さを持つ人なのだと思い知りました。初長編「ベルヴィル・ランデブー」から7年を経て完成した「イリュージョニスト」(公開中)を見ての感想です。

 驚くべきことにこの映画のキャラクターはほとんど常にフルショット、つまりフレーム内に全身が描かれた状態で登場し、顔のクローズアップなんてありません。言葉の通じない2人が主人公なのでセリフもごくわずか。セリフにも顔の表情にも頼らず、全身のしぐさで繊細な感情を語るという、アニメにとっては厄介極まる表現を、短編ならともかく長編で押し通し、しかもどのカットも優雅でレトロな描線と色彩で統一されています。水彩のような背景の色づけはパソコンで、乗り物や建物の一部にCGを使うなどデジタル技術を取り入れつつも、丁寧な手仕事のぬくもりが全編にあふれていて、画面を見ているだけでウットリ陶酔に包まれます。

 ショメ監督には、「ベルヴィル」日本公開の折にインタビューしたことがあります。冒頭のミュージカルシーンがフライシャー兄弟(「ポパイ」「バッタ君町に行く」など)へのオマージュになっていることについて、「ああいった豊かな表現力は、口当たりがいいだけのディズニーのために消えてしまったが、アニメ本来の面白さは<動き>なんだ。動きの楽しさで見せるアニメをこれからも作っていきたい」と語っていました。本作はその本懐を遂げたというところでしょう。

 「ベルヴィル」にはフライシャーだけでなくフランスの喜劇映画作家ジャック・タチへのオマージュもふんだんに盛り込まれていて、それを見たタチの娘から父の遺(のこ)した脚本を託されたショメ監督が、脚色・キャラクターデザイン・作曲も兼ねて映像化したのがこの「イリュージョニスト」。本来ならタチ自らが演じたかったであろう主人公の手品師タチシェフは、ショメ監督によってタチに生き写しのアニメートを施されています。「全身芝居」というハードルの上にさらに、パントマイム芸人から出発したタチのしぐさを完全コピーするというトンデモない難行を強いられたアニメーターさんたちは、さぞかし苦労したことでしょう。この、難しい課題を出して高い成果を引き出すあたりが、高畑監督を連想させるところです。

 ドサ回りの日々を送るフランス人の初老の手品師タチシェフが、スコットランドの小島のパブで働く少女アリスに「ホンモノの魔法使い」と誤解されるところから、物語は始まります。島を飛び出してついてきてしまったアリスと、安ホテルの部屋で暮らし始めたタチシェフは、「何でも魔法で出してくれる」と信じ込んでいる娘に服や靴を買ってやり、娘は花が開くように大人の女性らしく変わっていきます。その姿にタチシェフは……。

 「全身芝居」の鮮やかな例はいくつもありますが、二つご紹介しましょう。

 島を出る船に乗り込んだタチシェフの向かいに、旅支度のアリスが現れます。そこへ切符を拝見とやってきた船員。アリスはひらりとタチシェフを指さし見つめます。そのしぐさは「お願い、魔法で出して」と語っています。慌てた手品師は船員から切符をすって差し出し、コトなきを得ます。思わぬ展開から二人の関係性(魔法使いを信じる少女と、魔法使いを演じ続けなければならなくなった男)が決まる一瞬を、自然なしぐさだけで見事に表現しています。

 もう一つ。時代から取り残された芸人たちが集う安ホテルの一室で、ピエロが首をつろうとしているとアリスが扉をノック。彼女のおいていった手作りシチューをぼんやり口に持っていったピエロは、やがて猛然とさじを動かしてかきこみます。ピエロにとって懐かしい味がしたのかも知れない温かいシチューが、彼に生きる力をよみがえらせた瞬間を、食べるしぐさの変化だけで描き出す。さりげないけど感動的です。

 大柄な体を窮屈そうに縮こませているタチシェフはいつも所在なげで、場末のステージで手品を見せる姿がまたわびしくもの悲しい。スタジオジブリの出す小冊子「熱風」2011年2月号「特集:イリュージョニスト」(この映画は三鷹の森ジブリ美術館配給)の中で細田守監督が語っている通り、アニメで手品を見せても絵でそう描きゃいいわけですから驚きはまるでなくて面白くもなんともない。そのアイロニーが主人公のもの悲しさを際立たせたという監督の指摘は、さすがの慧眼(けいがん)です。

 慣れない自動車整備のバイトまでして失敗してカラッケツになって、と哀愁を増すタチシェフに対し、もっさりした田舎娘だったアリスは髪をアップにし、おしゃれなワンピースをひるがえし、ハイヒールで颯爽(さっそう)と街をゆく。このコントラストはいいのですが、その後のアリスの扱いに納得のいかないところがあるので、ネタバレにはなりますが書かせていただきます。

 あか抜けてレディーらしくなったアリスは、学生らしきインテリ青年と恋に落ちます。自分の思いをもてあましていたタチシェフが街で2人を見て動転し――というくだりは凝った仕掛けで笑わせてくれるいいシーンなのですが、いくらレトロな時代のレトロなお話でも、アリスと学生の恋はあまりに古くさい。物語の構造としては「人生から降りる」タチシェフに対し、「人生にこぎ出す」アリスを描くべきなのに、「ステキな殿方に見初められたワ」だけではねえ。例えばアリスに歌の才能があって彼氏は作曲家で、とか、彼女が「自分が何者であるか、何者を目指すのか」悟るシーンがほしかったのですが、映画は2人がこれから肉体関係を結ぶことを暗示するだけ。行く末が心配です。

 「チャラチャラした服やチャラチャラしたボーイフレンドなんてくだらない。そんな服は脱ぎ捨て、ニヤけた男は放り出して、自分の手と足を動かせ! 働け!」と私の心の中のミヤザキハヤオが鼻の穴をふくらませて怒っております(ウソです)。

 ショメ監督は、アリスが花開いていく様をあれほど丹念に描いたのに彼女のそれからの人生には興味がなかったらしく、タチシェフの人生から去りゆくものの一つとして、タチシェフのはかない夢の大きなかけらとしてフェードアウトさせるかのごとく、終幕、手品師の去った街の灯を消し、暗闇で覆います。うーむ、サビシイ。初老の手品師のさびしさは味わい深いけれど、若い娘の行く末は明るくあってほしいと、美少女アニメの国に住む私は思うのです。

 あ、ちなみに画面に顔が大きく映りませんが、アリスはそんなに可愛くありません。

プロフィール

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小原 篤(おはら・あつし)

1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。2010年10月から名古屋報道センター文化グループ次長。

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